2018年5月13日 (日)

さいたまゴールド・シアター「ワレワレのモロモロ」さいたま芸術劇場NINAGAWA STUDIO

<2018年5月12日(土)昼>

速報。上手いとか下手とかお約束とか風邪をひいて声がでないとかどうでもよくなる役者の存在感と、上手いとか下手とかお約束とか風邪をひいて声がでないとかどうでもよくなると思わせるくらいよくできた構成とががっちりかみ合った成功作。どうでもいい話から始めてどうでもよくない理由につなげる展開は見事の一言。場所が遠いけど時間があったらぜひお勧めしたい。

役者に持寄ってもらったエピソードを構成する岩井秀人の「ワレワレのモロモロ」シリーズ。壊れかけた冷蔵庫の代わりを探すが、ほしい冷蔵庫について妻と夫との微妙な意見の食い違い「わが家の三代目」、中学で出会い高校で亡くなったかつての友人の記憶がよみがえる「友よ」、ゴールドシアターに入団して初めて台詞をもらえたのがうれしくて「無言」、夫が亡くなってから家にやってきた猫を飼う「パミーとのはなし」、軍人一家の末っ子が予科練に入隊する「荒鷲」、長姉と長兄は出かけて母と次姉と家に残っていた日の話「その日、3才4か月」。

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2018年5月10日 (木)

演劇の契約について

蓬莱竜太がオーディションについてツイートしていました。

オーディション終了。勝手に台詞を創作する若者が多い。自分の間を埋めるために、自分の感覚によせるために。相手はやりにくそう。与えられた台詞だけで成立するように書いてる。無くされるより足されるのが嫌だ。いらないから書いてない。まずは与えられたもので成立させるのが演劇の契約だと思うよ。

言われてみればその通りだし、実際どんな感じだったのか気になるけど、何よりも「演劇の契約」って言葉がいいですよね。さすが脚本家。

誰か「演劇の契約」で1本書いてくれないかな。業界あるあるみたいになったりして。

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2018年5月 9日 (水)

劇場とか劇団とか

劇場がブランド化している」と以前書いたエントリーを見つけたので、自分の場合はどうなのか調べてみた。期間:2012年から2017年の6年間、これは元エントリーが2010年に書かれていて、2011年はいろいろあったのでその翌年からとする。対象はその間に観た185件。これを劇場別で数えて、2桁(10回)以上のものを並べたら以下のような結果になった。

・東京芸術劇場 29回(プレイハウス4回、シアターウエスト6回、シアターイースト19回)
・世田谷パブリックシアター 22回(世田谷パブリックシアター8回、シアタートラム13回)
・Bunkamuraシアターコクーン 19回
・PARCO劇場 14回
・こまばアゴラ劇場 13回
・下北沢本多劇場 13回
・新国立劇場 10回(小劇場6回、中劇場4回)
・神奈川芸術劇場 10回(ホール2回、大スタジオ8回)

185件中130件が以下の8劇場に集中して、自分の好みが偏っていることがはっきりわかる結果が出た。このうちPARCO劇場は建物ごと建替中なので、そうでなければもっと伸びていたはず。

ちなみに、何を持って同一劇場とするのかは難しい。運営母体中心で考えると、国立劇場を新国立劇場と同じと見なせば1回追加、東急シアターオーブをBunkamuraと同じと見なせば1回追加、下北沢本多劇場はザ・スズナリと駅前劇場がそれぞれ2回ずつ追加になるし、ランク外ですが吉祥寺シアターと三鷹星のホールが同一だと5回と3回で計8回、紀伊国屋ホールと紀伊国屋サザンシアターが2回と4回で計6回となって、ますます寡占傾向が強まる。今回は同じ建物の劇場を同一と見なして上の結果でよしとした。世田谷パブリックシアターとシアタートラムは、一括計画で建設されたものだから同じとみなす。

これだけ見れば自分にとって面白い劇場のことはわかる。ただ、これで劇場がブランド化していると言えるかというと、ちょっと微妙になる。

たとえば実力ある演出家に人気の役者を集める辣腕のシス・カンパニーが、シアターコクーンで5回、新国立劇場で3回、世田谷パブリックシアターで3回入っている。やれば客が入る企画を立てるから少しでも大きい劇場でという制作と、自主制作で年中埋める余裕がないので貸劇場公演を混ぜて稼働率を上げたい公立劇場側の事情とが一致してそういうことになる。もっとすごいのになると神奈川芸術劇場が一番大きいホールを劇団四季に5ヶ月貸している。建設計画時の青写真でどれだけ盛ったのか気になる始末。

PARCO劇場は単体共催両方あっても全部パルコが絡んでいた。自分の記録が雑なのだけど、シアターコクーンはシス・カンパニー上演時も共催の体を取っていたかもしれない。むしろ一部民間劇場のほうが制作体制が整っていて、新国立劇場は頑張っているほう、とも言える。

貸劇場については、本多劇場のことを「ナイロン100℃と大人計画と阿佐ヶ谷スパイダースだけ順番に上演するのが役目のように思える」なんてけなしたけど、今は阿佐ヶ谷スパイダースの代わりにM&Oplaysが入って事情はあまり変わらない。ただ、公立劇場で200席規模のところ、上演側が一番やりやすくて劇場側が儲からないため民間劇場の手薄なところは、ほとんど貸劇場化している。具体的には東京芸術劇場のシアターイーストとシアターウエスト、世田谷パブリックシアターのシアタートラム、神奈川芸術劇場の大スタジオ、吉祥寺シアターなど。民間劇場が減ったのもあるけど、ここから大きい劇場に行かない団体が多い。

以前だと大きくなる劇団は本多劇場か紀伊国屋ホールか紀伊国屋サザンシアターか青山円形劇場かスペースゼロを経由して、サンシャイン劇場かシアターアプルかさらに頑張って青山劇場に行って、そこからたまにシアターコクーンやPARCO劇場に呼ばれていた。これがスペースゼロが振るわなくなって、青山円形劇場と青山劇場が閉鎖されて、シアターアプルが無くなって、サンシャイン劇場は東宝があまり冒険せずキャラメルボックス以外は新感線のチャンピオン祭りすら見かけなくなった。赤坂ACTシアターはできたけどあそこもTBSのプロデュース劇場で、新国立劇場の小劇場と中劇場も劇団がおいそれと借りられる劇場ではないから、結果、劇団が成長するための出口がなくなってしまった。

こういうことを書くと劇場すごろくとかケチがつくのだけど、大勢集められる劇団が小さい劇場で上演するのと、小さい劇場で細々と上演するのとでは全然違う。1公演で全国回って3万人以上を集められてこそ一般にもようやく知られるようになるのであって、そのためには600人以上入る東京の劇場で1ヶ月回せないといけない。なのに上演側でそのキャリアパスを描けない。ひたすら貸し館で上演するキャリアパスが無効になるとは書いたけど、淘汰の圧力が強くなるとも予想したけど、それを跳ねかえして自力で大人気劇団になって人気者が生まれるパスがつぶれるところまでは考えが回らなかった。集客力があって劇団に一番近い形はTEAM NACSだと思うけど、あれも半分プロデュース公演化しているみたいだし。

これほんと、今後はどうするんでしょうね。劇団がないとプロデュース公演への人材供給パスもつぶれると思うけど、そこは個人単位で実力者がオーディションを勝ち残っていくようになるのか、新劇の養成所や劇場の研修所が脚光を浴びるのか。新国立劇場は新芸術監督の企画で全員オーディションとかこつこつプロジェクトとか、いろいろやるみたいだけどちょっとまだ見えない。日本はアメリカみたいに世界から人が集まってくる国ではないから、どこかに人材育成の仕組がないと死ぬはずだけど。

劇団のブランド化の話からだいぶそれて長くなったので本日はこれまで。

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2018年5月 7日 (月)

小劇場のポスターを見てもまったく訳分からん人の意見

Twitterでこんな意見を見かけました。メインの人の前半部分を引用しておきます。

あまり小劇場を見ない友人から「小劇団見てって誘われても、ポスターのあらすじも作者のおもんないポエムみたいなん多いしポスターも抽象的で、全く訳分からんのに短くない時間も安くないお金もはたいて気軽に見に行けん、皆なんであんな分かりづらくするん?決まり?」って言われてぐぬぬってなった

合わせて「そらポスター見てもSNS見ても中身まったく訳分からんから(わざと隠してるんか知らんけど)、そんなん名前が売れててすでに固定客ついてる有名劇団か売れっ子タレント使ってる所以外の作品には、そらキャスト繋がりの身内しか来やんやろ」って言い放っててぐうの音も出ねぇぜって…

友人は商業メインだけど演劇好きで「単純に今時ようわからん作品のポエムとかポスターだけ見て行こってなる程金と時間持て余してる奴少ないし何が目玉も伝え切れんと"頑張るので来てください!"って。誰がそんなお情けで金払えるかよ」って言っててお前は前世で演劇人に村でも焼かれたんかって思った

そうなんですよっ!生で見る舞台やからこそ極力ネタバレしたくない制作陣側も分かるし、情報が全くない中でチケットを買おうか不安になる消費者側の気持ちも分かるし…友人は演劇自体は好きで色んな所に足を運ぶ人なんでその人からの言葉は説得力ありました…

詳しくは聞いてませんが「出演者も"おもろいです"とか"頑張ります"じゃなくていっぱしに表現者名乗るんやったらもっと書き方個性出したらええのにね」とか「パッと見て何の情報も伝わって来ないポスターってポスターの意味成してなくない?見る人がおってこそのデザインやろ」とは言うてた気が…

どこかで読んだことがあるような気がしたら自分でも似たようなことを書いていました。やっぱりそうだよなあと観客の立場でうなずきながら読みました。一点だけ反論するとしたら、ネタばれしたくないのではなくて、脚本が完成していないどころか粗筋があればいいほうだからチラシ作成の段階でアピールすべき内容がわからないケースはかなりの数に上るのではないかと推測します。

初期の五反田団みたいに確信的に貧相なチラシを入れていたところは別として、チラシが駄目でも内容がよかったという公演はあるんだろうか。そもそもそういう公演に足を運ばないのでわからないけど、ないんじゃないか。

最後に繰返しの繰返しになるけど、脚本家、演出家、役者に勝る観劇判断材料はない。

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2018年5月 4日 (金)

新国立劇場主催「1984」新国立劇場小劇場

<2018年4月30日(日)昼>

世界が3つの国に分かれた世界。主人公の属する国では「ビッグブラザー」による管理が行き届いており、国民の行動と思想を監視してから数十年が経過している。公務員の主人公は「ビッグブラザー」から合わないと判断された人間を過去の記録や写真から抹消していなかったことにするのが仕事である。それが行き過ぎていったい今がいつなのかもわからなくなった主人公は、監視カメラから隠れて禁止された日記をつけ始める。ある日、食堂で職場の女性から偶然を装って手紙を渡される。国に忠実を誓っているように見えた女性が実はそうではないと知り、2人は愛し合うようになる。それが犯罪とされていることを知りながら、監視カメラのない民間人の部屋を借りて2人は逢瀬を重ねていたが・・・。

原作の小説は読んでいて、あの長いディストピア物語のどこを芝居にまとめるのかと思ったら後半重視。若干の希望は足しているけど、観て楽しくなる芝居ではなく、現実が小説を追越したかどうかという今の社会を見つめたい人向けであり、洗練された舞台が好きな人向け。

いろいろなインタビューで「あの長い小説をよくここまでまとめた」ってコメントが多かったけど、小説を読んだ身としてはまとめきれていないという感想。2時間に収めるにはしょうがないけど、今がどんな監視社会なのかを説明する前半がものすごい駆足。職場の女性から手紙をもらうまでや、上層部のオブライエンから声を掛けられるまでや、古道具屋の主人との会話など、対人関係に警戒する様子や警戒せざるを得ない背景を小説では丁寧に語っているところ、そこはだいぶ端折っているので展開が唐突。その代り後半のきつい場面がきっちり入っている。

このきつい芝居がきつい内容に集中して観られるのは洗練された演出とスタッフワークの賜物。映像とライブカメラを組合せた展開や、スムーズに切替わる舞台美術、芝居によって差が出がちな衣装をきっちり押さえている。照明が珍しい印象だったのは客席側からの明かりをほとんどつかわないせいで、あれが舞台側の箱をきっちり形どってシャープな印象を与えるだけでなく、きつい場面で客席を巻込むための布石にもなっている。音響だけ、悲鳴の効果音が嫌だったのだけど、効果を考えると狙い通りか。このくらい丁寧にやらないと成立しないラインを軽々とクリアしているのはさすが新国立劇場の主催公演。

主人公の井上芳雄は熱演。上層部のオブライエン役を大杉漣の代役となった神農直隆が好演していて、M.O.P.で観たことあったかと調べなおす始末。個人的にはともさかりえに一番期待していたのだけど、演出の希望か洗練が行き過ぎていて、もうひと踏張り野性味がほしかった。

いちおうラストで希望が見えるような枠組みに収めていた脚本だけど、人間は非力なものだと観客に思い知らせるところは小説と同じなので、体調を整えてから観に行きましょう。

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2018年4月29日 (日)

パラドックス定数「731」シアター風姿花伝

<2018年4月28日(土)夜>

戦後2年を経過した東京。銀行の行員と一般客に毒を飲ませて金を奪った帝銀事件が発生した。使われた毒の内容から731部隊の関係者が怪しいと、部隊に所属していた研究者たちの中には警察から聞き込みされた者もいる。同じ時期に、過去を隠して戦後を生きていた元731部隊の所属軍人たちへ中身のない封書が届く。差出人の名前はないが送信元は東京の研究拠点であった牛込のビルになっていた。焼け残ったビルに元731部隊の幹部達が集まって、帝銀事件の話、昔の部隊の話を相談する。果たして事件は731部隊の関係者が引起したものなのか。

実際の事件に想像を足して一本の芝居に仕立てる野木萌葱が得意とする分野。この分野で観たことがあるのは「東京裁判」と「怪人21面相」だけど、今回も狭い会場に充満する怪しい雰囲気で迫力十分。戦後の混乱期を背景に、過去に行なった行状との折合いをつけながら、あるいはつけられないで生きる男7人が、生きて行きたいという必死さと、学問への情熱と、保身を目指す身勝手さと、それぞれが一体となって出てくるヒリヒリした会話劇。

帝銀事件の当時の捜査では分からず仕舞いだった毒物を使った事件が元ではあるけど、元731部隊所属の面々がメイン。きれいごとを言っていた人間が黒い面を見せて、ひどいことを平気で口にしていた人間が結果としてよい行動を取ったり、登場人物誰もが悪いことに携わっていて、保身を計るのだけれども、にも関わらず人間は善悪で割切れないという面を描いて圧巻だった。「何でお前ら、自分を人間の外に置けるんだよ」という台詞があったけど、条件が揃えば置けるでしょう。生きのびたいんだという欲求、研究者として知りたいという欲求、これらの前に善悪が判断基準とならなかった登場人物たちだけど、これは人間誰しもそうなる可能性がある。ミルグラム実験とかグアンタナモ刑務所とかそれこそナチスとか日本人に限らないけど、日本人は特に条件が揃ったときに歯止めになる文化が少なくて個人にゆだねられている。同じ条件がそろって同じ立場になったら自分もやりかねないと自覚しながら観るのがまた迫力を倍増させる。

登場人物の名前と731舞台での役職関係を理解するまで時間がかかったけど、分かりやすすぎる芝居よりはこのくらい不親切なほうがむしろ理解する楽しみが味わえる。不親切かもしれないけどフェアでもあった。ついでにいうと野田地図の「エッグ」も731部隊を扱っていたけどこっちのほうが断然いい。

欠点は、登場人物が格好良すぎたこと。野田萌葱が演出するからには男は全員格好よくなるに決まっているけどこれは半分本気。扱っているテーマを考えると、もっと格好悪くてみっともなくしたほうがよかったのではないかと思う。あくまでも芝居だからどう演出したっていいのに、何に遠慮しているのか自分でもよくわかっていないけど。

<2018年5月3日(木)追記>

感想を清書。

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ホリプロ企画制作「酒と涙とジキルとハイド東京芸術劇場プレイハウス

<2018年4月28日(土)昼>

助手とともに研究に勤しむジキル博士。名門一族である学問の師の娘と婚約もすませている。かねてから研究している、人格の分離を実現する薬の発表を翌日に控えて、スピーチまで完成させている。が、肝心の研究は失敗して薬はできていない。何としてもこの発表をものにして名声と研究資金を集めたい博士は、脇役の役者をつれてきて、人格分離後の替玉を演じさせようとする。ようやく役者を納得させて練習していると、婚約者が忘れ物を取りに来る。ちょうどよい機会と婚約者に黙って替玉を試してみることにする。

初演は見逃したけど、同じキャスティングでの再演。冒頭の「好きな人の前ほど上手く心を開けない」という台詞が、別人格になれないというメインの話に絡んで進行する脚本。扱っているテーマは取りようによっていくらでも深刻になるけど、そこは三谷幸喜、ちょっとしんみりするくらいであとは全部笑いに振る。初演時にの評判が少なかったのでこのくらいの笑いかと想像した通りの線だった。

最初にもっともらしい悩みから、だんだん強引な笑いに進めていくのは王道だけど、三谷幸喜にしては珍しく役者のフリに笑いを頼る場面が多い。ジキル博士役の片岡愛之助がいい人を演じないといけないので毒気を出せず、ハイド役の藤井隆がよく言えば健康的な悪く言えば毒が足りない笑いになって、キャスティング逆じゃないのかという印象。助手役の迫田孝也が腹黒な位置づけだったけど、進行としてあまり本人が絡まないのがもったいない。

一人気を吐いていたのが婚約者役の優香で、通常場面もそうでない場面も、脚本の要求から1ミリもずれない役を披露していた。ただあれは、役者が役を創って演技しているという感じではない。普段の仕事で要求されているのか自分に課しているのか、あらゆる欲求や不満を抑え込んでその場で求められる振舞を正確に続けているうちに、その結果として姿勢や顔の表情や声の調子まで寸分の狂いもなくコントロールできるようになった人が、その方法の延長で役者をやっているような演技だった。それは鉄の根性で身に着けたであろうすばらしい技術であり、求められる振舞を察して理解できる頭の良さも必要で、それが足りない勤め人である自分には非常にうらやましい能力。ではあるけど、表現としては一番大事なところが抜けていて、脚本の要求から自分の要求で1ミリでもずらすそのずらしかたに魅力は宿るのではないかと思う。1ミリずらすと言って悪ければ、1ミリでも高く盛ること。

ついでに書くと、それで実際に役をこなしていたから、三谷幸喜も別の芝居でああいう役(ネタバレなので書かないけど)に起用したのだな、というかこの芝居の優香の演技を観てあの芝居を思いついたんだろうな、と今になって合点がいった。勝手な想像だけど、たぶん間違っていない。

生演奏はいい感じで、2人でやっていたというのはカーテンコールで気が付いたのだけど、演奏場所から演技場所が見えないためか音の入りが演技と微妙にずれる場面多数。あれは美術企画の段階か、もっと音に沿ったきっかけを作るか、どちらにしても演出で調整してほしかった。

<2018年5月3日(木)追記>

感想追加。

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2018年4月26日 (木)

黒柳徹子の海外コメディーシリーズ最終回

この記事を読み始めて、さすがの黒柳徹子も諦めたのかと思った。日刊スポーツより。

 黒柳徹子(84)が1989年から続ける「海外コメディ・シリーズ」が、今秋の主演舞台「ライオンのあとで」(9月29日~10月15日=東京・EXシアター六本木、10月中旬=大阪・森ノ宮ピロティホール)でファイナルとなることが21日、分かった。黒柳が女優として続けてきた唯一の公演で、30年で32作品を上演して、歴史に幕を閉じる。

 黒柳は同シリーズをライフワークにしていた。89年に東京の銀座セゾン劇場(00年からル・テアトル銀座と改称)でスタートし、14年からはEXシアター六本木で上演してきた。「世の中はつらいことも多いけれど、お芝居を見た時だけは笑って、『面白かった』と楽しんでもらいたかった。お客様もたくさん入って、よく笑ってくださった。感謝の気持ちでいっぱいです」。

ところが最後がこれですよ。

 昨年は8月末に大腿(だいたい)骨を骨折しながら、9月末からの舞台を車いすで演じきった。日本に海外の喜劇作品を根付かせたシリーズはファイナルとなるが、黒柳に舞台をやめる気持ちはない。「舞台のお話があって、やってみたいものであれば」。生涯女優の心意気は健在だ。

引退する気なんてこれっぽっちもない。それでこそ黒柳徹子。そのくらいの意気込みであってこそ、この年齢になっても第一線で活躍できるんでしょう。演出のクレジットに高橋昌也を入れ続けるのもなんだから、シリーズとしては一度閉じましょうかってくらいなもんですよね。

すでに来年の劇場ブッキングまで済んでいるに100ペリカ。

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2018年4月25日 (水)

岸田國士戯曲賞の選評が面白い

岸田國士戯曲賞の選評がまとまって公開されているとは実は知らなかった。とりあえず今年の分を読んでみたけど、面白い。あまり飛びぬけた候補作がなかったようだけど、だからこそなのか、選考委員の言葉が鋭い。

いくつか引用してみると、これは岩松了。

登場人物の言葉を「信じて、信じて」と言われてるような窮屈さを感じ続けた候補作の果てに読んだこの作品は、言葉など「信じなくていい」と言われているような安堵感を感じさせてくれた。実際そうなのだ、言葉など信じなくていい。信じたくなった時に信じるだけのこと。そのことがわかっているから人物の体の状態にドラマを見ようとする。石王の満洲からの引き揚げの話は語るべくして語られているから、つまり体がそれを要求しているから、信じたくなる言葉として機能するのであって、しかもそれは人が語る言葉は全て嘘、という前提を覆すことはない。嘘を信じる、という演劇の可能性に関わる問題だ。そこに挑戦するからこそ、構造に神経を使う。劇作家のやるべきことだ。

KERA。選考会は体調不良で欠席したらしい。

「面白けりゃいいのか」と言う人もいるけれど、面白くなきゃダメだ。

野田秀樹。

そういった「身の丈」から逃れられないのが、作家というものであり、作家はなにも「身の丈」にあったものだけを書けばいいというものではないが、常日頃、自分の「身の丈」を知るべきである。つまり、自分が書くことのできるもの、書いていいものを「自問自答」し続けるべきである。

平田オリザ。

岸田賞を受賞することによって得られる最大の果報は、もう岸田賞について考えずに済むことだ。

第43回から選評があるので、いずれ読まないと。

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演劇は恐ろしい

どこまでいっても個人の感想なのだけど。

観た芝居についていろいろ考えた末に「これは描かれるべき何かを隠している」という結論になった先日の芝居。単にお話を書いてそれを上演しただけなのに、そんな印象まで伝わってしまうという生舞台の不思議。

あるいは主役の仕上がりが追いつかなかったと書いた先月の芝居。今さらもっと細かく感想を書くと、引出がまったく足りなくて逆さに振ってもこの役者はこれ以上何も出せないんだろうなというのが伝わる生舞台の不思議。ただこの場合は、空っぽになるまで出し切った役者の思い切りと、そこまで出させた演出家の手腕は凄かったともいえる。

伝えたくないことまで伝わってしまって、でもそのくらい出し切れないと客席まで届かない世界。演劇ってのは恐ろしい表現形態だ。

だからこそ、「演劇は、素晴らしいです」という台詞が成立つのだな。

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