2018年2月18日 (日)

演劇はどこまでいってもコンテンツ

2017年末にちょっと静かに話題になっていた「『WIRED』日本版プリント版刊行休止に関するお知らせ」という文章。とても演劇っぽい話をしているなと思って読んでいたわけですが、その編集長がトークイベントをやるということで案内ページに前振りの文章が載っていました。その冒頭。

最近ちょっと思ったのは、いわゆる「出版モデル」ってものと「電波モデル」の違いってことでして。出版って基本メーカーなんで生産供給量の設定っていうのが最初にあるんですよ。刷り部数5万部の雑誌だったら、基本その5万人を見てればいいわけです。一方でラジオ、テレビとかの電波モデルって、これ、まずコンテンツに対して課金ができないシステムだったので、原理的にみんなに届いちゃうわけですよ。そのなかからどれだけのパーセンテージを取れるかっていうのがここでの勝負のキモなわけですよね。ウェブでいう「リーチ」って言葉は、この電波モデルの考え方から来てるんだろうと思うわけなんですが、このふたつってまったくビジネスの成り立ちもモデルも違うものなんですよね。

いわゆる出版モデルが扱っているのが「コンテンツ価値」っていうものだとすると、後者が扱ってるのって「広告価値」なんですよ。リーチが取れるっていうのは「広告価値」が高いってことになるとは思うんですが、逆にそのことによって当然コンテンツ価値は下がるわけです。ただで誰もが見れるたり読めたり聞いたりするわけですから。「情報はタダになりたがる」ってセリフ、誰が言ったのかよく知らないですけど、実感としてそう思ったこと一回もないんですよね。それって本当にあってるんですかね?(笑)。ところが広告の場合はこれが正当化されるんですよ。ただそれにしたってタダになりたがってるのかは怪しい気もして。タダにするしか方法がなかったっていうのが電波情報ってものなので、仕方なくそうせざるを得なかったって話かもしれないんですが。

刷り部数を客席数に置換えればそのまま演劇。そもそもどれだけ儲かっているのか怪しい演劇業界ですけど、やっぱり演劇というのはどこまでいっても広告モデルではなくコンテンツモデルなわけですね。今さら何をと言われるかもしれませんけど、それと対比されるものを持出すことで認識できるというのがありまして。2500年前の芝居に今さら感動して、人間ってのはあんまり進化しないものだとも言えるし、古今東西同じようなことで笑ったり泣いたりしているとも言える。

そういえば年末の休刊のお知らせのほうでも少しコンテンツについて触れている。

でも、少なくともヒトが何かをつくるってのは、なにか賭けるってことだしね。

──バクチ。

そう。コンテンツビジネスなんてハナからバクチだよ。他人と同じことをやることになんの意味もない仕事だから。再現性ないの。という意味では旅のようでもあるし。

──でた。便利ですよね、旅ってメタファー(笑)。

でも実際そうなんだよ。周りの景色は、たとえ自分がじっとしてても、どんどん変わって行く。編集長やってた間、それは本当に痛感したよ。テクノロジーってところだけ見てても、その主戦場となる舞台はどんどん動いていったから。

2500年前の話で今に通じるものもあれば、現代を切取って鋭かった話が数年後の再演でまったく輝きを失くしてしまうこともあって、本当、世の中は難しい。

ま、こういう話も仕入れておくと、演劇の話をするときに幅がでまさぁな、という雑談でした。

ちなみに休刊のお知らせが話題になった理由のひとつは守護聖人の話だったけど、みなさんは守護聖人いますか。自分はいませんけど、芝居に限って言えば、一番最初に面白い芝居は面白いんだということを教えてくれた平和堂ミラノあらため田嶋ミラノかなと思いました。上品にしていないと駄目、というのは全然守れていませんけど。

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JASRAC税より生演奏のほうが安く済む可能性について

作詞作曲する人たちはJASRACに負うところ大かもしれませんが、還元ルールが不明瞭なのと、取立て範囲で物議を醸すことが増えてきたのともあって、私は好きではありません。なのでタイトルはJASRAC「税」となっています。

去年観た芝居に生演奏の芝居が目立っていました。何でこんなに多いのだろうと考えた結果、ひょっとしてJASRACに支払う金額が高すぎて生演奏のほうが安いケースがあるのではという仮説を思いついたので調べてみました。JASRACのサイトで支払方法を調べたのですが、これが実に分かりづらい。結果、挫折しました。以下の調べた内容はエントリー執筆時点のものであり今後変更される可能性があり、かつややこしすぎてそもそも間違えている可能性もあるので、実際の支払金額を計算したい人は「使用料計算シミュレーション」のページで確かめてください。ただしこのページの使い方にも知識がいるので難儀します。

まず、曲単位ではなく利用目的で額が大幅に変動するというのが前提です。利用目的はここに記載されています。今回は芝居目的なので「(7)演劇、漫才など」を選ぶと、その目的向けの情報がまとまったページに飛びます。そこに「使用料規定(演劇、漫才、奇術、演芸その他の芸能の催物における演奏)」と書かれたPDFファイルへのリンクがあるのですが、これがわかりづらい。そもそも記載がわかりづらいのと、大元の「使用料規定全文」が載ったPDFの抜粋になっているのと、両方の理由でとにかく面倒。他に「使用料計算シミュレーション」のページなども参考にして読み解きます。

それでわかったことは以下になります。なお、利用目的によって細かいところが異なるのであくまでも演劇目的の場合です。あと、事前に申請した場合の費用であり、公演後に申請するケースについては不明です。

算出方法は(1)「1曲いくら」に曲を演奏した回数で掛けて計算、(2)「何曲使っても1ステージあたりいくら」で計算、の2通りのうち、安いほうに消費税を掛けた金額がJASRAC税になります。ただし利用目的によって「1曲」または「1ステージ」あたりの単価が変わります。以下、芝居の場合のみ確認しています。

(1)「1曲いくら」の計算方法は以下です。
・「1曲」あたりの単価は「会場の定員」と「入場料」に応じて決まる。ただしそれぞれの用語に注意が必要。
・「1曲」とは流した時間が5分以内に収まる場合を指す。5分超10分以内は2曲分扱い、以降10分までを越えるごとに2曲分の扱いが追加される(例:13分の曲なら4曲扱いになる)。また同じ曲を何度も流す場合は流すごとに別々にカウントする(例:7分の曲Aを、最初はイントロで1分だけ、最後にフルで7分流した場合、3曲扱いになる)。
・「会場の定員」は以下の方法で算出する。1人掛けの椅子席については設備されている数。2人掛け以上の長椅子式の椅子席については、当該椅子席の正面巾を0.5mで除して得た数。椅子席以外の座席については、当該部分の面積を1.5㎡で除して得た数。立見席や野外会場等、座席が設備されていない客席については、主催者があらかじめ設定した数。これにより難い場合は、官公署等に届け出た数。
・「入場料」は全席種別の平均となる。これは席数に関係なく、単純に各席種の金額を足して割ればよい(例:S席10000円、A席8000円、B席5000円、C席3000円の場合、10000+8000+5000+3000を種類数の4で割って、6500円が入場料となる)
・そこまでわかったら、「1曲」の単価早見表が「使用料規定(演劇、漫才、奇術、演芸その他の芸能の催物における演奏)」に載っているので、単価を特定する。

ここでのポイントは入場料の計算方法です。席数を使っての全体平均ではなく、席種を使っての単純平均になります。何でこんな方法を採用したのかと思うのですが、(a)席数を使うと満席の入場に対する課金になり、入りの悪い興行も珍しくない演劇の世界だと課金率を下げるような圧力がかかる(b)立見で詰めこんだ場合の定員数の勘定の面倒くささ(c)「セット決定につき見切れ席解放」に代表される空席を作らない興行上の制作努力との相性の悪さ(d)制定当時はひとつの興行で大幅に価格の違うチケットを販売することがあまりなかった(e)公演開始前に支払金額を確定できるような方法を探った結果、などいくつか思いつきますが、決め手はありません。なので新国立劇場の主催公演のように2階最後列端席をZ席として1500円で提供しているのは、お金のない人にはありがたいことであるとともに、入場料の平均を下げる効果もあります。

なお前売と当日とで金額が違う場合の対応は不明です。最近だと学生半額のような思い切った金額設定をして将来の観客獲得を目指す公演もありますが、その場合も不明です。取るほうからすれば高いほうに合わせろよとなるのではと推測します。

(2)「何曲使っても1ステージあたりいくら」の計算方法は以下です。
・1ステージあたりの単価は「会場の定員」と「入場料」と「上演時間」とに応じて決まる。「会場の定員」と「入場料」は「1曲いくら」の場合と同じ。ここでは「上演時間」について説明する。
・「上演時間」は「会場の定員」と「入場料」から、1時間以上2時間までの上演時間が決まる。これを基準額として、1時間未満の上演の場合はその半額、2時間超の上演の場合は、30分までを越えるごとに基準額の25%ずつ加算する。

調べてもらうと分かりますが、「1曲いくら」の12曲分が、「何曲使っても1ステージあたりいくら」の1ステージの基準金額と一致します。これは(このルールを定めた当時は)たいていの曲は5分以内だし、1ステージあたりの基準金額の短いほう(1時間)目一杯曲を流された場合に同じ金額になるようにしよう、という判断だったと推測します。あとキャラメルボックスが劇中で利用した曲のリストを配っていましたが、だいたい10曲強だったと記憶しています。

このため、ありものの曲を流すスタイルの公演では、こちらの金額にステージ数を掛けた費用をJASRAC税として見込んでおくのが公演時の予算管理にはよいと思われます。ところで実務上は誰が支払作業を行なっているのでしょうか。制作業務なのか、音響パートに委託されているのか。素直に考えれば制作業務ですが、そこは詳しくないので知っている人がいたら教えてください。

あと、調べ切れていない情報を補足として書いておきます。まずアメリカは売上の何%を支払うという方式になっているらしいです。このほうがすっきりしていいのではないかと思いますが、取る側にとっては後払いになってしまうのと、契約社会でごまかす余地が少ない(ごまかした場合のペナルティが恐ろしい)アメリカに比べてごまかされてなあなあになってしまいそうな日本との違いがあると思われます。あともうひとつ、JASRACは事実上の唯一の音楽信託会社になってしまっていますが、JASRACへの信託は義務ではありません。日本だとNexToneという会社があって、元々別々だった音楽信託会社が、エイベックスによって合併して出来た会社で、エイベックスが3分の1の株主です。エイベックスの楽曲はここが管理しているそうです。こちらが管理している楽曲を使う場合の対応は不明です。あとそもそも信託されていない曲は対象外です。このため、買取って信託しないという方法は可能なようです。

ここまでの話で演劇上演についてなら、使用料規定の一覧で「何曲使っても1ステージあたりいくら」の表を見てもらえば利用料はすぐに分かります。会場の定員が少人数の場合や入場料が安い場合はともかく、だいたい1%から2%の間で取ろうとしています。お客さん一人当たりに直すと数十円になるあたりで調整しているようです。たとえば200名まで4000円超5000円までだと15000円で1.5%。消費税がかかるので8%なら実際には16200円。これが安いと勘違いしてはいけない。さらにステージ数が掛かってくるから、2週末12ステージ(金土土日月火水木金土土日)やったら18万円+消費税になる。この金額を出せば美術が照明が役者が何が出来たかを考えると結構な額だと考えます。打上がタダになると考えてもよいです。もっといえば世の中は売上の1.5%というのは純利益相当という会社もざらにあるので、馬鹿にはできない金額です。ただし、作曲を依頼するにはどうかというと、相場を知りませんが、ちょっと足りない気がします。

次に映像化の話があります。最初に書いておくとテレビは包括契約を結んでいるので気にしないでいいです。NHKの衛星放送でたまに芝居を放送していますけど、ああいうものですね。それは「使用料規定全文」の第2節に載っていて、NHKやテレビ局は放送事業収入の1.5%を払うことで使いたい放題になっているからです。演劇の「何曲使っても1ステージあたりいくら」を1年当たりいくら、に拡大したものですね。使う数が桁違いでいちいち調べたり申告したりしていられないテレビ局と、額が大きいし事業収入をごまかすこともないだろうしとりっぱぐれもしないだろうというJASRACとの利害が一致した契約と思われます。

いわゆる物販されているDVDのようなものの扱いが気になるところですが、これがまたややこしい。私の理解では以下になります。
・通常のDVDやBDなどは「使用料規定全文」第7節ビデオグラム録音の(3)ドラマ・アニメのビデオグラムに該当する(根拠は同節の用語の定義の(オ)に明記されているから、ちなみにオペラやミュージカルは(ウ)より音楽のビデオグラム扱いになる)。
・それを映画館で上映「ゲキ×シネ」のようなものは「使用料規定全文」第3節映画のイベント上映に該当する(根拠は同節の用語の定義の(3)に含まれるから、この場合はオペラやミュージカルもここに含まれる)。
・それをネットで流す場合は「使用料規定全文」第11節インタラクティブ配信の(3)商用配信(音楽以外の著作物を利用することを主たる目的として配信する場合((1)、(2)の規定が適用にならない場合))に該当する。これもダウンロードの場合、ストリーミングの場合、から始まって細かい規定がある。

もう面倒くさいから細かく書きませんが、
・DVDやBDの場合は1曲1分(5分ではないのに注意)あたり800円の基本利用料、加えて1曲1分ごとに、総再生時間中に曲が利用されている時間(分)の4.5%を税抜価格に掛けた金額と1円80銭の多い額を掛けたものをパッケージ1本ごとに払う。切上の適用タイミングに注意。超適当な計算で、120分中12曲流れていたら基本料金が9600円、加えてパッケージ1本あたり税抜価格3000円なら21.6円(税抜価格から計算した金額より1曲あたり1円80銭のほうが高い)を払う。
・映画の場合は1曲5分以内あたり5万円の基本利用料、加えて1回の上演あたり数百円から1000円強が必要。
・ネットで流す場合。ダウンロード販売なら1本あたり1曲4円40銭、12曲使っていたら52.8円。ストリーミングなら月間収入の2%、ただし月間最低利用金額が5000円。

本当は実際の上演例を当てはめてシミュレーションまでしてみる予定でしたが、いいかげん調べるのも書くのも嫌になったので止めます。わざと分かりにくくしているとしか思えない。結論は、よほど大規模な公演およびパッケージ販売を見込むのでない限り、支払う金額だけを真面目に計算するなら、作曲や演奏までしてもらうよりはJASRAC税を払ったほうが安くなりそうです。ただ、金額もさることながら、これらをいちいち計算して書類を書いて支払ってそのために作業時間を割いたり人を雇ったり・・・という負担が高い。作曲がいくらくらいするものなのかはわかりませんが、録音してもらうか生演奏してもらうかはさておき、作曲してもらって買上げて映像化の利用権も込みで上演段階で契約してしまったほうがよっぽどすっきりします。特に今は撮影した映像をインターネットで流す可能性があるので、それらの権利をすっきりさせるほうが重要なケースが増えてくると想像します。シェイクスピア・カンパニーの上演撮影を日本の映画館で上演するようなケースもありますし。

疲れ果てましたが以上です。

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2018年2月17日 (土)

載せない賞を宣伝に使っている話

そろそろ3月4月の芝居のメモでも作るかと調べていたところ、数々の演劇賞を受賞したという団体が目に入った。けど賞の名前はどこにも書いていない。ホームページに行ってみても受賞歴が記載されていない。検索したところ、受賞歴があるのは本当だった。あまり名前を聞いたことのある賞ではなく、かつ優勝や大賞でもなく奨励賞などが主な模様(なお「数々」の数も載っていたけど、全数一致するかまでは調べていない)。

受賞数だけ載せて賞の名前を載せないのもあまり見かけないことなので、理由を想像してみた。

・受賞はしたもののその賞にエントリーしたことで名前も載せたくないくらい不愉快な思いをした

・無名な賞を誇ることで逆に客からその団体がいじましく思われてしまう可能性を避けた。

・その賞が参加賞に近いものだった、参加した団体が何かしらはもらえるような賞であり、知っている人が見ればそれが分かってしまうようなものだった。

・受賞に当たって何らかの裏工作を行なった

受賞したのだから載せて宣伝に活用すればいいと思う。けど賞の名前を載せないくらいなら、受賞の数を誇るのも止めたほうがいいと思う。法律や業界の慣習で許される許されないの話ではなく、宣伝に関する矜持の話。

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2018年2月13日 (火)

こまばアゴラ劇場が演出家コンクールを開催

本当に平田オリザはいろいろな企画をよく思いつく。公式サイトより。

 現在の日本の演劇界には、演出家に対する賞、特に演出能力そのものを評価する賞が少ないという問題があります。また、若手演出家には自分と異なる文脈を持つ戯曲や俳優に触れる機会がほとんどありません。これらの現状を踏まえ、あらかじめ配役された青年団・無隣館及び、関連団体の俳優とともに、若手演出家が課題戯曲の演出に挑む3日完結型のコンクールを実施します。こまばアゴラ劇場は、身一つで参加できる本コンクールで、若い演劇人たちに新しい出会いや視点を得る機会を提供していきます。

3月締め切りの選考に通った演出家は、初日は一次審査で1日勝負、2日目は1日稽古して、3日目に二次審査だそうです。自分と異なる文脈を持つ戯曲はさておき、役者はそもそもいないだろう青年団みたいな役者は。でもそれで役者のばらつきを抑えつつ、審査基準に

①体、言葉、空間を制御する技術
②独創的・批評的な感性
③はじめて仕事をする俳優たちとのコミュニケーション能力

ってあるから、まあ多少の役者の違いは問題ない。というか、青年団の役者であればたいていのことには対応できるはずというのが観客として感想なので、そこにケチをつける演出家はお呼びでない。宿泊補助付きだから身一つというのも伊達ではない。こういうところにこまばアゴラ劇場を長年運営してきた経験が生きている。

我こそはと思う演出家は応募してみては如何。

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2018年2月 5日 (月)

東京芸術劇場がアーツアカデミー研修生を募集中

首都圏の公立の劇場だと、新国立劇場と座・高円寺に演劇研修所があって(座・高円寺はスタッフもあったはず)、世田谷パブリックシアターと神奈川芸術劇場がスタッフ向け研修をちょくちょく開催していて、さいたま芸術劇場は研修がない代わりにゴールドシアターとネクストシアターを抱えていて、みたいに特色がある。

その中でも劇場の規模の割りには研修業務を見かけることが少なく、フェスティバル/トーキョーみたいなイベント中心でやっていくのかと思っていたら、経験者に限るけど、まさにそういうイベントを担えるような制作者や教育者向けの研修生を募集していた。こちらが募集要項ページ

研修目的

公立文化施設等の公的機関や芸術団体、または今後東京で行われるフェスティバル事業等で活躍することを目指す若手人材に対し、プロデューサーやコーディネーターとしての資質の向上、又は舞台芸術分野へのキャリアチェンジに資することを目的としています。レクチャーやゼミ、現場での実務研修を通して、それぞれの業務に必要な知識や技能を付与するとともに、他の劇場関係者とのネットワークをつくる機会も提供します。

研修目標

・現場経験:机上の論で終わることなく、理想を実現するための経験を蓄積する。
・ナレッジ:キャリアの基盤となる豊富な知識と、クリエイティブな思考を身につける。
・ネットワーク:将来のキャリアにつなげるネットワークを築く。

短期3ヶ月、長期10ヶ月でほぼフルタイムに相当する時間を使って、さらに提出するレポートの作成も必要だけど、レポートに対する支払いという形で毎月18万円もらえるらしいので、金銭面もいろいろ気を使っている模様。説明会が2月10日にあって、応募締切が2月22日なので、もうすぐだけど気になる人は要予約の説明会に参加してみては如何。

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2018年1月24日 (水)

パルコ/兵庫県立芸術文化センター共同製作「テロ」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2018年1月20日(土)夜>

飛行機がハイジャックされて満員のサッカースタジアム目掛けて自爆テロを試みた。緊急発進した空軍の戦闘機の警告も無視し、国防長官はそれ以上の攻撃命令を下さない。とっさの判断で戦闘機のパイロットはミサイルで飛行機を撃墜、テロリスト以外に乗客乗員164名全員が死亡した。この行動で訴追されたパイロットおよび検察官、弁護士、証人たちを巡り、観客が有罪無罪を判決する裁判劇。

神野美鈴の検察官と橋爪功の弁護士とが被告の有罪無罪を巡って繰広げる実にスリリングな会話劇。裁判長の今井朋彦が出す説得力がさすがで、この芸達者揃いの中でも一番よかった。3時間の長丁場も苦にならない納得の仕上がり。すごくいい。

観客席を陪審員席に、観客を陪審員に見立てて進むドイツの裁判所が舞台の裁判劇(劇中では「参審員」と呼んでいた)。1幕で証人尋問と被告の陳述、2幕で検察官と弁護士の弁論、この後の休憩で観客が実際に有罪か無罪かに投票し、短い3幕目は投票結果で有罪無罪を決定して内容が変わる仕組。裁判長役の今井朋彦が(脚本通りとは言え)相当丁寧に進行して、投票方法も説明してくれるので観ていればわからなくなることはない。その点は心配無用。

1幕が終わった時点で裁判長から休廷が知らされて、普通なら役者が退場するのを待って客席も動き出すところ、それを待たずにいっせいに客席が動き出したところなど、現実の出来事のよう。すっかり観客を参審員として巻き込んだ手際はさすが。

つまらない結論にならないように外堀を埋めて、お互いの言い分を存分に語らせて、理屈も感情論も大いに出して、脚本は実に精緻。その上で検察官と弁護士の最終陳述させるけど、お互いの主張に少しずつ突っ込みどころを用意して観客を揺らすあたり芸が細かい。ちなみに毎回の投票結果は公式サイトで公表されていて、観た回は有罪166対無罪225で無罪だったけど、見てもらえばわかるように僅差の回が多い。自分がどちらに投票したかは内緒。

何となく、神野美鈴と橋爪功が細かい仕草や言い回しで(相手に押し付ける形で)票を誘導している気配があったけど、そんなことは気にせずに投票するべし。これは観てもらえばわかるけど、最初に有罪無罪の先入観があっても本当に悩む。大御所を揃えながら地味に徹したスタッフワークにもこっそり拍手。票数で集客がわかってしまうけど平日は余裕、休日も開演前に並べば買えるから、観てみてほしい。

これと「アンチゴーヌ」が両方パルコの絡んだプロデュースなんだから、劇場がないのにむしろ張りきっている。どちらも今の日本にぴったりな決断に絡む芝居で、新年早々こんな社会派のラインナップを並べてしかも観て堪能できる芝居に仕上げたパルコ(とこちらは兵庫県立芸術文化センターも)に拍手。

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東京芸術劇場主催「秘密の花園」@東京芸術劇場シアターイースト

<2018年1月20日(土)昼>

東京、日暮里のアパートに暮らすポン引きとホステスの夫婦の部屋に、ホステスの店の客だった男が通い続けている。ただし男はホステスに手を出さずに毎月自分の給料を渡しており、ポン引きの夫もそれを承知している。ホステスは町の実力者の甥から求婚されているがまだ受けていない。そんなある日、男は大阪に転勤になることを告げる。そこで騒動が巻き起こったあと、男を迎えに来た姉は、ホステスと瓜二つだった。

おっかなびっくりで観たけど、いまいちな仕上がり。アングラな芝居の持つエネルギーに丁寧すぎる演出がブレーキを掛けて乗りこなせなかった印象。柄本佑と寺島しのぶの主人公2人はストレートプレイで、実力者の叔父の池田鉄洋は小劇場、実力者の甥の玉置玲央はアングラ、田口トモロヲは不思議な演技。登場人物ごとに雰囲気が違って揃っていないのと、なによりほとんどの役者の声が出ていない。大量の本水をつかった美術と、選曲に時代を感じさせつつ現代の設備に耐えうる音質の音響など、スタッフの気合が入っていただけに残念。

ただ、いろいろ考えたらそもそも乗りこなせなった印象が正しいかというと、そうとも思えなくなった。ここから先はあまり芝居と関係ない雑感。

大量の言葉と息をつかせぬスピード感で、理解させるより先にわけのわからない設定を進めて、気がついたら何かよくわからない到達感を覚えさせるのが唐十郎の手法。それはやっぱり言葉を意味と音の両方から操れる詩人の仕事で、唐十郎は何よりも詩人だということ。観ていて思ったのは、野田秀樹は確実にこの詩人・唐十郎の系譜に連なるということ。

一方、身体的に個性のある役者(障害者という意味ではないです)を配してある種の重さ、泥臭さを出すのも、特権的肉体論(全然わかっていないけど「訓練された普遍的な肉体としてではなく、各役者の個性的な肉体が舞台上で特権的に『語りだす』ことを目指した演劇論」)と言い出した唐十郎の特徴で、たぶん唐十郎と一緒に仕事をした蜷川幸雄もこれを体質にしたのだと思う。「薄い桃色のかたまり」に出ていた役者陣の演技(もっといえば劇団員選抜の時点)に、その片鱗を感じさせた。蜷川幸雄は脚本の読み解きはもっとテクニカルというか今時風、西洋風だった。この身体性と脚本読み解き技術とが混ざって芝居が出来上がると、洗練されすぎて鼻につくこともなく、かといって泥臭すぎて目を背けたくなることもなく、地に足の着いた仕上がりになって、それが魅力だったのだろうと今になって思う。

出典は失念したけど、串田和美は野田地図「カノン」の出演からだいぶ後のインタビューで、野田秀樹の芝居に出るとみんな声を張って走り回る、ああいうのではない演出もあり得ると思うのだけど気がついたら自分が頑張る余地はなかった、という感想を述べていた。今回の上演は(野田秀樹が芸術監督を務める)東京芸術劇場の「現代演劇のルーツといえるアングラ世代の戯曲を若手・気鋭の演出家が大胆に現代の視点で読み直す」企画であるRooTSの一環で行なわれたものだから、まさに串田和美の指摘どおりの企画。詩人の仕事にも特権的肉体論にも囚われる必要なく、純粋に組立てなおせる可能性もあったはず。

今回の公演に際して松尾スズキがどこかで福原充則を「アングラをよく知っている人」とコメントしていて(他の役者が聞きだしたコメントだったかも、これも出典失念)、それが引っかかっていたけど、なんとなく理解した。たぶんアングラな芝居を原案と違う演出で上演するのに、アングラに詳しすぎるとそれが足を引張って自由度が下がる、それで上演して吉と出るか凶と出るかわからないけど頑張れ、みたいな含みをもたせたのだと推測。

そこまで考えると、田口トモロヲの軽快かつ実感あふれるヒモっぷりが目指すラインではなかったか。暑くるしいアングラ芝居にいかず、かといって嘘臭くもなく、軽演劇風でもなく、今回のキャスティングの中でひとりだけ形容しがたい演技だった。でもあのラインの演技を他の役者がすんなりできるとも思えず、形を変えた特権的肉体論のような気がする。寺島しのぶのおとなしめの演技もそういうラインを目指したのだと考えれば腑に落ちるのだけど、貧乏ホステス感を出すにはちょっと上品すぎたのと、柄本佑が応えられていなくて失敗した。姉役はアングラ感を強めに出していたけど、あの場面の連続ではアングラ感を出さないほうが難しい。ただ田口トモロヲは隅にいるときは細かい演技で、真ん中に出てきたときも声を張りすぎずにやり通した。結局は声か。あの演技の秘密がさっぱりわからない。

観客としては面白ければよくて正解はないのだけど、つまらない不正解はあって、今回の仕上がりは不正解だった。

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2018年1月16日 (火)

パルコプロデュース「アンチゴーヌ」新国立劇場小劇場

<2018年1月13日(土)夜>

2人の息子と2人の娘を残したオイディプス王の亡き後、息子たちが王位を交代で務めて治めてきた古代ギリシャの都市国家テーバイ。だが2人の息子が王位を巡る争いで戦争を起こし、刺し違えて亡くなる。代わりに王位についたオイディプス王の義弟クレオンは、甥である兄弟のうち、弟を反逆罪として遺体を野ざらしにした。遺体を弔うものには死刑を命ずる法を発行したが、オイディプス王の末娘であるアンチゴーヌが埋葬の儀式として土をかけて、見張りの兵士に見つかってしまう。アンチゴーヌを救いたい王クレオンは今回の処置の意義を言葉を尽くして説明するが、兄を弔うことに咎めるところのないアンチゴーヌは真っ向から反論する。

ジャン・アヌイ作の古代ギリシャを舞台にした翻訳劇。新年早々パルコの割に地味な演目と思ったらとんでもない。個人が自分の信ずるところを行なう信念と、国の平和を願って個人の意見を飲みこんで汚い仕事を推し進める信念とがぶつかり合う言論劇。対立する両者に肩入れしたくなる大人の芝居。現代風の衣装と音楽に、荘厳さを思わせる照明と十字舞台を切って、大昔の設定なのに現代にも通じる、なかなか観られない出来。

蒼井優演じるアンチゴーヌが小さい身体からほとばしる感情を全力で訴える姿と、生瀬勝久演じるクレオンが大きい身体に秘めた繊細な心を除かせながら脅したり宥めたりして説得に努める姿との対比でキャスティング大成功。持っているカードを最初から切っていくアンチゴーヌと切札を使わないで済ませたいクレオンとの勝負とも言える。中盤はほぼ蒼井優と生瀬勝久の一騎打ちで、蒼井優も相当頑張ったけど生瀬勝久が圧倒的によい。他の役者も設定背景を膨らませるのに貢献。ここまで役者の力を引張りだした栗山民也の演出手腕はさすが。

当日券が2階席しか売っていなかったけど1列しかないので距離も近く俯瞰もできるので十分楽しめる良席。十字に切った舞台の、いつもの使い方の手前から奥に伸びる通路がメイン舞台。十字の見切れの範囲は意識してある程度外してくれるしネットでぎりぎりまで見えるよう、最初から座席下にタオルケットを用意する配慮ぶり。1階席は客席通路まで乱入してくれていたので臨場感抜群。

値段は高いけど奮発した芝居も観ておくものだと言いたくなる芝居。

<2018年1月26日(金)>
速報を清書。

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シス・カンパニ―企画製作「近松心中物語」新国立劇場中劇場(ネタばれあり)

<2018年1月13日(土)昼>

元禄時代の上方、新町の遊郭。落とされた手紙を拾って送り主に届けに来た飛脚屋。普段は遊郭に寄付きもしない固い男だが、届けた先の店で働く遊女梅川に一目惚れし互いに恋に落ち、通い詰める。一方飛脚屋の幼馴染で道具屋の従妹と結婚した婿養子は、商売下手ゆえ姑と折合いが合わず連日遊郭に泊るが、夫に惚れて心配する娘を案じる姑が自ら連れ戻しに来る始末。ある日、裕福な商家の旦那による梅川の身請話が持上がるが、飛脚屋の養子には身請けできるような金の持ち合せはない。思い余って相談された道具屋の幼馴染は、相談なしに店の金蔵をこじ開けて手付けの金を貸してしまう。

タイトル通り最後は両方のカップルが心中になる。筋立てはシンプルを通り過ぎて雑じゃないかという不思議な脚本。成立させるには役者スタッフ総動員が必要だと思うのだけど今回は失敗。

梅川役の宮沢りえが真っ向勝負で最高にいい出来に持ってきて、飛脚屋の堤真一も悪くなかったけど、道具屋の池田成志と小池栄子の2人を最後までコメディ要素強めにしたため、緊張感が台無し。確かにふざけた展開の2人ではあるけど心中の場面までコメディになってしまいやり過ぎた。飛脚屋仲間の市川猿弥や姑の銀粉蝶もよかっただけにもったいない。あと多数の場面転換をこなすために劇団☆新感線でよく観るような骨組みだけの箱を使っていろいろな店の内外を作っていたのだけど、劇場の広さに対して柱が細すぎたせいか華奢な印象になってしまったのと、上側がスカスカな印象と、悪い感じが目立った。

全体には、正面からぶつかったほうがよい脚本にずらした体で臨んだいのうえひでのりの演出判断ミス。あそこまで仕上がっていた宮沢りえがもったいない。

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あうるすぽっと主催「あうるすぽっとでお正月」あうるすぽっと

<2018年01月06日(土)昼>

講談の神田松之丞、落語の桂吉坊、浪曲の玉川奈々福3人揃ってのトークから開始。関所を越えられずに箱根の山中で籠屋と一夜を過ごす宮本武蔵が出合ったのは「狼退治」講談。商家の前に捨てられていた犬が亡くなった飼犬に似ていたからと引取られた先は「鴻池の犬」落語。名人・左甚五郎に小田原にいると噂を聞いて弟子入りしたい江戸の大工が行ってみると「狸と鵺と偽甚五郎」浪曲。最後にまた3人揃ってのトーク。

結構広くて天井も高いロビーでは親子連れが独楽を回したり羽子板で遊んだり甘酒が振舞われたりとにぎやか。さらに開演前にはチンドン菊乃家によるチンドン屋がいろいろ披露してくれてお得感が高い。公演が始まってもロビーで遊び続けられるし、ロビーまでは無料。むしろこの遊びの一環で企画されたという順序が正しいか。干支にちなんで犬の話を選んでほしいところ、たぶん揃わなくて動物に関する話というお題で選ばれた3本。これらの芸能に馴染みの薄い観客にも楽しんでもらえるよう、講談落語浪曲の違いや上演時の特徴をを説明しながらの話芸。

講談はよく出来ていたのだけど、惜しむらくはちょうどこの話だけNHKのラジオで聞いたことがあって重複。あと終盤のこの籠屋が実は何某(名前失念)で、これが誰かはみなさん後で検索してくださいというやり方をしていたけど、志の輔の落語なんかではこういう解説も実に上手に展開するので、もう一歩親切心がほしい。落語も上手だったけどややしんみりする点もある話でもったいない。浪曲はトリを務めただけあって明るさ勢いは一段上だけど人間に恩返しをする狸の話も何となく持駒の中では不得手に分類される演目のように思われる。干支に絡めるのが無理だった時点でめでたい話で揃えるように舵を切ったほうが演目の幅が広がったと思う。もし定番化するなら来年以降の検討課題で。

むしろ最初と最後のトークがみな詳しくて興味深い話が多い。落語はともかく講談や浪曲は演者が100人切っている業界で、そこにわざわざ飛込むのだからマニアな人であるのは当然か。相手の業界についてもいろいろ知っている気配で、トークの時間をもう少し取ってもよかったかも。

あと3本とも話が中心の芸なので目の不自由な人たちが何人か聴きに来ていたけど、普段は芝居ばかり観ているからそういう需要に気がつかなかった。で、その客が入場するときは階段が危ないからロビーのスタッフが横の扉まで誘導して入場させていたのだけど、休憩時間にたぶんトイレで退場するときに自力で同じ扉までたどり着いたらそこが閉まっていてまごついていた。これは最寄の他の観客が階段のある後方の出口に誘導して事なきを得た。一度入ってきただけで道を覚えていた客はさすがだけど、あれは休憩時間だけでも場内場外にスタッフを待機させて誘導できるように見てもらったほうがよい。

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