2018年6月24日 (日)

緊急口コミプッシュ:青年団「日本文学盛衰史」吉祥寺シアター

感想はまだ書いていないけどこちら
原作未見だけど、よく考えれば小劇場出身ということを思い出させる平田オリザと青年団の、実力と振れ幅を見せつける1本。いまさら平田オリザってこともないのだけど、でもこれから2年ごとに新作を発表するとして、もっと整った芝居はこれからも創られる可能性が高いけど、ここまで史実と想像と小劇場的手法とを駆使した、娯楽的かつ日本的かつタイムリーな芝居が出て来るとは思えない。

たぶんこれが後期平田オリザの実力を示す代表作になる。あと2週間あって、追加公演もあるので、再演をあてにせずに今回観ておくべき。当日券は枚数が少ないみたいだけど、多少悪い席になっても見切れの少ない劇場に見切れの少ない美術なので問題ない。

| | コメント (0)

青年団「日本文学盛衰史」吉祥寺シアター

<2018年6月23日(土)夜>

明治27年5月の北村透谷、明治35年9月の正岡子規、明治42年の二葉亭四迷、大正5年12月の夏目漱石、それぞれの葬儀後の場で交流する文人たちを通して、新しい日本にふさわしい日本語を発明しようと苦労した先人たちを「今風に」描く。

こんなあらすじだと堅苦しく見えるけど全然そんなことはなくて、「今風に」描くのでスマホも出ればラップもあれば、本当にタイムリーな時事ネタも混ざりつつ、突然チェルフィッチュとか何でもあり。原作があるせいか今までの青年団のないはっちゃけぶり。知識がなくても楽しめるけど、明治に活躍した作家や詩人の作品と、その作者である文人たちの私生活ネタまで知っているとなお一層楽しめる。それでいて現代批判と日本語の発達の経緯まで描いて無駄なく、混乱もせずに観られる。

こんなの若手がやるべきところ、平田オリザのような大ベテランにやられたらぺんぺん草も残らない、ってくらいよくできた1本。個人的には大満足。詳細後日。

| | コメント (0)

世田谷パブリックシアター企画制作「狂言『楢山節考』」世田谷パブリックシアター

主人に無断で出かけてしまった太郎冠者が家に戻っているという噂を聞いて主人と次郎冠者が訪ねるも居留守を使う太郎冠者を引っ張り出すべくあの手この手「呼声」、食料が乏しいため70歳になると姥捨の風習がある山間の村でまだ1年あるのに行くという老母とそれを止めきれない息子が姥捨の山に行く「楢山節考」

能の回、狂言の回を組合せたプログラムのうち狂言のAプロの回を観劇。軽い前半と地味で力強い後半の組合せ。

満足。詳細後日。

| | コメント (0)

2018年6月14日 (木)

芸術は労力よりも結果がすべてである

前のエントリーに続いてこれも紹介されていたので拝見。劇場合同のイベントで審査員を依頼されたら出演団体の作演家からケチを付けられて心が折れたという話(今のところ12の2本)。書かれた内容だけで判断すれば、審査公表ルール変更の周知不徹底のため関係者全員の誰も得しない結果になるという不幸な出来事です。

先に書いておくと前述の心が折れたエントリーより先に公式Facebookでは

やはり、TGRは”お客様の目線で”一番面白い作品を決める祭典であることに立ち返り、専門家でも演劇関係者でもない方が単純に楽しめる作品が大賞に選ばれるべきではないかと考えます。

として審査方針を明確にし、次回の審査員(の一部)を公募することになりました(もう募集は終わり)。なので次回からはもう少し関係者が幸せになれるはずです。ちなみに公開された講評は6人分で、審査員の全員分ではありませんが、すでに掲載されています(123456)。

なので今さら書くこともない、と思いつつ絡むのが野次馬。絡むのは心が折れたと書いた岩﨑真紀の文章中で紹介されていた作演家の言葉です。

結果を目指してとてつもない労力を注いだ作品をあんな稚拙な講評でまとめられては全く報われない。

心が折れた仕返しに悪意を持って要約していないか、と疑うほどひどい言葉です。これが本当に書かれていたとしたら、その作演家に3つ訊いてみたい。

・そもそも誰に向けて上演しているのか。審査員のいるイベントの一環だとしても、観客に向けて上演するものではないのか。それとも観客席に審査員しかいないほど集客力に難があったのか。

・結果と労力は無関係である。世の中のモノやサービスを提供するためにどれだけの労力が費やされているのか想像したことがないのか。それらモノやサービスを普段あなたが選ぶにあたってどれだけ費やされた労力のことを考えて選択結果に反映させているのか。いわんや芸術の分野に於いておや。自分は一観客として、製作者の労力なんて気にしない。世の中たいていのものはそれなりに労力が掛かっているのでそれは判断材料にならない。観た内容で面白いかつまらないか、払ったチケット代に見合っていたかの結果を判断する。

・稚拙な講評というけど、どれだけ立派な文章を期待していたのか。そもそもこの2017年は1ヶ月で参加作品34本、しかも公演期間は短く週末に偏って、全部観られるタイムスケジュールになっているのかも悩むボリューム。仕事があれば1ヶ月に10本観るだけでもへとへとになるのに、そこに懇切丁寧なコメントを期待するならよほど出来がよくないといけない(ついでに書くと一般公募の審査員は20本ほど観ることを期待されているが、これもハードワークで、自分が1ヶ月で20本観たら若い頃ならいざしらず今なら文字通りゲロを吐く)。自分もつたない感想文を書いている身として、公開されている講評6人分どれをとっても、あれだけ書いてあれば十分だと思う。

それで以下の話が出てくることになる。演劇専門で長く批評を書いてきた人ではないかもしれないけど、あれだけの文章が書ける人に

改めて考えてみれば、観客が書く演劇作品の感想など、演劇人にとってはそもそもが余計なお世話に過ぎないのだ。作品について語ることは、演劇人とは関わりのない観客の側の遊び。多くの声に翻弄される中で忘れていたそのことを、私は某劇団のマネジメントに携わる方からの指摘でつい先日、思い出したところだ。

と言わせてしまうことのもったいなさ。それがたとえ正しいとしても、その業界その地域のもったいなさ。

| | コメント (0)

2018年6月13日 (水)

広田淳一の「全員で動く」資料

紹介されていたので見つけました。書いた本人Dropboxで公開中です。いまだにアマヤドリは観たことがないのですけど、これだけ読むとやっぱり演出家はいろいろなことを考えてしかも言語化、体系化することに長けているのだなと思いました。「前掲の資料はどうぞご自由にご利用ください。複製・印刷などしてもらっても構いません。あ、でも、この資料で勝手に商売しちゃダメヨ! ということで。」だそうです。

以下はスライドのタイトルを引用してみました。資料はもっと丁寧に書いてあって面白いのでぜひ実物をご一読を。

概要 俳優たちが影響を与え合いながら動く
基本の3動作 歩く/止まる/走る
流行を作る1 コンタクト 音を出す
流行を作る2 順番 役割 割る トーク
流行を作る3 アクション
「面」を作る
「面」から「点」へ
「面」を曲げる
「集」と「散」
「列」
「離れたまま同期する」
増減
意味/物語の発生と切断
テーマ/プラットフォーム
応用編 他のゲームとの組合せ
道具を使った「全員で動く」
「全員で動く」への心がけ
ゲームの上級者

| | コメント (0)

2018年6月10日 (日)

こまつ座「父と暮せば」俳優座劇場(若干ネタばれあり)

<2018年6月9日(土)>

敗戦から3年後の広島。図書館に務める美津江は独り暮らし、のはずだが、すでに亡くなっている父が幽霊というべきか、家に出てくる。図書館に資料を借りに来た大学助手の青年から好意を示され、父の幽霊からも似合いの縁組と言われるが、美津江は反発を示す。美津江が家に帰るたびに繰返される父の幽霊との4日間のやり取り。

初演が1994年というから24年前。コンスタントに上演されているのに掛け違って、ようやく観られた。井上ひさしの芝居にしては寄道のほとんどない、一直線と言ってもいいくらいの2人芝居。原爆で亡くなった父や友人への引け目、その引け目を感じさせるくらいの原爆の悲惨さ、などを上手に織込んでの1時間半。終盤は劇場のそこかしこで鼻をすする音が聞こえるくらいで、たしかによい脚本だし役者は熱演なのだけど、何か観ていて入り込めないものがあった。

戦前に地元の古老から集めた民話を語り継ぐ会という話を持ってきて、それは自分達が勝手に変えてはいけない、語り継ぐべきだという台詞。これを原爆の被害を被害者である市民が(被害があまりにも悲劇的すぎたがために)むしろ忘れたいと願う台詞と対比させて、この悲劇は語り継がれないといけないというあたりに井上ひさしの主張もあると思う。けど、悲劇を語り継ぐことと再度の悲劇を防ぐための思案というのはほとんど別物だと考える。これだけ何演も繰返されているというのはすごいことだけど、実力ある脚本家であるがゆえに語り継ぐことの力を過大評価しているというか。

で、そういう芝居外の観点を除いて、純粋に芝居の内容だけで判断すると、物足りない。よくできた話だけど、力強く惹きつけられるでもなく、現代につながる要素が自分には見つけられるでもなく、すごく閉じた話に見えた。引け目を感じる美津江の心情だけを追うならむしろ原爆を持ってくるなと反発も感じる。

書けば書くほど実感から遠ざかる。面白い脚本を面白く立上げるのが難しかったという一言で片付けたほうがいいのか、それとも単に脚本がつまらなかったのか。自分の感想を言葉にできない能力不足が恨めしい

| | コメント (0)

2018年6月 4日 (月)

新国立劇場主催「ヘンリー五世」新国立劇場中劇場

<2018年6月2日(土)夜>

父の後をついで即位したヘンリー五世は、祖父の権利を行使するとしてフランス王に領土を渡すよう要求する。それを拒否したフランス王は内通者を仕立ててイギリス軍を害しようとするが、事前に察知したヘンリー五世は内通者を処分する。かくしてフランスに侵攻したイギリス軍とフランス軍との戦いが始まる。

出征する兵士の場面や、戦いの前夜にヘンリー五世が兵士を見回る場面などで多少のアクセントはあるものの、戦争予告で始まり、戦争して条約締結で終わるというびっくりするほど単純な芝居。新国立劇場のシェイクスピア王家話シリーズとして実力派メンバーが大勢続投しているけど宝の持ち腐れ。それでいいのかシェイクスピアと言いたくなるし、ここまで後回しにされた理由も納得。

ヘンリー五世を演じた浦井健治がとてもさまになっていたのと、横田栄司の役作りとアドリブで客席をわかせたのが救い。鈴木瑞穂が体調不良で降板していたのは残念。「ヘンリー四世」から再利用された美術は見通しがよくて高さも使えて万能かもしれないけど今後もシェイクスピアをやるなら新しい美術希望。

| | コメント (0)

イキウメ「図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年6月2日(土)昼>

脳科学者だった父がアルツハイマーとの連絡を受けて帰国した息子が見たのは、父自身が精神と記憶を移植したコンピューターだった「箱詰め男」、どこから来たのかわからない衝動を無視するのはよくないという考えにとり付かれた運送会社の運転手は死亡事故を起こして交通刑務所から出てきた後もますますその考えを深めていく「ミッション」、就職活動を始めた女性は母の病気再発を聞かされて介護のために大学を辞めようかと相談するも家族からは反対されて恋人とも距離を置き始める「あやつり人間」。

日本人なのか人類全体なのかわからないけど、自他の区別が曖昧で自分の感情に鈍感な人間についての考察をちりばめた中篇3本。自分の興味ど真ん中で感心することしきりだったけど、この面白さをどうやって説明すればいい。

いつも主役に近い安井順平や浜田信也が引いて、ゲストの小野ゆり子、清水葉月、田村健太郎、千葉雅子に多めに活躍させたのは劇団としてよい兆候ととらえたい。1本目と3本目で確固とした存在感を示しつつ、2本目のおばちゃん所長役のほうがハマって見える千葉雅子はやはり小劇場の人。美術と照明を駆使した場面転換の場面は素敵。

後日更新するかも。

| | コメント (0)

M&O playsプロデュース「市ヶ尾の坂」下北沢本多劇場

<2018年5月26日(土)夜>

市ヶ尾の坂の横に住む3兄弟。両親はすでに亡くなり、長男と三男は地元で、次男は渋谷で働いている。近所に住む画家の妻は子連れの夫の後妻だが子供と上手くうちとけられないらしい。彼女に好意を持つ3兄弟は何かと家に呼んでおしゃべりを楽しむが兄弟同士で牽制しあって挙動不審である。

ミステリアスな女性が主人公のことが多い岩松了だけど、これは加えてミステリアスに見えないこともない男性3兄弟が絡む話。でも言わない台詞や微妙な仕草の隅々にたくさんの種を仕込んで観る側の想像力をかき立てるのはいつも通りの腕前。かついつも以上に冴えていて26年前の脚本とは思えないけど「描くために観ると観ているこちらが恥ずかしくなってくる」という台詞など今時の岩松了なら書かないであろう台詞にその名残が感じられる。水車小屋の話をする女性に焦がれる3兄弟の場面で3兄弟の気持ちを端的に表す照明がよい感じ。観ているうちにこちらの体温が上がってよくわからない興奮が残るという好調時の岩松了芝居に感じられる仕上がりを堪能。

後日更新するかも。

| | コメント (0)

2018年5月27日 (日)

赤坂ACTシアタープロデュース「志の輔らくご」赤坂ACTシアター

<2018年5月26日(土)昼>

なぜ歌舞伎の忠臣蔵は登場人物の名前が史実と異なるのかという疑問から始まって大序から11幕までのあらすじを浮世絵とともに説明する「仮名手本忠臣蔵のすべて」、下積から名代まで引立てられた役者に与えられた最初の役はいい役がたくさんある忠臣蔵の中で斧定九郎の一役のみという嫌がらせを引受けて一世一代の大勝負に「中村仲蔵」。

話だけでは難しいところ、各幕ごとの浮世絵を探してきてビジュアルを駆使して説明する懇切丁寧な前半。抜群に有名な代わりに長いので通しで演じられることの少ない演目を解説されて、始めて理解した。後半の落語のために全体を説明するのは「牡丹燈籠」と同じ趣向だけど、1時間ほどにまとまっているのでまずます観られる。
ただし後半の「中村仲蔵」は今回3回目だけど(1回目2回目)、よく言えば一番親切悪く言えば一番もたついた。昔は役作りに苦心して最初に披露する仲蔵の緊張と、引立てた団十郎の知ってはいるが見守るしかない立場からの感心と、名人の心情に絞ってテンポよくまとめていた。今回は仲蔵の生まれを足して、仲蔵の師匠の出番を足して、蕎麦屋の浪人とのやり取りを伸ばして、たぶん忠臣蔵のおかるを説明した一環だと思うけど女房とのやり取りも伸ばして、長い。「定九郎はあんなじゃないと思っていた」の説明もご隠居と団十郎とに繰返し説明させたのは工夫か間違いか判別しかねる。もともと5幕は弁当幕で云々と説明を足しているのに、さらに説明が増えて冗長に過ぎる。前半説明していればこそ、あるいは前半に説明を回して、後半は省略と洗練の極みで攻めることを望む。

| | コメント (0)

«さいたまゴールド・シアター「ワレワレのモロモロ」さいたま芸術劇場NINAGAWA STUDIO