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2019年3月26日 (火)

神奈川芸術劇場の芸術監督後任は長塚圭史に

ついこの間、全力の2019年度のラインナップを発表した神奈川芸術劇場ですが、早々に後任芸術監督の発表もされました。ステージナタリーより。

長塚は4月1日から2年間にわたり芸術参与を務めると共に、次期芸術監督予定者となる。14年から劇場のアーティスティック・スーパーバイザーを務め、16年に芸術監督となった白井は、「スーパーバイザーになったときは劇場のことが何もわからず、芸術監督として方向性を打ち出すまでに2年かかった。21年度以降は新しい監督に立ってもらいたいと思いましたが、準備に2年かかった経験があったので、長塚さんに19年度から参与をお願いした」と長塚の就任経緯を語った。

事前に参与に就任して準備するのは新国立劇場の小川絵梨子と同じスタイルですね。なお新国立劇場は一期が4年の任期ですが、

白井は「2021年には僕は63歳で、もし2期目を務めたら68歳。そんなおっちゃんがやってどうすんねん!と思う」

とあるので、任期は一期が5年のようです。

ところで芸術監督(候補)の人材は貴重です。表向きの仕事は劇場の方針を打出してラインナップを決めることですが、それ以外にというかそのために、演出家として面白い舞台が創れる能力を持つこと、ラインナップに沿った招聘を実現できる業界コネクション、集客力、そして自分の方針を周囲に納得させる政治力が求められます。それらがうまくいかず、鵜山仁が新国立劇場の芸術監督を一期追放の憂き目にあった例もあります。長塚圭史についてはコクーン歌舞伎の演出助手を務めていたので串田和美が(まつもと芸術劇場やシアターコクーンの)芸術監督後任に目をつけているのかなと思っていたのですが、白井晃にさらわれました。

後任探しにはその劇場で上演してもらうのが一番で、その目で眺めると新国立劇場は今期どころか宮田慶子時代から次の次を狙って種をまいているように見えます。新劇系が多いですが、それは芸術監督の系譜を考えたらしょうがない。小川絵梨子がいきなり見つかって引受けてもらえたのは豪腕と幸運のなせるわざで、二期8年は固い。神奈川芸術劇場も長塚圭史がチョンボをやらなければ二期10年はいくでしょう。東京芸術劇場の野田秀樹は実績十分の絶好調で終身芸術監督の見込み。さいたま芸術劇場の蜷川幸雄の後任は劇場と縁の深いホリプロつながりということもあったかどうか、吉田鋼太郎に決まって間がありません

他に首都圏の国公立劇場で芸術監督を置く劇場としては、世田谷パブリックシアターと座・高円寺の2つがあります。ただ野村萬斎はまだ50代、狂言分野の家元一族後継者、オリンピックの総合演出までやる知名度を考えると、終身とは言わないまでもまだまだ続きそう。となると、初代世田谷パブリックシアター芸術監督にして今の座・高円寺の芸術監督の佐藤信が、高齢もあって今後どうなるか注目です。ここは劇場創造アカデミーというコースもあるので、就任者によっては化ける可能性がある。いや佐藤信には長生きして活躍してほしいのですが、一方で他の芸術監督劇場と比べて、なかなかカラーが打出せないように客の目からは見えるので。

昔はKERAがどこかの芸術監督の後任に就任するのではないかと思っていましたけど、今の活躍と年齢を考えると今さらに思えます。誰か候補を挙げろと言われたら、新劇系統なら新国立劇場で演出したことのあるあの人やあの人、他なら青年団出身者の岸田國士戯曲賞受賞者のあの人やあの人やあの人を挙げます。

なんで私はこんなに芸術監督ウォッチしているんでしょうね。別に人事が三度の飯より好きということはないのですが。ただ、芸術監督の手腕如何で面白そうな芝居が増えるという事実を目の当たりにしているので、一観客としても気になる内容なのは事実です。

2019年3月24日 (日)

緊急口コミプッシュ:燐光群「あい子の東京日記 / 生きのこった森の石松」ザ・スズナリ

感想はこちら。2本立てで勧めたいのは「あい子の東京日記」のほうなので、鴨川てんしには申し訳ない。

その「あい子の東京日記」は、仮に再演されるとしても、もっと慣れた感じになる前、このタイミングで観たほうがいいと思う。地味といえば地味だけど、派手か地味かより質の高低を求めるような人には強く勧めたい一本。昨今のチケット高騰の中では比較的安いし、なにより書いている時点であと1日2公演しかないので迷ったらぜひ。

あと燐光群はこれをきちんと映像込みの記録を残しておいてほしい。毎公演ビデオ撮影くらいしていると思うけど、ぜひ。

燐光群「あい子の東京日記 / 生きのこった森の石松」ザ・スズナリ

<2019年3月23日(土)昼>

燐光群の中山マリが、母で作家の中山あい子が書いた「私の東京日記」を元に、母と自分の生活を語る「あい子の東京日記」。森の石松が現代でおでんの屋台をひきながら客と語る中に様々なエピソードが語られる「生き残った森の石松」。

2本立て。最初のタイトルとは順番が入替わっていたのでその順で記載。「あい子の東京日記」が不思議な雰囲気で抜群に引きこまれる。これですべてではないけど今なら話せそうなところまで話してみました、という奥ゆかしさにあふれる仕上がり。一人芝居(劇中劇の場面では援軍が入る)を引張った中山マリの、子供劇団から役者を続けていたという実力も堪能。母と娘の演じわけが、そんなに素早くないメガネの有り無しというベタな方法を律儀に続けていたけど、それすら雰囲気。珍しい経歴で育って母と過ごした娘が、大きくたくましい母が娘をよく見て書き残した本を通じて演じてみせることによって(ややこしい)、人生と母への愛情が伝わる一本。これは中山マリが元気なうちに再演されるべき名作だと思うけど、書いている時点であと1日2回公演しかなく、再演される保証もないので、間に合えばお勧めしたい。

一方「生き残った森の石松」は、当日パンフによると森の石松モノの名場面を元に構成したとのこと。残念ながらその知識が皆無だったので、設定を理解するまでに時間を要した上に、その理解の前に現代の風刺ネタが混ざったりしたので、かなり混乱した。これはひょっとしたらメイン上演の「九月、東京の路上で」を観たあとに観たほうがよかったのか。

パラドックス定数「Das Orchester」シアター風姿花伝

<2019年3月22日(金)夜>

ナチスが政権をとった直後のベルリン。世界を代表するオーケストラと、最高の音楽を要求してオーケストラに君臨する指揮者。民族の優秀さを示すため、またユダヤ人の追放を画策するため、オーケストラを支配下に置こうと工作を進めるナチス。最高の音楽のためには民族など関係ないと一蹴する指揮者だったが、時代の流れはそこまで迫っていた。

1年間7本公演の最後。固有名詞を出さないあたりが一種の作劇術なのかもしれないけど、オーケストラはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、みんなからマエストロと呼ばれる指揮者はフルトヴェングラー(ここは「ヴ」を使いたい)。大学時代の初脚本をリライトして上演とのことだったけど、新作と言われてもわからないくらいこれまで観たの事件モノの芝居とまったく同じ雰囲気。脚本家としての趣味はまったく変わっていない模様。

大勢の楽団員を率いる指揮者と国民を熱狂させたヒトラーを重ねたり、楽団員がいないと何もできないという指揮者のありようが演劇の演出家に重なったり、演劇は言葉を扱う芸術だからか簡単に扱えましたよというゲッペルスの言葉は日本も似たようなものだったり、音楽は抽象的であるがゆえに直接的であるという(元ネタがあるのかわからないけど)切れる台詞が出てきたり、扱っている話題がかなり奥行きを持っていてしかも狙ったものかどうか今の日本にタイムリー。国立つながりで、6月に予定されている新国立劇場の脚本にこれをぶつけたら面白かったのではないか。

その一方で直接的な表現かつヒロイズムに満ちた台詞が多い。これなら演技をもっとクールに振ってバランスを取ってほしかったところ、そこに付き合って甘めの演技が多かったのが残念。そんな中で指揮者の秘書を演じた松本寛子が気丈なところから絶叫まで見所を体現。ちなみに野木萌葱の芝居で女性登場人物を観たのはこれが初めて。今後も出てこない気がする。

今回も面白いけど、これは演出家が違うと化ける脚本なので、将来どこかの団体で上演してほしい。シス・カンパニーあたりでやってもらえないものか。

2019年3月20日 (水)

名取事務所「ベッドに縛られて / ミスターマン」小劇場B1

<2019年3月14日(木)夜>

10年間ベッドに寝たきりの若い女性の元に父親を名乗る男がやってきて2人で交互に語りつくす「ベッドに縛られて」。母と2人暮しで信心深い息子が、その信心深さから孤立していく「ミスターマン」。アイルランド芝居の2本立て。

後で気がついたら昼も夜も小田島恒志の翻訳という1日。2人芝居と1人芝居(声だけの出演あり)で登場人物が少なく、セットも固定で、勢い多い台詞への比重が高くなる2本。

これでもかという早口で全編通した「ベッドに縛られて」は、早口に囚われて起伏の付け方に失敗。様子がわかってくる後半はまだしも前半はつらい。その点は時間の短い「ミスターマン」のほうが1人芝居ということもあってまだつけやすかったようだけど、これでも起伏は不足している。2本立てで時間が足りなかったか、全体に、演出がHowにこだわってWhatやWhyを掘下げきれなかった印象。「ベッドに縛られて」の寺十吾と小飯塚貴世江、「ミスターマン」の斉藤淳とも適材適所だったのにもったいない。ただ斉藤淳はこいつヤバイ感が全開の怪演で、探せば名手はいるものだ、の感を新たにした。

それにしてもネタばれだけど、2本立ての両方とも殺人が起きる。マーティン・マクドナーといい、このエンダ・ウォルシュといい、苦しい環境で精神に異常を来たして人を殺す以外のアイルランド芝居はないのか。

加藤健一事務所「喝采」下北沢本多劇場

<2019年3月14日(木)昼>

1950年のアメリカ。初演を3週間後に控えている舞台が、契約上の手違いで主演俳優が映画撮影のため離脱してしまい、制作者、演出家、脚本家が代役に頭を悩ませている。アンダースタディのベテラン俳優の起用を主張する演出家に対し、新しい役者を手配しようとする制作者。かつて彼の舞台を観た演出家にはその実力が忘れられないが、アルコールによる失敗を懸念する制作者は反対する。不安定な契約ながらも主張を通した演出家。だが当の俳優自身が不安を抱き、その妻はそれ以上に心配する。

加藤健一事務所は初見。いまどきこんなバタ臭い芝居があるかと思いきやよくよく見ると、バタ臭いベテラン俳優の加藤健一、バタ臭さに付合うけど一線は守る演出家の小須田康人、最初からバタ臭さに付合うつもりのない妻の竹下景子、バタ臭さに付合うことで見せ場との落差を作って盛上げるプロデューサーの奥村洋治など、役者によって微妙に違うスタンスに興味をそそられる。小須田康人がとてもよい感じ。

舞台は1950年のアメリカ・・・と始まるナレーションで舞台設定を説明しながら開演するのは脚本の指示なのか演出の工夫なのか、芝居初心者へのハードルを下げる工夫として感心。ただ、最初はベテラン俳優が主役だったのが、途中からその妻が主役の話に移ってやや困惑。有料パンフレットでは、原題が「The Countory Girl」で、そこに作家の思いが込められていると演出家が文章を寄せていた。そこまで考えていてなぜこういう演出になる。それと、どこかつながりの悪さを感じる脚本で、特に演出家がそこまでベテラン俳優に拘る理由が、昔観て感激したという説明はあっても希薄だった。時間短縮のために一部場面をカットしていたのかもしれない。次回も翻訳モノだけど今回に増して文学座のエースが集結する座組なので、もう一度観たいところ。

あと細かいところで、開演前のアナウンスが、他所では「携帯電話やスマートフォンをお持ちのお客様は・・・」と流すところ、「スマートフォンや携帯電話をお持ちのお客様は・・・」と流していた。この順番で聞いたのは自分は初。今のスマホの普及率を考えると他所もこの順番に直したほうが時勢に合う。

2019年3月15日 (金)

小田尚稔の演劇「是でいいのだ」三鷹SCOOL

<2019年3月9日(土)夜>

東日本大震災が起きた日の新宿駅近く。就職活動をしていた女子学生は面接が中止になった挙句に電車が止まって家まで歩いてかえる羽目になる。喫茶店で離婚届の書類を書いていた女性は埼玉に帰れずに公園で休んでいたところを、寝過ごして地震に気がつかず中野からやってきた学生に声を掛けられてカラオケボックスで休む。スマートフォンの調子が悪い会社員は仕事で六本木に来ている最中に地震に遭う。新宿の本屋で働く女性は入社2年目にして仕事に疑問を抱く。その日の話と、だいぶ経ってからの日の話。

1年前に観た前回から、脚本はおそらく同じで、一部キャスティングが代わり、その分良くも悪くも違う雰囲気に仕上がっていた。役者のレベルは今回のほうが上で、笑える場面も増えていた。ただし声も態度も強い感じの役者が増えて、小さい人間の弱いところを絶妙のバランスで描く感じはなくなっていた。観る人によるだろうけど、個人的には前回のほうが好み。こういうことがあるから演劇は難しい。

青年団「思い出せない夢のいくつか」こまばアゴラ劇場(若干ネタばれあり)

<2019年3月6日(水)夜>

歌手とマネージャーと付人が、営業先に移動するために夜中の電車に乗っている。煙草を吸いに行った別の車両では、妙な乗客に話しかけられて辟易とする。車中のこととてたいしたことができるわけでもなく、取りとめもなく交わされる会話の数々。

あれと言えばこれと返せるくらい話が合う付合いの長い歌手とマネージャー。別の人間と結婚数ヶ月で破綻した歌手はマネージャーにひそかに好意を寄せているが、独身のマネージャーは歌手がいないときに「夫婦が似るって本当ですか」と聞く若い付人に懸想する。それを察していながら知らん振りして若い付人を遠くへやれないか考える歌手。三角関係の事情がわかるにつれて、何気ない会話が手に汗握る牽制に見えてくるのが見所。別の車両の乗客に銀河鉄道の夜の登場人物を引いて先行きの不安を醸しだしながら、見方のわからない星座盤でこれからの混乱を暗示する手際。

静かな演劇に見えて内面は全然穏やかではない脚本は、これが新作ならさすがベテランと書くところ、初演は1994年2月で25年前。その次が「東京ノート」という初期絶好調時代の1本。なおタイトルは俵万智の短歌から無意識に引用した(気がついて後日許可をもらった)と当日パンフの弁。

ポーカーフェイスのマネージャーを演じた大竹直、付人で歌もいい藤松祥子も好演だったけど、歌手を演じて久しぶりに出番の多かった兵藤久美がいわく言いがたいけど実に良い感じ。

今回の「平田オリザ展」は観たことのない芝居ばかり3本観たけど、どれも夫婦とは何ぞや、という芝居ばかりだったのは偶然か狙ったのか単に少人数芝居を選んだらそうなったのか。あとこの大量の芝居を交代で上演するために美術は共通化して簡単に入替えられるようにしているなと思っていたけど、今回の1本はいきなりごつい美術になっていて、壁や線路をどんなパーツで構成していたのかが気になる。あの狭い劇場でそんなに簡単に入替えられるのか。

青年団「隣にいても一人」こまばアゴラ劇場(若干ネタばれあり)

<2019年3月6日(水)夕>

ある朝、目が覚めたら、なぜかわからないけど夫婦だという認識を2人とも持って同じアパートにいた男女。双方の兄と姉が夫婦なので以前から知りあいではあったが、昨日の晩はそれぞれ自宅にいたのに、なぜこうなったのかわからない。とりあえず兄と姉に相談してみるが、どちらにも言い分が伝わらなかったり誤解されたりする。

Aチーム。夫婦だという認識をもっている2人は日常の些細なところから食い違うのに、離婚したばかりの兄姉夫婦のほうが話が合うという対比。発端となる設定こそ突拍子もないけど、それ以外は青年団らしいウェルメイド(で言葉あっているかな)な会話劇。客席から和やかな笑いの絶えない芝居。夫婦はどうやって夫婦になるのか、を描いた小さな傑作。

一度手に取ったパンを皿に戻す戻さないという流儀ひとつでまだ互いに慣れていない状況や同じ環境で育った兄弟であることを表したり、実は兄姉夫婦が離婚していたことが少しずつわかったり、最後の場面で歯磨きとパジャマで今後を想像させつつやり方は違っても噛み合っているところを見せたり、それらを不自然に思わせないように別の展開に混ぜて紹介しておいたりする構成も見事。厳選された情報を適切な順番とタイミングで出す展開は、芝居はこうやって作るんだというお手本のようだった。

パルコ製作「世界は一人」東京芸術劇場プレイハウス

<2019年3月2日(土)夜>

小中学校の同級生だった男女3人。ろくでもない経験をしながら大人になり、そのうち2人は結婚して子供をもうける。その子供が振返る両親の子供時代は幸福だったのか。

今回は筋を細部まで追えた自信がない。誤解混じりで書くと、子供のころの本当にささいな出来事と、子供にはどうにもできない周りの環境とが巡り巡って子供に伝わっていく話。観劇後の印象はチラシのイメージそのまま。暗い話題を扱いつつ笑い飛ばすハイバイの演出と違って、笑いを挟みつつも暗くて何が悪いと開き直ったような演出。むしろ大人計画っぽい。低音多めで不吉な音楽が多くて、そこに松尾スズキと瑛太が低めの声でなお一層暗くなる舞台を、松たか子の声で支える形になっている。この舞台の半分くらいが松たか子の声の不思議な明るさで成立している。

ただ、暗いのは構わないけど、全体にスピード感に欠けた。ハイバイがいつも難しいことをやっているように感じた秘密の一端は、とにかく速いのに速さを感じさせないところにあったと気付いたのは収穫。

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