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2024年9月 1日 (日)

2024年9月10月のメモ

9月がお腹いっぱいですが10月も含めて必見の芝居が多すぎます。

・国立劇場主催「夏祭浪花鑑」2024/09/01-09/25@新国立劇場中劇場:通しではありませんけどチケット代も含めて気楽に夏祭浪花鑑を観られそう

・Bunkamura企画製作「A Number / What If If Only」2024/09/10-09/29@世田谷パブリックシアター:翻訳物2人芝居とほぼ2人芝居を1ステージで2本まとめて上演、役者がよい

・ロデオ★座★ヘヴン「法王庁の避妊法」2024/09/11-09/16@「劇」小劇場:この演目は1度観たいと思いつつ見逃しているので

・劇団俳優座「夜の来訪者」2024/09/12-09/15@俳優座劇場:何度も上演されているから観たいなあと

・劇団しゃれこうべ「8人の女」2024/09/13-09/16@シアター風姿花伝:フランスの面白そうな翻訳物ミステリーなのでピックアップ

・劇壇ガルバ「ミネムラさん」2024/09/13-09/23@新宿シアタートップス:そろそろ観ておきたい山崎一主催の芝居は峯村リエを招いて意味ありげな題名

・木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買」2024/09/15-09/29@東京芸術劇場プレイハウス:演出杉原邦生で上演時間5時間らしいです

・神奈川芸術劇場主催企画制作「リア王の悲劇」2024/09/16-10/03@神奈川芸術劇場ホール内特設会場:木場勝己がリア王で他にも気になる役者を揃えて藤田俊太郎の演出で

・シアター・コントロニカ「並行食堂」2024/09/18-09/29@神奈川芸術劇場大スタジオ:小林賢太郎のコント公演です

・円盤に乗る派「仮想的な失調」2024/09/19-09/22@東京芸術劇場シアターウエスト:チラシが不気味だけどなんとなくピックアップ

・ヨーロッパ企画「来てけつかるべき新世界」2024/09/19-10/06@本多劇場:岸田國士戯曲賞受賞作の再演

・劇団俳優座「セチュアンの善人」2024/09/20-09/28@俳優座劇場:俳優座と桐朋学園芸術短期大学の合同で田中壮太郎が演出だけど割と期待できるのではないかと根拠のない予感

・劇団青年座「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」2024/09/28-10/06@吉祥寺シアター:別役実を観るならあれではないかこれではないかと言い続けています

・劇団昴公演「広い世界のほとりに」2024/10/02-10/06@あうるすぽっと:イギリス翻訳物をなんとなくピックアップ

・松竹製作「錦秋十月大歌舞伎」2024/10/02-10/26@歌舞伎座:午後に仁左衛門玉三郎の「婦系図」と玉三郎染五郎の「源氏物語」

・THE ROB CARLTON「THE STUBBORNS」2024/10/04-10/14@三鷹市芸術文化センター星のホール:代表が胡散臭い顔をした団体は久しぶりです

・新国立劇場主催「ピローマン」2024/10/08-10/27(2024/10/03-10/04プレビュー公演)@新国立劇場小劇場:これは観ないといけないけどプレビュー公演で土日を空けるとか三連休で昼公演のみとか日程が贅沢すぎて、せめて三連休の夜は追加公演のために空けてあると信じたい

・こまつ座「芭蕉通夜舟」2024/10/14-10/26@紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA:内野聖陽のほぼ一人芝居を鵜山仁演出で

・世田谷パブリックシアター企画制作「セツアンの善人」2024/10/16-11/4@世田谷パブリックシアター:こちらは白井晃演出の別公演だけど1度は観ておきたい演目

・狂言ござる乃座「70th Anniversary」2024/10/19、10/24@国立能楽堂:野村萬斎の釣狐よりは野村万作を観られる機会

・M&Oplaysプロデュース「峠の我が家」2024/10/25-11/17@本多劇場:岩松了の新作は役者もなかなか

・入江雅人グレート二人芝居「演劇部のキャリー」2024/10/31-11/04@劇場HOPE:面白かった芝居を今回は脚本家本人と桑原裕子の2人で

当日券派だった自分が近頃はいっちょ前に予約することもあるんですけど、それでチケットパズルが上手くいかなくて見逃したこともよくあるので、ここは演目を見定めたいところです。

2024年8月25日 (日)

National Theater Live「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」

<2024年8月14日(水)夜>

映画で人気のスター俳優が結婚間もない仕事として舞台の「ハムレット」に挑む。その演出家にはかつて共演したことがあり、自身も「ハムレット」を含むシェイクスピア作品に主演して絶賛されていた年長の男性をイギリスから指名する。だがスター俳優が主導するはずだった芝居が、役作りの困難から演出家と、やがてプロダクション全体との衝突につながる。演出家は他のメンバーから解決を求められるが、芝居に対するスタンスの違いを埋められずに適切な対策が取れず、追込まれていく。

てっきりよくできた作り話のつもりでしたけど、休憩明けの脚本家と演出家のインタビューで実際にあった話に基づいて作られた話だと知りました。新婚のスターがリチャード・バートンとエリザベス・テーラー、演出家がジョン・ギールグッドです。いやもう映画に詳しくなくてすいません。

そして話自体が非常によくできていました。演出家が主演俳優に悩まされて、誰もいなくなった稽古場で椅子を相手役に見立ててシェイクスピアの台詞のように悩みを吐露する前半最後の場面は、誰が観ても名場面という名場面でしょう。ただ個人的には、後半頭に俳優の妻に演出家が呼ばれて、あなたは芝居一族の御曹司、夫は炭鉱作業員の息子で父親に見捨てられて姉夫婦に育てられた正反対の人(大意)と伝えて食い違いを助ける場面や、俳優がホテルで台本片手に悪戦苦闘する場面も心惹かれました。

脚本の展開で稽古場の場面と他の場面、それをハムレットの台詞で滑らかにつないでいくあたり、どことなく日本の小劇場っぽいなと観ながら考えていたのですが、ようやく思いついた。マキノノゾミの舞台がこんな作りが多いですね。何が違うと言われても困るのですが、私のイメージする海外演劇は舞台転換も含めてリアリティ重視なので、それとはちょっと違った作りでした。

おまけで、題名にもなっている「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」、いわゆる「動機ときっかけ」と訳されて目にしていた言葉のことが、前半最後の場面のおかげで少しだけわかりました。私は役作りのメソッドに「動機ときっかけ」が必須とは考えない、いろいろなやり方があるはずだしそれで構わないだろうと考える人ですが、現代的な芝居に仕上げようとすればするほど、プロダクション全体が統一されたメソッドで臨んだ方がいいのはわかります。それが劇団ごとの味だったころから、舞台界共通の手法になろうとしているのかなと思ったり思わなかったり。

上演終了間際に観たのですが、機会があったらもう1回観てみたいなと思わせる話でした。

イキウメ「奇ッ怪」東京芸術劇場シアターイースト

<2024年8月14日(水)昼>

人里離れた山奥にある、昔は寺だったという旅館。有名な小説家が長逗留して小説を書いているところに、2人の男が泊りにやって来る。小説家はこの地方の怪談を集めて書いており、2人の男も似たような目的でやって来たところだという。話の流れでお互いに知っている怪談を披露することになる。

小泉八雲が集めた日本の怪談5本を基に構成した芝居。当日パンフによれば「常識」「破られた約束」「茶碗の中」「お貞の話」「宿世の恋」の5本です。非常によい仕上がりで、お盆の季節に相応しい怪談を楽しみました。

初演は世田谷パブリックシアターの企画で上演されていたので、仲村トオル、池田成志、小松和重といった一癖も二癖もある役者が出ていて、全体にいい意味での雑味も含めて楽しんだ記憶があります。それが今回は磨きに磨いた趣きで、上善如水とでも言わんばかりの仕上がりです。笑えるネタもありますし、怪談話の再現が終わった後で「女将、髪が乱れています」なんて言って引っ込めさせるようなメタな手口も使っています。そこに現在捜査中の事件を絡めるという、小劇場らしい展開と言えば展開です。それやこれやをやっても、芝居の透明度が落ちません。緊張感とはまた違った、静謐な雰囲気が最後まで続きます。怪談に相応しい出来でした。

それと、初演が15年前ですが、いまどきのテクノロジーが出てこないのに成立たせているところが素晴らしかったです。宿の評判を確かめるとか、スマホのひとつも出てきてよさそうなものですが、そういうものを出さずにしかも気にさせないのは、脚本と演出の両方の力でしょう。

それを体現したのが劇団員なのは間違いなくて、方向性もレベルもものすごく揃っていました。女性陣3人はゲストですが、女将役の松岡依都美がいい感じです。スタッフもいい感じでしたが、今回は美術を挙げておきます。出だしで役者が腰を落として回る、ということで能舞台を模したものでしょうか。奥に廊下、手前に柱の立ったシンプルな舞台、そこに白い庭を挟んで梅と祠と、天井からの砂落とし。そして最後の変化。静謐な雰囲気の構築に預かって力ある、怪談に相応しい美術でした。

それにしてもここのところイキウメの出来が素晴らしいです。2022年の「関数ドミノ」が再演にも関わらず微妙で、その後の「天の敵」はスキップしたのですが、2023年の「人魂を届けに」、世田谷パブリックシアターの企画製作ですが実質イキウメの「無駄な抵抗」、そして今回と、新作再演織り交ぜて3本続けて高水準です。何かを掴んだのでしょうか。

2024年8月13日 (火)

KOKAMI@network「朝日のような夕日をつれて2024」紀伊国屋ホール

<2024年8月12日(月)夜>

とあるおもちゃ会社。他社の真似で出した商品が当たらずに倒産寸前。何とかヒット作を出すべく色々な遊びを試しているうちにいつの間にかゴドーがやって来るのを待つようになる。ゴドーは来ないと言われたが、そこで考え付いたゲームを販売してみる。そのゲームとは・・・。

第三舞台の旗揚げ作品ですが、初見です。上演されるたびに改稿されているらしく、近年のネタを取込んでの仕上がり。開演しばらくはやっちまったかもと思いましたが、そのまま見ているうちに楽しめてきて、観終わったら割と楽しめました。

唐十郎や野田秀樹の芝居の系統、もっと雑な括りでは80年代小劇場芝居ですよね、あっちこっちの世界を行き来してひたすらネタと訳のわからない台詞を大量に浴びているうちにそれっぽいラストに連れて行かれて、結局全てはその数行か数十行の台詞に集約させるためのどたばただったという作りは。序盤が終わった後はダンス以外に黙っている瞬間がないというくらいの台詞の洪水で、ああこれは考えるより先にまずどっぷり浸かるのが先の芝居だと気が付いてからは乗れました。野田秀樹ですら近年はもっとかっちりした芝居が多いし、そもそも80年代演劇は名残を観たくらいだから、この手の芝居の楽しみ方を完全に忘れていました。久しぶりすぎてこの手の芝居の粗筋をまとめることすら下手になっている。

そういう芝居なので、観終わった感想のひとつが「よくここまで芝居に似合う役者を揃えたな」です。身体を鍛えて動けて、膨大な台詞を噛むことなしに明瞭に話せて、小劇場のノリをこなせて、圧倒的なテンションを2時間維持し続けられる役者ばかりを5人揃えていました。誰がいいとはいいません。観たのは2日目ですが、5人全員ばっちり仕上がっていました。

それと脚本が、古いようで古くなりきらない。改稿したって古い芝居は古くなる。構成に関わるネタに「ゴドーを待ちながら」があるから当然のように思えますけど、そちらはおまけで、むしろ古くなりかけている。大本のメッセージが真っ直ぐだから、上演に耐えるのでしょう。そのメッセージ自体が今時の時代精神からすると傍流のような気もしますが、それでもありかなしかで言えばありです。

ただし、ならば脚本が古びていないかというと、古びているかどうかよりも、出てくるネタやメッセージに、年代の齟齬がある。当日のごあいさつによれば、鴻上尚史が22歳のときに出し惜しみせずにネタをぶち込んだと書いていました。おそらくこの芝居の初演時、ネタもメッセージも鴻上尚史の22歳の感性で統一されていたでしょう。それを上演にあたって改稿する際に、ネタの部分が時代だけでなく年齢を重ねた鴻上尚史の感性に引っ張られて、完全に若い感性で統一というわけにはいかなくなった。そこを統一してみせたのは演出というよりは役者の肉体でした。

元ネタがわかると楽しめる場面と、わからなくても楽しめる場面があって、個人的にはこの日一番湧いていたと思われる2.5次元の場面を推します。ただし、ネタとして取上げるにあたってはあれで攻めたつもりになられては困る。どれだけ面白くてもおふざけの範疇です。あとは、こういう芝居なら今朝のネタをそのままアドリブで出すような鮮度の高い場面があってもよかったかと思いましたが、その手の役者の仕掛け合戦はありませんでした。

スタッフワークだと、おそらく学生時代のテント舞台を模した舞台美術と、音響はよかったです。ただ、照明はもっと大量に機材を投入してほしいなと思う場面もありました。こちらは劇団☆新感線のほうが発達しましたね。それと映像はスクリーンを使ったのが場面によっては損で、後ろの幕を目いっぱい使う形にすればよかったのに、ちんまりした印象を受けました。ちんまりした印象がはまる場面もありましたが、後で脇のトラスも気にせずに線を出すのを見せられるとなおさらです。こちらはKERAがプロジェクションマッピングを毎回上手に使っていますね。照明と映像、このあたりは負けずに追いついてほしいところです。

だから楽しめる場面の合間に、ちょっと微妙に感じる場面が混じって、でも全体では楽しめた2時間5分、という感想です。ただし私の感想はおそらく少数派で、この日の来場者は圧倒的に楽しんでいた。その証拠にカーテンコールの拍手がすごかった。過去の芝居を振返ってもあんなに熱い拍手を聞いたのは数えるほどでした。劇場を出てから客席の年齢層をもっと注意して見ておけばよかったと気が付きましたが、若い人多目だったか、元若い人多目だったか、どちらだったろう。

2024年8月 6日 (火)

松竹製作「八月納涼歌舞伎 第三部 狐花」歌舞伎座

<2024年8月4日(日)夜>

作事奉行の上月監物の側用人から殿の御用と屋敷に呼ばれた口入屋と材木屋。娘が彼岸花の小袖を着た謎の男に魅入ってしまい、その男からの文を娘に届けた女中が寝込んでしまった。謎の男の手掛かりを得たい監物だが、女中は口入屋と材木屋の娘に会わせてほしいというばかりなので会わせてやってほしいという。後ろ暗いところのある四人だが、そうとあってはと娘たちを送り出す。だがその後に娘たち、それに口入屋と材木屋の身に起きた一大事で、幽霊の仕業ではないかと疑われる事態となった。そこで側人は監物の屋敷に憑物落とし・中禪寺洲齋を招いて事を調べさせようとする。

こちらは第三部を丸々使っての京極夏彦の書下ろし。京極夏彦はまだ読んだことはないのですが、楽しめました。という前提での感想です。

ミステリーというよりは上月家騒動始末といった内容でした。1か所、説明されてもわからないところがありました。それでも歌舞伎向きに向いた話であり、大筋は楽しめます。ただ、どうしても説明台詞が多くなるのはしょうがないにしても、一回当たりの台詞が長台詞になってしまう場面が多いのがつらいです。それと一応はミステリー仕立てを試みているので、後半になると、実は、実は、の展開が増えます。そこにひと捻りがあってさすがという話と、それを後出しにするかという話が混ざっていました。あまりネタバレはしませんが染五郎の役は後者かと。楽しめる筋だっただけに、かれこれ含めて、やや無理の残るところがもう少し舞台向けに整理されているとよかったです。

ところが、その無理の残るところを何とかするべく、役者スタッフがかなり頑張ることで面白くなるのだから舞台というのはわからない。役者でいえば、まず真っ先に勘九郎の上月監物の太さ。第二部の髪結新三をさらに大きくして出てきます。他にも側人の染五郎が期待以上に観られたとか、七之助にいい役を上手に当てたなとか、米吉演じる監物の娘の変わりようがいいとか、口入屋の片岡亀蔵と材木屋の猿弥が上手に回すとか、そのそれぞれの娘の虎之助の勝手なところとか新悟の高飛車なところとか、挙げたら切りがない。後半の場面、七之助と米吉、からの一連の流れは、あれはいい場面でした。

スタッフも、普通の歌舞伎らしいセットの場面と、出や照明を工夫した場面とのメリハリをつけて、歌舞伎の枠組みというのはなかなかに使い回しの利くものなのだなと再認識しました。

ただ、何でもよかったわけではない。役者では、憑物落としの幸四郎がさっぱりだった。歌舞伎の時代物とは違う調子の長台詞が多いのは気の毒だったけれど、だからこそびしっと決めてほしかった。明らかに台詞が出てこなかったところと、思い出しながら話しているところがあちこちにあって、観ているこちらがはらはらした。人の名前も1か所間違えていたような。主人公というより狂言回しに近いので、幸四郎には向いていなかったかもしれません。こういう台詞なら第二部にちょい役で出ていた香川照之こと中車が得意じゃないかと思うのですが、半分謹慎中ですから駄目ですよね。

あと音楽が、おおむねよかったけれど、ちょっと後半に緩い穏やか目な音楽をかけてしまった場面があって、あそこはもう少し緊迫感を煽ってもよかったと思います。録音だったはずですけど、生の三味線でもいけたのではないかなと私は考えました。あとは笛とか使ってもよかったかもしれません。ただ、舞台美術の都合で奏者の居場所がない。そこは美術にもうひと頑張りしてもらって、何とかできなかったかなと思います。

観終わった感想では、楽しめたけど、いろいろ作り直して再演してみてほしい1本でした。絶対もっと面白くできる。

そして人によっては他の役者を推したくなるくらい周りがいいのを認めた上でなお、勘九郎がよかった。第二部もそうでしたけど、この八月はそんな勘九郎の贔屓を作るための演目のようにも思えます。そんなに熱心に追っているわけではありませんし、見える人には見えていたのかもしれないですが、勘九郎が歌舞伎を背負える役者になったとこの2本を観て実感しました。

ちなみにこの日は京極夏彦が観に来ていました。関係者は初日に観に来るものだとなんとなく思い込んでいましたが、初日はどたばたするでしょうし、本人だって同行者だって都合もあるでしょうし、別に3日目だって悪いことはありませんやね。着物姿で首に巻いているものはまだわかるのですが、あの手袋だけはよくわかりません。ただ、そういう格好の人が書いた芝居と考えるとぴったりの内容でしたし、そういう格好が浮かない歌舞伎座は懐の深い劇場だと思います。

<2024年8月6日修正>

8月2日が初日でこの日が3日目だと思い込んでいましたけど、この日が初日でした。もう駄目です。暑さにやられたということで勘弁してください。

松竹製作「八月納涼歌舞伎 第二部」歌舞伎座

<2024年8月4日(日)昼>

身代の厳しい材木屋で娘に持参金付きの婿を取らせることになったが、手代と好き合っている娘は互いに身の行方を儚む。それを聞きつけた出入りの髪結である新三が手代に持ちかけたのは二人での家出。自分の長屋に匿うからと唆したら、家を出てきた娘は攫って手代は打ちつける。初めから大店相手に強請りでひと儲けを狙っていた新三だが、店が番頭に頼んで交渉に寄越したのは「梅雨小袖昔八丈」。夏の神社の夕涼みでいろいろな職業の町人が踊る「艶紅曙接拙」。

梅雨小袖昔八丈は髪結新三のサブタイトルが付く1本。愛想よく見せかける勘九郎もいいけれど、悪い男を全面に出した勘九郎が新鮮で、しかも見応えがあった。悪い役をやらせても上手いですね。啖呵もさすがです。なんとなく仁左衛門でも観てみたい演目です。

他にも攫われる娘の鶴松がきれいだとか、手代の七之助のなよなよした駄目っぷりとか、新三の手下の巳之助がなかなかいいとか、新三を相手にする大家の彌十郎が狸だとか、役者に見応えのある中で、岡っ引きを演じた幸四郎がなんともしょんぼりした出来。新三に追返されるから間違っていないけど、それよりも声も何もかもが小さかった。これは第三部に気を取られていたのではないかと推測しますけど、もう少しぱりっとしてほしかった。

娘を返した金を数えるところが盛上がりすぎて、終わったら帰ろうとするお客さんが多く、その後に橋の前での場面があるから気を付けましょう。でも、最後にあんな終わらせ方があるとは知らなかった。

艶紅曙接拙も出てくる人が一通り踊るけど、一番たくさん踊るのが勘九郎。上手ですね。足を上げて軽く踊るなかでたまに足裏が地面に吸い付いたような動きをするところがあって、鍛えているんだろうなと思わされました。

これは良席でみられたのもありますが、背景の書割が抜けるような絵になっていました。こういう席で観ると慣れない踊りでも背景も相まって、感想も変わってくるなと今更ながらに考えました。

2024年7月14日 (日)

ルックアップ企画製作「虹のかけら」有楽町よみうりホール

<2024年7月14日(日)昼>

映画に歌手にと大活躍したジュディ・ガーランド。「オズの魔法使い」のオーディションで出会って以来、その付人を務めた同い年のジュディ・シルバーマン。世間に知られざる彼女の物語と、そんな彼女の目から見たジュディ・ガーランドの物語。

三谷幸喜による戸田恵子の一人芝居第2弾。ジュディ・ガーランドに目を付けて、その付人を切口にここまでの話を仕上げて、戸田恵子に歌って朗読させて演技させる三谷幸喜はやはり第一人者です。

そしてそれに見事に応える戸田恵子もやはり、第一人者です。歌の伸びやかな声、朗読での声の使い分け、そしてこの芝居を最後までやり遂げる演技、どれをとっても一級品で、実に耳を楽しませてくれました。役者は声だとこれだけはっきり教えてくれる芝居も役者もなかなかいないでしょう。

戸田恵子本人がコンパクトにしたバージョンだと冒頭で話していた通り、途中がどうも端折りすぎではないかと思えたのですが、これはこれで話がすっきりしてよかったという声も聞こえたので、そこは人によるようです。ただ、今回のコンパクトなバージョンでも物語は通じていました。オチもだいたい予想は付きましたけど、しっかり前振りしているからフェアでしたし、いいですね。

上演していることに気が付かないで、たまたま見つけてうっかりチケットが買えてしまったのですが、何の心配もなく舞台に集中して楽しんだ1本でした。

Serialnumber「神話、夜の果ての」東京芸術劇場シアターウエスト

<2024年7月13日(土)夜>

拘置所の患者個室でベッドの上に座りっぱなしの一人の男。とある殺人を犯して裁判を控えているが、精神疾患ではないかと疑われているためここに隔離されている。男の弁護士が裁判を控えて精神科医に面接を申込むが今は面会謝絶で会えない。男が殺人を犯した経緯はいったいどのようなものなのか。

久しぶりのSerialnumberは宗教二世の話。社会性のある重たい話題に真正面から突っ込むのはいかにも詩森ろばらしいですけど、ちょっと今回はいまいちな仕上がりでした。

今の拘置所と、人里離れた宗教の施設時代との二重構造で話が進んでいきます。そこで多少解説が入ったり別の人の話を絡めたりするのが工夫と言えば工夫です。が、基本は重たい話題を重たい通りになぞって追体験する形で進めます。それは親切ですが、真っ正直すぎていささか芸が足りない脚本でした。

そこに演出で明るさを足すのは自分で許せなかったのか、ベッド以外ほぼ素舞台で、主人公の男はひたすらしゃべります。が、坂本慶介はテンションが足りず力及びませんでした。それと最後に物語を締める役割を持たされた弁護士の田中亨も力及びませんでした。廣川三憲や杉木隆幸がいい出来を見せて、川島鈴遥がまずまずでも、5人芝居で2人が力不足だとつらい。あと弁護士以外の4人が裸足なのも意味不明でした。

脚本の面で言えば、二世本人の心情を掘下げていましたが、これと対になる、入信した母親の話は終盤にさらっと触れただけで流されてしまいました。でもあの流し方では相手の言い分にも五分の魂となってしまう。それを認めるなら主人公は不運に巻込まれただけというオチになってしまう。主人公は救いのない人生だったと言われればその通りですが、そう言いたいためにこの話題を取上げたわけでもないでしょう。

重い話題に一方的な結論を出すにせよ、簡単に結論は出せないと観客に考えさせるにせよ、脚本の切口も演出の切口もこの話題に対しては間違っていたなというのが感想です。

範宙遊泳「心の声など聞こえるか」東京芸術劇場シアターイースト

<2024年7月13日(土)昼>

埼玉県のとある住宅街。新築が分譲されたころに引越してきた夫婦だが、夫は妻にセックスを拒否されて浮気を疑い、妻は隣人の妻にゴミ捨てを監視されていらいらが募る。隣人の妻はプラスチックごみを宇宙ごみと呼び、その様子を見ながら隣人の夫は妻への愛は変わりない。夫婦同士でも隣家同士でも心の中の言いたいことを我慢し続ける関係の行方は。

前の公演がよかったので観劇。たまに主張強めなところが出てくるものの、それも含めてひっくり返す展開は見事でした。

音を立てたりおかしな動きをしたり、なんなら妄想とか現実と書かれたTシャツを着た人まで出してきて、心の声が聞こえるという仕組みを用意してあります。そうして心の声を観客に聞かせながら、途中で出てくる現実場面のネタが現実っぽくないことも多々ありながら、チラシにも載せている「キミがどんなに世界に軽蔑されても、ボクはキミを軽蔑する世界のほうを軽蔑するし、してきた」という台詞を捨てるように使いながら、それも含めて最後になんじゃそりゃーとひっくり返してきます。

終わってみればたしかに愛の話です、が、その展開は叙述トリックのミステリーのようでもあります。衣装を初めとしていろいろネタがありすぎて、日本の小劇場だから許される叙述トリックと言えなくもありません。

再演らしいですが、だとしてもこのややこしい芝居をきっちり仕上げた役者には(脚本演出の本人を含めて)拍手です。ただ、初演のメンバーがなかなか気になるので、そちらでも観られればよかったなというところだけが心残りです。

2024年7月 8日 (月)

新国立劇場主催「デカローグ9・10」新国立劇場小劇場

<2024年7月7日(日)昼>

有能な心臓外科医の夫は友人の医者の診断を受けて不能になったと告げられる。子供のいない夫婦でもあり、まだ若い妻には別れようと切り出すが、妻は夫を励ます。だが妻はもっと若い学生と浮気をしていた(デカローグ9「ある孤独に関する物語」)。父を亡くした兄弟が、父の暮らしていた部屋を訪れる。必要以上に警備装置が設けられていた部屋にあったのは、切手のコレクション。処分しようと父の友人を呼んだら、その道では国一番と知られた高額なコレクションだと告げられる。その前に息子に渡していた切手を取返そうとするが、すでに他人の手に渡ったところだった(デカローグ10「ある希望に関する物語」)。

デカローグ9は疑いと事実とすれ違いが重なりあう、芝居らしい展開。どこからどうみても妻が悪いはずの設定を、夫の不能という男性にとっては致命的な設定ひとつで夫側の力関係をへこませるのが実によくできた1本。クローゼットで泣く場面のあのいたたまれなさ、からの後半のもう一転は手に汗握るところですが、そうなるんだというラストが、デカローグのテーマなのかなと。後述します。

出だしがやや硬かった夫役の伊達暁と妻役の万里紗でしたが、途中からギアが入って観入りました。図々しい浮気相手の宮崎秋人はもっと図々しくてもよかったかも。スタッフワークはおおむね問題ありませんでしたけど、Ⅸの文字映像は舞台美術の枠にきっちり収めてほしかった。美術のセンターがずれていることが連絡されていなかったのか。センターブロックで観たので目立ちました。

デカローグ10も切手を巡って兄弟の関係がどんどん変わっていく芝居らしい展開。締めの1本らしい展開に、兄弟の役作りの明るさもあって割とさっぱり終わりました。こちらは落着くところに落着いたラストで、デカローグ9の反対みたいな話です。

兄役の石母田史朗と弟役の竪山隼太だけでなく、怪しい役の人たちも含めて、全員割と楽しんで演じていたように思えた1本でした。

で、プログラムAプログラムBプログラムCプログラムD、そしてこのプログラムEと、10本全部観た感想です。

一応無理やり考えたこととしては、人は大いに間違えるというのがテーマだったのかなと。それが丸く収まることもあれば、自分にも相手にも致命傷になることもある。何なら本当に命を奪うこともあって、残された人はそれを抱えて生き続けることになる。間違いがどう転ぶかは本当に紙一重で、そこには人知を超えた何かが働いているとしか言い様のないことがある。10本の芝居はそれを描いていたのかなと。

その目で眺めると、ハッピーエンドかバッドエンドかはともかく、10本中8本は一応の結論が出ました。が、デカローグ7と9の2本は、このあとでこの人たちは新しい関係を構築していかないといけないのだな、紙一重はハッピーエンドかバッドエンドかの2択を許さないのだなと重い感想を投げかける話でした。

そこから推測して、人生が本当に紙一重なればこそ、自分はできる限り善く生きるべきで、相手の過ちはできる限り許すべきで、そのような寛容こそが世の中には求められていると訴えていたのだ、と考えました。

ならばよく出来た企画でした、となるかというと、なりません。役者はほぼ全公演で熱演でした。このプログラムEは、単発で観ても面白いかもしれません。ただ、プログラムA、B、Cの印象が悪すぎたのがひとつ。10本観てテーマを浮かび上がらせるような趣向なら1日での一挙上演まで含めて工夫するべきだったという考えが変わっていないのがもうひとつです。演出しきれないならもう一人演出家を呼んできてもよかった。

プログラムAの感想に書いた通り、私のここまでの不満はすべて企画の段階で撒かれた種のように思えます。手のひらを返す準備はしていましたが、私は返すには至りませんでした。もったいない企画だったなというのが観終わっての感想です。

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