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2024年4月18日 (木)

梅田芸術劇場企画制作主催「VIOLET」東京芸術劇場プレイハウス(若干ネタバレあり)

<2024年4月17日(水)昼>

1960年代、まだおおっぴらに人種差別されていたころのアメリカ。その田舎で暮らしていたヴァイオレットは白人だが、子供のころの事故が元で顔にひどい傷が残っており、町では避けられるか憐れまれるかされるばかり。それでも昔テレビで見た、あらゆる傷を治す奇跡を起こす伝道師に会うことを励みに自宅の農園で働く。とうとう旅に十分な金が貯まったヴァイオレットは、長距離バスに乗って旅に出る。

ミュージカルですが、ロードムービーと呼ばれるような分野のものでしょうか。オチは途中で見えるとして、それよりはヴァイオレットの変化を追う芝居です。コロナでほとんど潰れたのを再演しようとしただけのことはある出来で、なかなか魅せて、聞かせてくれました。

ヴァイオレット役に顔の傷を付けたりはせず、黒人役だからといって役者が黒塗りにしたりはせず、そのあたりは脚本が本来持っていた、外見からくる差別の話が分かりにくくなっています。海外の芝居を上演するときの難点の一つです。ただその分だけヴァイオレットの成長というか、コンプレックスの克服の過程を追うところに重心が寄りました。それがむしろ、差別はいろいろあったにせよ黒人差別が身近でない日本には合っていたと思います。思春期から醜い傷を付けられて嗤われることがどのくらい女性にとって呪いとなるか、そこから次に進むためにどのくらいのエネルギーが必要となるか。だから終盤のあの対立は奇跡が起こったのだと納得させてくれる出来でした。

今回はダブルキャストのヴァイオレットが屋比久知奈の回でしたけど、頑ななところから入って終盤の対立で爆発させるところまで、芝居の組立てもよし、歌ってもよし、主役として満足できました。そして周りの役者も演技と歌と両方出来る人が揃っていて、怪しさを出してくれた伝道師役の原田優一、歌唱力に圧倒された谷口ゆうなとsara、それに台詞の第一声を任されてこちらも演技よし歌よしのヤングヴァイオレットの生田志守葉を挙げておきます。トリプルキャストの一人ですけど、調べたらあれで9歳ですよ。いまどきの子役って本当にレベルが高い。

ただ、歌はソロだといいのですが、複数人が歌うところはどうしても歌詞が混ざって聞き取りづらくなるところがあるのは惜しかったです。発声の問題なのか音響の問題なのかわかりませんが。演奏は力強くて満足なのですが。

あとは舞台美術で、場面転換に慣れているなあという椅子で場面を変えていく演出。それに加えて吊りものや映像や照明の使い方もいいのですけど、それより輪っかです。初めは床に置かれていた大きな輪が上がって、だけどそのあとさして使われないと思ったら照明が仕込まれていて、ああそうなんだ、だけどそれだけのためにもったいないな、と考えながら観ていたのですが、最後に舞台中央にヴァイオレットが立ったところに輪が降りてきて、ああ、これって天使の輪っかだ、ずっと見守られていて奇跡が起きたんだ、オープニングでびちょびちょだったヴァイオレットがきれいになったんだ、と思えました。演出案か美術案かわかりませんけれど、いい案です。

全体に、見た目も演出もシャープですよね。そのころのアメリカの田舎が舞台の芝居を日本で上演するともっと土臭い感じになりそうで、それはそれで正しいと思いますが、藤田俊太郎は美術や照明や衣装が土臭くなるのを避ける印象があります。その点は泥臭さが身上だった師匠の蜷川幸雄とは反対ですが、かといってただすっきりしているだけではありません。

これで藤田俊太郎演出はたぶん「天保十二年のシェイクスピア」「ラビット・ホール」に続いて三本目ですけど、他の演出家で言えば小川絵梨子と似ている感じがあります。なんだろうなこれと考えたのですが、カンパニーをまとめるのが得意なんですかね。役者もスタッフも全員が芝居の同じところを目指して頑張っているところが似ていました。

2024年4月10日 (水)

青年団「S高原から」こまばアゴラ劇場

<2024年4月6日(土)昼>

他人には伝染しないが緩やかに死に向かう病。その病気にかかった患者向けに高原に作られた療養所。そこに入院する患者と、お見舞いに来る人と、働く人たちのある日の様子を描く。

これで三回は見ているはずの、青年団を代表する一本。スマホが出てくるけれど電波が届かない扱いになっていたり、微妙に設定は現代にアップデートされていました。ただ、細かい設定の違いは除いても、会話をそこまで大袈裟にいじるわけにはいきません。そこを追うと登場人物には20世紀生まれ20世紀育ちいまも20世紀の雰囲気を多く感じました。

ただ、スマホが出た後のいつ頃の想定なのかは芝居からは窺い知れません。ジブリの風立ちぬのことはこちらが先だから出さないのはごめんなさいと当日パンフで謝っていたから、それより後(2013年以降)、やっぱり現代を想定してアップデートしてきたのだと思います。

ただし本当に現代だと、ネットで暇をつぶす患者や(金持ち向けの療養所なのにネットが入っていないってことはないはずですけど)、それゆえに通販で何でも買っちゃうような人(金持ちなので)がいてもおかしくありません。脚本がいつの時代まで現代を保って更新できるのか、平田オリザが挑戦していたのかもしれませんが、その分だけ脚本の完成度を崩してしまってやや中途半端な感はありました。

そんな中では、島田曜蔵演じる看護人の、我慢を堪えるうちに怒りだす様子に一番今を感じました。元からあんなに怒っていた役かは覚えていないですけど。あれをもっと若い役者が演じると、きっと淡々とこなすような演出になるのかもと考えながら観ていました。あまり時代の影響を感じなかったのは、初めに出てくる患者と婚約者とその付添いの友達のところと、お見舞いに来ていた三人組のところです。怪獣の靴の兄妹や絵描き関係は今回かなり引っ込んで見えました。

演出の違いか役者の違いかはわかりませんけれど、設定は古いままのほうがもう少し逼塞感が強まって、死でも性でも雰囲気が強く漂って、そのほうがこの芝居は好みかなと思ったり思わなかったりします。いっそ百年経てば初演の脚本が古典として固定されると思いますけど、それを生モノとしてアップデートしようとすると現代劇は難しいですね。スマホの発明はそれだけ世の中を変えたのだと実感しました。

2024年3月31日 (日)

新国立劇場の次の芸術監督は上村聡史

ステージナタリー「新国立劇場の次期芸術監督予定者に上村聡史」より

新国立劇場の管理運営を行う公益財団法人新国立劇場運営財団が、同劇場2026/2027シーズンからの芸術監督について、オペラ部門は大野和士が再任、演劇部門は上村聡史が次期芸術監督予定者として芸術参与に就任することを発表した。

小川絵梨子が現芸術監督を務める演劇部門の次期芸術監督予定者に選ばれたのは、上村聡史。芸術参与としての任期が9月1日から2年間設けられ、芸術監督任期は2026年9月1日から4年間となる。

上村は1979年、東京都生まれ。2001年に文学座附属演劇研究所に入所、2018年に同劇団を退座し、現在はフリー。2009年より文化庁新進芸術家海外留学制度において1年間イギリス・ドイツに留学した。

やっぱり新劇系から呼んできたんだ、というのが初めの感想です。小劇場黄金期を彩った花形演出家はほぼ全員どこかの芸術監督になりましたし、まだの人たちにいまから声を掛けるのはやや遅い気がします。

その次の世代の人たちで新国立劇場で演出をしていた人たちの中には、この辺りは候補としてお試しで呼ばれたのではないかなと考えた人たちもいましたが、他の仕事に行ったり諸事情あったりして頼めない人になってしまいました。

新国立劇場の芸術監督は交代で揉めたことがあったので頼まれてもいまなお警戒する人もいるかもしれませんが、その後を継いだ宮田慶子があらためて地均ししして、小川絵梨子を引張ってくるという大胆人事を実現、小川絵梨子も割といろいろ試行錯誤してそれが認められている感じように一観客の私には見えています。揉めたころの雰囲気はだいぶ消えたのではないでしょうか。仮に揉めていたとしても表に出てこないだけでもこのSNS全盛時代に十分だと思いますが。

その過程で、国立の劇場として外国の芝居にも目を光らせることが増えてきた気がします。宮田慶子は近代外国ものが得意ですが、小川絵梨子は現代外国ものもよく気にしているようです。そうなると国内ドメスティックな演出家、まして自分の芝居だけを演出するような演出家は好まれないでしょう。かれこれ考えて、この人事なのかなと推測します。

上村聡史は当たり外れが大きいけれど、当たった時の芝居はいい演出家という印象です。せっかくなので自分の演出芝居は打率よりも飛距離で勝負してほしいと願います。あと、新国立劇場のラインナップが一時は派手目になるかな、と思われたのにまた地味目に戻ってきたのが気になります。私に新劇の良さを教えてくれたのは新国立劇場ですが、もう少し一般受け目線で話題になるような派手目な芝居を増やすようにしてもらえればなとも願います。

小川絵梨子が2期8年で退くのはもったいない話ですが、残りのラインナップもある程度固まっているでしょうから、何が出てくるか観客としては期待する側です。

そして第2コーナーを回ったところまでは予想通りの展開なので、ひそかに手に汗握っているのは内緒です。

パラドックス定数「諜報員」東京芸術劇場シアターイースト

<3月10日(日)昼>

昭和初期の日本。ある日突然身柄を拘束された男たち。顔を塞いで連れてこられたので場所はわからないが、連行してきた男たちのことを考えると特高ではなく警察らしい。容疑を言われずに連れてこられた男たちも互いに様子を探り合うが、どうやら主義者として活動に関わっていたようだ。そして男たちを連行した男たちもどうもそこまで詳しく活動のことを把握していないらしい。ゾルゲとその協力者が逮捕されたことが引金となって慌てて動いたのだが……。

パラドックス定数の新作はおなじみの近代事件を扱ったもので、今回はゾルゲ事件の裏で協力していた男たちを巡る話。ただ、今回はいまいちでした。

過去の近代事件ものでは、登場人物の会話を通じて事件の真相を描く、そして登場人物の想いなり思惑なりも明らかになっていく、という作風でした。これがどの程度史実の事実なのかは関係ありません。ただ、その中で登場人物が自分の立場で全力を尽くして、その全力を会話に込めて、その会話を通して少しずつ真相が明らかになっていき、いかにもこういう事件だったのではないかと観客に思いこませていました。そのヒリヒリした会話劇が真骨頂です。

今回はそこを変えてきました。描かれるのはゾルゲ事件そのものではなく、その時代背景です。連れてこられた男たちはゾルゲの協力者の協力者、くらいのところで手伝ったことがあり、それと知ってなぜ協力したのかが演じられます。またその中に隠れて混ざって内偵していた警察の人間がいますが、そちらは主義者を捕まえる使命を胸に働いたものの一抹の共感を覚えます。

まず、あくまでも事件に近い関係者の立場から描いていた過去作と比べて、今回はゾルゲとその協力者を手伝うときに会話していた場面が回想場面として描かれます。それ自体は演劇の手法ですし、二役を演じた役者も上手にこなしていました。ただ、ある意味脚本が楽をしていました。ほぼ独立した場面として作ったため、そこに至る会話を組立てるでもなく、その場面の会話が後で生きてくるでもない。多少つながるところはあっても、それは芝居の展開にさほど影響を及ぼさない。少なくとも及ぼしたとは思えなかった。極めつけはラストで、どうしてそんなにべらべらしゃべっちゃうかな、と残念でした。

それと、時代背景を描くのにマイナーな立場の人間の想いを使うというのはつらかった。雑に言えば、令和のいまの時代は苦しい、もっと自由であるべきだ、と言いたいのかなと推察しました。それを戦前の共産主義者で直接描くとさすがに賛同しかねるけど、協力者の協力者くらいの人間ならいまでも共感できるところがあるのではないかというのは脚本家のひらめきです。ただ、それで描くには場面が牢獄というのはしんどすぎた。普通の場面がたくさんあって、そこで登場人物がいろいろな生活の場面をさらしていればこそ、その登場人物に、ひいては登場人物の想いに心が乗っていきます。いままでのパラドックス定数は大きな事件を中心にでんと据え、そこに事件の関係者を登場人物とすることで普通の場面を描く必要を飛ばしていました。が、登場人物の選定でそれを脇に避けざるをえなかったために、芝居に必要な場面がすっぽり抜けた形になりました。

これが初見の劇団なら印象は変わったかもしれませんが、パラドックス定数にはもっと上を望みたいです。長くやっているからひょっとしたら違う作風を模索しているのかもしれませんが、登場人物に想いを直接語らせるだけではつまらない。たどり着いた事件の真相を以て登場人物を翻弄することで想いの重さを語らしめていた過去作と違う作風を目指すなら、そこまでたどり着いてほしい。野木萌葱みたいな脚本を書ける人がいないだけに観客として期待しています。

2024年3月 7日 (木)

MONO「御菓子司 亀屋権太楼」ザ・スズナリ

<2024年3月6日(水)夜>

江戸時代から続く老舗、のはずが、実は創業者の社長による作り話らしいと話題になって非難を浴びている和菓子屋。売上が大幅に下がっているところで、和菓子屋でなく会社員として働く長男と、後継ぎとして和菓子屋で働いている次男とで話題への対応に意見が分かれ、長男の娘は学生時代の先輩を呼んで和菓子カフェによる打開を図る。そんな中、社長が入院してしまう。今回は危ないという。

ここから半年とか一年半といったまとまった時間が何度か過ぎて、和菓子屋と一家、それにそこで働く人たちの10年くらいの行く末が語られます。非常によく出来た芝居で、久しぶりにいい小劇場を観た気分になりました。お勧めできる出来でしたので間に合う人は挑戦してはいかがでしょうか。

出てくる話の後ろには、悪評を見て突撃してくる炎上といった今様な問題、昔ならそれほど大きな問題にならなかったかもしれないけれど今だと叩かれる創業話の嘘、昔から問題になっている部落出身の話などが横たわっています。そこに乗って家族の仲、経営家族と従業員、上司と部下、先輩と後輩といった上下の絡む人間関係が出てきます。最後のひとつ手前、喫茶店で家族が話す場面があるのですが、そこまでの積重ねで説得力の増した名場面でした。

これだけ書くと湿っぽい話に聞こえるのですが、そこに自然な笑いと力技の笑いを絡めることで湿っぽくならないように運ぶのが上手いです。結果、登場人物のほとんどに長所と短所が出てきて、劇中のあちこちに想いを馳せて楽しめました。この日は観客席も笑うべきところは笑って湿っぽくなりすぎない日だったので、その点でもついていました。

どの役も微妙に不自然なところ意図的にを残さないといけないのが難しい中でみな好演していましたけど、そんな中で思いっきり胡散臭い役の作演出はちょっとずるかったですね。スタッフでは、いかにも和菓子屋っぽい箱型の模様の壁から机や椅子を出したり片づけたりしながら場面転換するのが素晴らしかったです。具象と抽象の間を取った小劇場ならではの名美術でした。

MONOはこれまで一度も観ていなくて、それはもう随分と昔に同じザ・スズナリの上演で当日券狙いで観に行ったところ、列整備がまったく行なわれずにチケットを取れず、腹を立ててそれ以来避けていました。が、今回観に行って満足できて、勝手に和解できた気分です。

劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター(エルサレム・バージョン)」自由劇場

<2024年3月6日(水)昼>

奇跡を起こして人を助け、庶民からは神の子と崇められていたジーザス・クライスト。だがその人気を恐れた為政者と既存宗教の司祭によって捕えられ、庶民からも石を投げられて処刑されるまでの日を描く。

崇めるためにやってくる庶民にうんざりするキリストと、キリストを想うあまり裏切るユダが話の中心。いいも悪いもあるけれど、自分にはいまいちでした。

悪いところで言うと、曲も編曲も古い。どうも昔のロックに聴こえると思って調べたら初演は1971年です。ああ、庶民から人気のキリストを当時のロックスターの人気になぞらえた芝居だからスーパースターなんだ、と家に帰ってから腑に落ちました。そしてロックスターに例える発想がやはり古い。古典と言うにはもう少し時間がほしいところです。

いいところで言うと、荒野の美術と襤褸の衣装を使ったエルサレム・バージョンの演出。浅利慶太の演出を踏襲しているそうですが、ロックスターになぞらえるところを無視すればありです。ダンスらしいダンスはなくて、代わりにアンサンブルで見せるのはどうよと思わないでもありませんが、それも含めての演出です。庶民がキリストを崇めるために囲む出だしなんかは非常にいい掴みでした。古びていません。

そうは言ってもミュージカルなんだから踊ってくれよとも思いました。自分は台詞なしのオペラ形式というのが苦手なんだと思います。それならそれでキャッツくらい踊ってもらえるとよかったんですけど、そうするとエルサレム・バージョンの演出になりません。かれこれ含めて自分には相性の悪い一本でした。

2024年2月28日 (水)

チケット販売に劇団名くらい入れてもらったほうがいいと思う

今度パラドックス定数が上演する「諜報員」ですけど、チケットの売行きはどんなもんだろうかと検索してみました。ぴあで。そうしたら「パラドックス定数」と入力しても引っかからないんですね。「諜報員」だと引っかかるんですけど。

商業演劇はさておき、劇団芝居だと普通は「劇団名『芝居名』」みたいな形で登録されています。だから劇団名で検索すれば引っかかるのに、今回は「芝居名」としか登録されてない(つまり「諜報員」としか登録されていない)ようです。

劇団側の申込時の記入ミスか、ぴあ側の登録時の登録漏れかわかりませんけど、不便ですよね。いまどき貴重な劇団なんですから劇団名も載せるようにしたほうがいいと思います。

で、ここまで書いてひとつ思いつきました。諜報員は身を隠すのが仕事だからチケット販売でも身を隠す、とか狙ってわざと劇団名を載せない形にしたとか。さすがに今時そこまでやるような酔狂はないと思います。単純に観客に対して不便を強いるだけです。流行りません。

暇ネタをしばらく書いていなかったので、ちょうど手頃そうな話題かなと思って取上げました。特に劇団に恨みはありません。いまさら訂正できるものかわかりませんがこんなことも起こりうるから気をつけましょうという話です。

2024年2月27日 (火)

2024年3月4月のメモ

こまばアゴラ劇場閉館にいまさら気が付きました。

・松竹主催「三月大歌舞伎」2024/03/03-03/26@歌舞伎座:昼の部に仁左衛門の出る御浜御殿綱豊卿

・パラドックス定数「諜報員」2024/03/07-03/17@東京芸術劇場シアターイースト:新作は男六人で近代事件のゾルゲ事件が題材と聞けば要注目に決まっている

・パルコ企画製作「リア王」2024/03/08-03/31@東京芸術劇場プレイハウス:段田安則をリア王に他もきっちり集めたキャストで

・東宝製作「千と千尋の神隠し」2024/03/11-03/30@帝国劇場:初演はコロナに祟られたけれど今回は主演を四人に増やして東京の後は国内ツアーとロンドン公演を並行して走らせる結構無茶な企画

・松竹主催「四月大歌舞伎」2024/04/02-04/26@歌舞伎座:夜の部が仁左衛門玉三郎で於染久松色読販と神田祭

・青年団「S高原から」2024/04/05-04/22@こまばアゴラ劇場:こまばアゴラ劇場さよなら公演の1本として

・フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京主催製作「GOOD -善き人-」2024/04/06-04/21@世田谷パブリックシアター:長塚圭史演出

・梅田芸術劇場企画制作主催「VIOLET」2024/04/07-04/21@東京芸術劇場プレイハウス:初演がコロナで3日間しか上演できなかったけれど評判がよかった藤田俊太郎演出

・新国立劇場主催「デカローグ1-4」2024/04/13-05/06@新国立劇場小劇場:規模が大きすぎて小川絵梨子と上村聡史が手分けして演出するよくわからない公演

・動物自殺倶楽部「夜会行」2024/04/24-04/28@「劇」小劇場:鵺的で初演した芝居を別ユニットで上演

・青年団「銀河鉄道の夜」2024/04/25-04/29@こまばアゴラ劇場:こちらもこまばアゴラ劇場さよなら公演の1本として2チーム上演

今回は割と公演期間が長めの芝居がみっちりと詰まっています。

KERA CROSS「骨と軽蔑」シアタークリエ

<2024年2月25日(夜)>

どこか西洋風の国。東西に分かれて戦争が続いており、男手はすでに足りなくて女子供まで徴兵されている。その西側で兵器工場を経営する一家。兵器工場の社長である主人は病気で寝たきりとなって女性秘書が何くれとなく世話を焼いている。その妻は完全に夫のことを諦めている。二人の娘は姉が売れない小説家だが徴兵されそうになった夫が行方不明になる。独身の妹は家の手伝いをしながら夫から姉に届く手紙を母と女中と相談して処分している。

どことなく暗い雰囲気の一家と関係者を描く女優ばかり7人の芝居。女中役の犬山イヌコがたまに客席に語り掛けたりして自分がこれまで観たKERA芝居とはやや違う。ただ、気が付いたら終わっていた。それはのめり込んで時間を忘れたのではなく、もうふた波乱くらい来るかなと考えていたところで巻きに入ると宣言されて、さらにそこからが微妙に時間が掛かる。女性秘書が起点になってもう少し一家を引っ掻き回すかなと思っていたけれどそちらの話が少な目。

何となくだけれど、もう少し用意していた話があったのを上演時間の都合で削ったような気がする。休憩を挟んで3時間に収めていたのは観る側としては助かるけれど、「フローズン・ビーチ」なんかは休憩なしの2時間だったからあれと比べるとどうも話の密度が薄く、食い足りなく感じた。

役者で言うと、頭から芝居のリズムをわからせてくれる犬山イヌコがやっぱり得難いところで、峯村リエが後半もう少し出番がほしくて、宮沢りえが出番の割りにもったいなくて、鈴木杏が後半に向かってどんどんよくなって、堀内敬子が地味ながらもおいしいところもある役をきっちりこなして、水川あさみは役どころの割りに出番が少ない。

小池栄子が難しい。かなりいい役を持ち場以上にいい役に仕上げていた。でもあの役はもう少しとんちんかんで不穏な役にもできたんじゃないか、明るく前向きな役に仕上げたばかりに食い足りなさの原因のひとつになっていないか、と疑っている。演出かもしれないけど。

文句なしにすごかったのは舞台で、庭と屋敷の中をプロジェクションマッピングと照明で切替えるけど、どう見ても無茶な美術のはずなのにまったく違和感がない。違和感がなさすぎて芝居中でネタにしていたくらい違和感がない。それはもうさすがとしか言いようがない。これを見たらミュージカルのスクリーンやプロジェクションマッピングですら野暮ったく見える。場面転換の極致みたいなことをやっているのでこれは見てのお楽しみで。

神奈川芸術劇場プロデュース「スプーンフェイス・スタインバーグ(安藤玉恵版)」神奈川芸術劇場大スタジオ

<2024年2月24日(昼)>

自閉症として生まれ、小児癌で7歳にして死に直面している少女であるスプーンフェイスが語る自分の一生と死に臨んでの心構え。

出ずっぱりしゃべりっぱなしの一人芝居でこの日は安藤玉恵。脚本は片桐はいり版と同じで、あまり子供らしくも病人らしくもなくはっきり客席に語り掛ける演出。内面の大人びたところを外に出した役作りというか。人形に話す相手を割当てて進めるところが片桐はいり版にはない工夫。

多少幕の上げ下げを調整するとかマイクを使うとかはあるけどスタッフワークはほぼ同じ。全体にスタッフワークのはまり具合は安藤玉恵版のほうがよくて、こちらを基準に仕立てて片桐はいりもそれに合せたっぽく見えた。

それで仕上がりはというと、これは脚本負け。少女も自閉症もわざわざ見せん、自分流で丸ごと料理してやる、という意気込みはあったのかもしれないけど、重たい話を引受けきれていない。早めの台詞回しと場面ごとの間もあまり取らないのとで話がどんどん流れてしまった。安藤玉恵をもってしてもこれか、と脚本の手強さを再認識。あと15分余分に使ってもう少しゆっくりやってくれと演出で最短上演時間を縛ってもよかったのではないか。

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