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2022年9月23日 (金)

人格より前に能力と魅力が求められる業界の話

宮沢章夫が亡くなりました。ステージナタリーより。

宮沢章夫が、うっ血性心不全のため9月12日に東京都内の病院で死去した。65歳だった。
(中略)
宮沢は1956年生まれの劇作家・演出家・小説家。1980年代半ばに竹中直人、いとうせいこうらと共にラジカル・ガジベリビンバ・システムを立ち上げた。また、シティボーイズの作品を手がけたことでも知られている。1990年に遊園地再生事業団の活動をスタートさせ、1993年に「ヒネミ」で第37回岸田國士戯曲賞を受賞。主な著作に「東京大学『80年代地下文化論』講義 決定版」「時間のかかる読書」「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット 第3集」「長くなるのでまたにする。」「NHK ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論」などがある。

私が芝居を観始めた時期がその劇場活躍時期より遅かったので、脚本演出両方手がけたもので観たのは2018年の「14歳の国」1本だけです。遊園地再生事業団名義でおそらく最後の公演です。あとは覚えている範囲で「ひょっこりひょうたん島」が共同脚本でした。なのでほとんど接点はありません。

2018年はすでに早稲田大学の教授で、公演のあった早稲田どらま館の芸術監督の肩書もありましたが、翌年に稽古場で役者を殴って事実上のクビになりました。そのころのTwitterのいろいろはこちらでまとまっています。昔から暴れがちな人だったようです。岸田國士戯曲賞の選考委員も辞退して、あとはあまり表だった仕事はしていなかったはずです。

前提として、私は暴力沙汰は苦手です。仕事で殴られたら何はさておき辞めて逃げます。そのうえで。

「14歳の国」はよくできた芝居でした。1998年の初演から20年経っても成立する脚本だったし、あの公演自体もよくできたものでした。前述の引用に載っている通り、脚本に限らず本の執筆もたくさん手がけています。過去の演出でどの程度暴力沙汰を起こしていたのかはわかりませんが、芸能界や出版界で活躍できるだけの能力を持っていたといえるでしょう。

世の中にはいろいろな仕事がありまた業界がありますが、雑に分類すると「赤点を超えれば問題ない仕事や業界」と「満点を超えない成果には意味がない仕事や業界」の2種類に分かれます。芸能界全体でとらえれば後者です。格好いい演技でも上手い歌手でも面白いトークでも、なんなら有名という知名度でも、琴線に触れるだけのピークを出せているから客は金を払います。赤点をはるかに超えていたとしても満点に届かないものに客は金は払いません。少なくともそれが単体で成立するだけの金を引張れません。

また別の雑な分類では「継続的な安定供給が求められる仕事や業界」と「成果が繰返し提供できるので1回の大成功が求められる仕事や業界」があります。芸能界の中には両方あると思いますが、映像や本などコンテンツと呼ばれるようなもの、客が金を払うものはたいてい後者に当たります。客は面白そうと思えばこそ金を払います。

芸能ごと全般が、そういうものです。そして困ったことに、能力だけでは足りません。そこに一定以上の魅力がないと一銭にもなりません。魅力とは琴線に触れるだけのピークを出せる人や持っている人で、いわゆる「客が呼べる」というものです。そして客を呼べる人はつねに不足しています。

そういう業界だからこそ、客が呼べる立場の人が威張る余地があります。威張りすぎて嫌われて干す人もいれば、それが金になるならかばって働かせる人もいます。客を呼べるだけの魅力があればある程度のアウトローには目をつぶってもらえるという点で、そういう人達がより多く流れ込むサイクルになっているとも言えます。

昨今はインターネットが発達したことと世間全般にハラスメントという概念が膾炙したことで、不行跡が伝えられると魅力にダメージが入って謹慎に追込まれるようになりました。が、能力はまた別の話です。場合によっては歪んだ人格が能力や魅力を生みだす面もあります。が、経緯はどうあれ獲得された能力というものはあります。

俗に「作者と作品は別人格」といいますが、これは作品は独立して評価されるべきという話だけではありません。客を呼べるだけの成果を出せる人の人格がまともなわけがないだろうという話も含んでいます。周りにかける迷惑の度合いに濃淡があるだけです。

繰返しますが私は暴力反対です。だからと言ってつまらないものに金を出すつもりもありません。私に限らずたいていの人が同じでしょう。だから昔から世間では、芸能界や出版界は堅気じゃない、まともな人間のつく職業ではないと区別していました。今でもそう考える人は多いでしょう。それは差別と呼ばれるレベルの区別ですが、人格よりも能力や魅力が必要な業界ではそうならざるを得ないからです。

それが最近、堅気と業界との境が曖昧になってきました。またハラスメントのない創作および創作環境の追求を試みる活動も出てきました。宮沢章夫の暴力沙汰からの隠遁は、その過渡期の出来事と言えます。

その活動がどこに落ちつくのか、金を払いたくなるコンテンツが引続き提供されるのかは、芝居なり本なりに金を払ってきた客の一人として興味を持っています。

2022年9月18日 (日)

野田地図「Q」東京芸術劇場プレイハウス(ネタバレあり)

<2022年9月11日(日)昼>

源平両家が勢いを競う都で恋に落ちた、平の螂壬生と源の愁里愛。駆落ちが行き違いで心中になりかけたところ、未来の螂壬生と愁里愛が助けて一命を取りとめる。だが心中が美談となった都で2人は表立った活動を許されない。

初演も観て、なんか後半違うような気もするのですが思い出せません。相変わらず粗筋を書くのが難しい芝居という印象は共通です。ただ今回、初演のすっきりしなさの理由がなんとなくわかりました。ひたすらその言語化に務めます。

俊寛のオマージュとかクイーンの音楽とか、全部おまけと言って悪ければちょうどいいから選ばれた飾りです。名前が大事な時代だからこそ成立っていた「名前を捨ててやってきて」と願う有名なジュリエットのバルコニーの台詞、それが匿名が当たり前の時代になるとどうなるか。それを源平を舞台にしてロミオとジュリエットで前半、後日談で後半を描くのは、さすが野田秀樹の目の付け所です。

後日談のパートでは、匿名による相手への中傷と名を広めて相手を圧倒しようとする対立が源平の合戦に発展。偽名で戦に出陣したロミオが負けて捕虜になる。ここで一瞬だけジュリエットとすれ違うも、ロミオはスベリア(シベリア)送りになる。

過酷な環境で捕虜労働にこき使われ、無価値になった金による看守の買収も失敗する。耐えかねた仲間の一人がロミオの正体をばらして看守の買収を試みるも、すでにロミオの名前に価値がなかったため失敗。これで一命を取留めたものの、捕虜釈放のタイミングで偽名のロミオは名前がなかったため釈放にならず、最後には捕虜のまま亡くなる。

愛する人をロミオに殺されて復讐のために追っていたトモエゴゼ(巴御前)は、ロミオが亡くなったことを確認すると自分も力尽きる。

名を捨てたばかりに自分としての活動もできなくなり亡くなるロミオや、相手(の名前)への復讐が過ぎてその先につながらない巴御前。言葉遊びから引用から社会問題まで、いろいろな要素を取込んで匿名の行く末まで批判的につなげる一連の流れはまさしく野田秀樹調で、こういうのを観たいから野田地図を観るんだという会心の出来です。

ならば内容にも納得がいくかというと、そこが悩ましいところです。以下はこの芝居が現実社会への批判を込めているという前提に立って、批判対象の現実社会の理解が私の理解とずれている、という話です。

ひとつは名を捨てたに掛けた匿名の扱い。ロミオの最後は捕虜のまま野垂れ死にです。名前を捨てて活動した個人の哀れな末路、と見えます。そして源平の対立で匿名の中傷を流していたのは戦の情報戦、組織によるものです。

でも世の中の匿名の大半は、普段は日常生活を送りつつ、SNSなどではID、ハンドルネーム、芸名、何と呼んでもいいですが、日常生活を隠したペルソナで発信する人達です。ロミオの個人と戦の組織の中間に位置します。このボリュームゾーンへの言及が欠けていて、匿名の扱いが極端すぎるように、乱暴な表現をすれば雑と感じます。

そこに暴力性を見出すなら、匿名個人の誹謗中傷のほうが適切です。匿名個人が、茶の間のテレビに文句を言う感覚でSNSに書込む。そうやって発信された誹謗中傷を真に受けて、酷いときには対象者が自殺に至ったとして、でも誹謗中傷をSNSに書込むような人たちほどそんなことを気にしないし反省もしないでまた誰かについて同じような誹謗中傷を書くし、前に書いた内容と正反対の意見でも気にしない。考えが変わったのではなく、文句を書くことが目的になっているような状態ですね。それが大勢とは言いませんけど、それなりの数はいます。

その前提に立つと、死んだロミオを見つけて目標がなくなって倒れるトモエゴゼだけでは、役として一途すぎます。源平の対立時にはその時の支配者である平家に文句を書くけど、そのあとで都が源氏の支配になったら源氏の文句を書くような無責任なコロスがいると、もっと厚みが出たのになと思います。

もうひとつは戦争の扱い。初演では徴兵からシベリア送りまで、日本の太平洋戦争をあつかっていると思えたのですよね。今回も後半ぎりぎりまではそう考えながら観ていました。当時の日本の指導者層の無謀無策な開戦のツケを無名な兵士が払わされたと考えるなら、齟齬のない展開でした。

ただ、ラストの松たか子の長台詞、無名戦士として扱わないでください云々を聴いた瞬間に、現在進行形のロシアとウクライナに意識が向いてしまったんですよね。意見はいろいろあるでしょうが、ロシアが先に仕掛けて、ウクライナが急いで防戦した初期の展開には異論がないでしょう。そうすると、先に仕掛けたロシアはともかく、ウクライナ側は名を捨てるの拾うのと言っている場合ではない。正真正銘、生活と命を賭けて戦うことになる。そういう戦いが今まさに行なわれています。

そしてその一環で情報戦も必要になるし、それは公式(顕名)の発信だけでなく、匿名による発信も必要になる。それは自国を鼓舞し相手国を攪乱するだけでなく、周辺国を味方につけることの必要性も現代では大きいからです。

さしたる理由もなく軍隊が攻めてくることが現実にあるし、それは海を挟んだ隣国であるという現実は、戦争と言えば太平洋戦争だった多くの日本人の戦争観を変えたでしょう。少なくとも私は変えました。初演の2019年なら問題にならなかったのに、現実が3年前の想像を追越して、脚本の戦争観が古く見えてしまいました。

ここから先は独断と偏見です。野田秀樹は個人を、それも理由はどうあれ自分から動く個人を描くのが上手な人です。逆に社会問題を描くのは苦手な人です。社会問題を借景に持ちつつも最後は個人の物語に落ちるといいのですけど、最後に社会問題が全面に出てくると違和感が残ります。人種差別を扱いつつあの女の話でまとめた「赤鬼」や、原爆投下の責任問題を扱いながらミズヲとヒメ女で引張った「パンドラの鐘」は、上手くいったほうの例ですね。

ならば今回はどうか。会えない螂壬生と愁里愛がバラバラに動くので、主人公たちに向けるべき目が借景で収まってほしい戦争に向いてしまった。それは最後に抱き合うラストを引立てても、後半長く扱った戦争と捕虜の話を払拭するには至りませんでした。そこに匿名や戦争の扱い方の違和感が重なって、納得いかなかったのが今回の結論です。

繰返しますが、ロミオとジュリエットを源平の対立で置換えたことや、名を捨てたことの末路までつながる一連の流れは実によくできています。ただし、よくできていても自分の好みに合うかどうかは別の話というだけのことです。

最後に一般感想です。今回は女性陣が活躍して、広瀬すず、羽野晶紀、伊勢佳代が目を引く出来でした。松たか子も男性陣も文句はありませんが、ちょっと身体に鞭打って演技していたような印象を受けました。これだけ公演して、さらにこれから海外を含むツアーなので、一息入れて頑張ってほしいです。個別場面ではシベリアでロミオを売ろうとする小松和重の後ろ暗い感じが一等賞です。

初演では上手最前列で観たのを今回は1階センター後方で観られましたが、全体が見えたほうが美しいですね野田地図は。もともと私は全体を眺めるのが好きですけど、それを差し引いても。今回はフォーメーションに依存する演出ではありませんでしたが、白い舞台にひびのこずえの衣装が映えて、美しかったです。

なお今回はうっかり東京千秋楽が取れてしまったのですが、2回目のカーテンコールからスタンディングオベーション。5回目あたりで野田秀樹が一人で戻って収めようとしたのですが収まらず、7回目だったかな、そのくらいで野田秀樹がもう一度一人で出てきて、ようやくお開きになりました。贔屓の役者を間近で応援できるのはライブの醍醐味ですが、私は苦手ですね。もっと素直にスタンディングオベーションすればいいのに我ながら損な性分です。

2022年9月 1日 (木)

2022年9月10月のメモ

・松竹製作「九月大歌舞伎」2022/09/04-09/27@歌舞伎座:第三部の「仮名手本忠臣蔵」に仁左衛門復帰と思ったら海老蔵とセットで悩みどころ

・神奈川芸術劇場主催企画制作「夜の女たち」2022/09/09-09/19@神奈川芸術劇場ホール:新型コロナウィルスで初日延期になってこの日程です

・モチロンプロデュース「阿修羅のごとく」2022/09/09-10/02@シアタートラム:この座組なら気にならないわけがない向田邦子原作

・公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団/ホリプロ製作「ヘンリー八世」2022/09/16-09/25@さいたま芸術劇場大ホール:新型コロナウィルスで中止になった公演のリターンマッチ

・りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館企画制作「住所まちがい」2022/09/26-10/09@世田谷パブリックシアター:白井晃の翻訳劇で小難しそうだけど役者陣には惹かれるものがある

・独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁芸術祭執行委員会主催「義経千本桜」2022/10/01-10/26@国立劇場大劇場:菊之助で通してくれるけど3部構成で1日最大2部しか上演してくれないので注意

・松竹主催「唐茄子屋」2022/10/05-11/27@平成中村座:10月と11月で演目を入替えるけど午後の部にやる宮藤官九郎脚本の「唐茄子屋」だけは2か月連続上演

・M&Oplays主催「クランク・イン!」2022/10/07-10/30@下北沢本多劇場:岩松了っぽい粗筋です

・東宝製作「エリザベート」2022/10/09-11/27@帝国劇場:余力があればミュージカルも観てみたいのでピックアップ、キャスト組合せがいろいろあるので注意

・新国立劇場主催「レオポルトシュタット」2022/10/14-10/31@新国立劇場中劇場:小川絵梨子演出でトム・ストッパードなら注目

・まつもと市民芸術館企画制作「スカパン」2022/10/26-10/30@神奈川芸術劇場大スタジオ:串田和美のスカパンは一度観ておきたいのでここがラストチャンスのつもりで

他に野田地図が09/11まで。

劇場サイトを見ていますけど、本多劇場グループのサイトが見やすくなったのがうれしいですね。各劇場のトップに公演カード一覧が載っているので、ざっと一覧を把握するが楽です。

<2022年9月18日(日)追記>

1本追加。

2022年8月20日 (土)

ラノベは現代の時代小説

このエントリーは全部思い込みで書いていますから、証拠をよこせと言われてもそんなものはありませんし、こんな反例があると言われたら知りませんでしたごめんなさい、と最初に言い訳をしておきます。

20年くらい前までは本屋にたくさん新刊の娯楽時代小説がありました。今にして思えばあれは昭和から書いて名を知られた作家の晩年の仕事でした。池波正太郎とか藤沢周平とか、井上ひさしも一部そういう小説を書いています。だいたい戦国時代から明治初期くらいを舞台にした小説です。

その人たちが亡くなって、今でも時代小説の新刊は細々と出版されていますが、明らかに種類が違います。たぶん資料収集の多寡によります。実際にあった町や家や藩を調べたうえで、それをディテールに生かした話をつくるのと、設定だけその当時にしているけど現代小説でも違和感のない話をつくるのとの差です。あとは作家本人が幼少のころに街並みや着物など江戸時代の延長の文化に接していたかにもよるでしょう。作家の祖父母世代なら江戸時代の人ですし。

ただ、どれだけディテールを書きこんでも、世話物だったり、職人や武士の修行だったり、捕物帖だったり、武家のお家騒動だったりで、話自体にそこまでパターンはありません。娯楽フィクションに徹しても忍者かチャンバラか魔物退治です。山田風太郎みたいな。社会の仕組みを問うような話よりは、パターンの中で登場人物の機微をいかに描くかが主流だった気がします。

これをひねくれた眼で見ると、娯楽小説が多かったとも言えます。趣味で読書したい人が大半ですし、それなら肩ひじ張った物語より娯楽を読みたい人のほうが多いでしょう。でも、一定数いたんですよね。娯楽小説として時代小説を読む人たちが。

その人たちは年を取って亡くなったのでしょうが、同じ国の人間の、全体的な性格が10年や20年で変わることはないです。娯楽小説を読む人たちは今も一定数いるはずで、その需要はどこで満たされているか。

新型コロナウィルスが流行って、固い物語以外にライトノベル略してラノベを紙の本でもWebでもある程度読んで、ようやく気がつきました。娯楽小説を読みたい人たちの需要のかなりの部分はラノベが満たしていました。ここに現代の作家が集まっている。集まった人数が一定の閾値を超えて、量が質を産んでいます。裾野が広いほど山は高いというやつですね。

ラノベは経済圏が出来ていて、Webで公開、人気が出たら小説出版、向いていたら漫画化またはアニメ化です。漫画やアニメは一発当たると大きいこと、脚本ひいては原作の需要が高いのと、またWebで実物が公開されて反応も読めれば人気も予測しやすいこととがあいまって、活況を呈しているのが勝手な推測です。Webで人気を博した人がプロになって最初から小説出版になることもあります。

小説が一番当たりにくいように見えますが、底堅い需要があります。そもそも新刊を出さないと出版社が困るのが一番の理由でしょうが、それでも本屋で「何万部突破」の帯を眺めた感触では、まともな質のラノベだと1巻5万冊くらい売れています。出版されるに当たってWebで公開していた小説を削除するケースもありますが、宣伝を兼ねているのかたいていはそのまま公開されています。それを見比べると、ほぼそのまま本になるケースと、本になる過程で編集して洗練されるケースと両方ありますが、Webで無料で読めるものが多いです。なのに本の小説に金を払う熱心な読者層が、全国に5万人います。

たぶんここが重要で、目利きの役割を果たすとともに、実際の金の動きを読む指標にもなっています。小説ならアマチュアからプロまで裾野の広い作家と、この5万人の熱心な読者層とがあいまって、ラノベ界が形成されています。漫画化アニメ化で原作に興味を持った層が流れ込むと、この5万が上振れします。

ついでに書くと漫画やアニメまで含めて、大げさに言うと今の娯楽フィクションの業界はルネッサンスと呼べるくらいの花盛りです。日本の人口と過去のコンテンツの集積に支えられた今がおそらくピークで、この後は人口減とともに勢いが落ちます。芝居と違って文字のコンテンツは後に残りますが、時代の雰囲気も含めて今のうちに親しんでおくのがよいです。

話はラノベに戻ります。ラノベもテンプレートと言われるような展開はいろいろありますが、舞台設定として時代小説の扱う時代は抜けています。あるのかもしれませんが、読み始めた程度では見つけられません。

「なーろっぱ」と呼ばれるドラクエ風西洋中世で剣と魔法の世界で活躍、または王族との恋愛もの。中華皇帝またはその後宮で人助けと謎解き、または皇族との恋愛もの。日本だと平安時代までさかのぼって(あやかしが出たり出なかったりして)人助けと謎解き、または有能な貴族との恋愛もの。近代日本なら大正、現代日本だと必ずあやかしが出て人助けと謎解きに加えて有能な手助けとの恋愛もの。だいたいこんな舞台設定です。日本の戦国時代から明治初期くらいまでがありません。

あれだけたくさん出ていた時代小説がなんでないのか。身近すぎて吹っ飛んだ展開が書きづらいのか、すでに散々書かれて今さら書くネタが見つからないのか、生活習慣が近代化しすぎてなーろっぱのほうがむしろ書きやすいのか。

いろいろ理由は考えられますが、おそらく一番の理由は、女性主人公またはそれに準ずる女性キャラクターを出しづらいからです。活躍させるにしても恋愛させるにしても、戦国時代や江戸時代では動かしづらい。武家だと守られる姫みたいになる。チャンバラだとくの一になる。池波正太郎の「剣客商売」には田沼意次の隠し子で剣の腕前が一流の三冬というキャラクターが出てきますが、作中(後半)では主人公の息子の嫁です。活躍する回ももちろんありますが、読者がスカッとするにはちょっと遠いポジションです。

昭和の時代小説の中にはサラリーマンの悲哀に見立てた主人公が云々、なんて書かれたものもありますが、それは昔の話。いろいろ苦労はするにしても、やっぱりラノベは主人公が活躍してナンボです。あと恋愛要素があったほうが収まりがいいし、読者もそれを期待している気配があります。だから日本が舞台の場合、平安貴族の次が大正まで飛ぶ。どれだけ荒唐無稽でも、貴族という設定で女性の活躍の舞台を担保する。現代日本であやかしが出てきたら、それはあやかしと付き合えたり退治できたりする能力で女性の活躍の舞台を担保する。その場合、資料を調べてディテールを知るよりは、フィクションを成立たせる舞台設定のほうが必要度が高いです。ディテールは質の底上げに必要不可欠ではありますが、面白さの上限を引上げるのは舞台設定やプロットやキャラクター造形など別の要素です。

脱線すると、昔の時代小説は主人公の立場に違いはあれど、主人公が自分の人生に責任を負う視点がほとんどでした。ラノベだとこれが、能力のある主人公を、別の能力と権力のある周囲が助けたりかばったりする視点になります。「同じ国の人間の、全体的な性格が10年や20年で変わることはない」と書きましたけど、性格でなく世相で言えば、ここは大幅に変わったところです。

ところで、何でも芝居に関連付けて考えるこのブログでは、ラノベが広がることで舞台の原作としての位置づけがどうなるかを考えました。

漫画アニメが原作の芝居はいろいろ上演されています。元祖はたぶん「ベルサイユのばら」ですが、最近では漫画だと「SPY×FAMILY」とかアニメで宮崎駿だと「千と千尋の神隠し」とか。ここまで大掛かりでなくとも、コアな人気の役者をキャスティングした2.5次元はいろいろ上演されています。

何本かラノベを読んで舞台化できないか考えた感想は、結構面倒です。面白いかどうか以前に、上演しやすいかどうかの壁があるからです。

・空を飛ぶ:魔法はおそらくスタッフワークでなんとかなります。空を飛ぶのも単発ならがんばれます。当たり前のように空を飛ばれると、おそらく観ていてつらい演出になります。
・食事が売り:動きが出せないし、そもそも他人の食事を眺めて面白いことはありません。「孤独のグルメ」が成功したのは無料で観られるテレビだからで、最初から映画や芝居で金を払うメディアだったらあんなに流行りませんでした。
・ものづくりがメイン:これも動きが出せません。
・人間以外の動物や魔物が出てくる:背景的な位置づけならいいですし、台詞なしで戦うなら何とかなりそうですが、大きさの違う生き物と交流があると難しいです。あと盲点なのが馬です。もとがフィクションで成立させようと頑張っている世界に、二人一組で人間が中に入った馬が出てくるとぶち壊しの恐れがあります。馬車なら馬を登場させないで済みますが、乗馬や騎馬が当たり前のように出てくると厳しいです。
・子供から大人に成長する:ずっと子供ならそういう設定だと舞台のお約束である「不振の一時的停止」で通せますが、成長して背丈が大幅に変わる場合は扱いに頭を悩ませることになります。異世界転生もので子供時代が長いとこの条件が悪いほうに効きます。
・東洋貴族設定:これは衣装や美術に金がかかるのが難点です。西洋ドレスと館のほうがまだ手慣れてやりやすいでしょう。

ほしいのは「リアリティーより説得力」なので、なーろっぱでも何でも、原作で舞台設定詰め切れていないのは構いません。が、それを芝居にしたときに最低限のリアリティーを担保するための準備は必要です。上演しやすそうなラノベもたまにありますけど、少数派です。

だから本当は最初から脚本家としても活躍する人が出てくれるのが望ましいです。池波正太郎は芝居脚本が先で小説が後、井上ひさしもストリップ劇場のコントから始まって放送作家になってから芝居脚本を書いて小説が最後です。最近だとイキウメの前川友大が漫画原作をやっていました。三谷幸喜や宮藤官九郎も芝居をやりながら放送作家を経て映像脚本家です。芝居から始めて他に広がる人はいても、他から芝居へは流入が少ないのですよね。ぱっと思いつくのはCM業界から芝居にも手を広げた山内ケンジくらいです。

パソコンとインターネット環境があれば世界のどこでも書いて発表できる小説と、人が集まって上演しないと完結しない芝居との差はあります。でも原作上演ではなくオリジナルを依頼する団体が出てきてもよいはずです。やっぱり脚本形式で上演可能であることを意識しながら2時間なり3時間なりに収めるところにハードルがあるのでしょうか。

あと、時代小説が減ったと書いてきましたが、テレビで時代劇が減ったのは何年も前から言われてきたことです。いま新作で作られている時代劇はスタッフの技を維持する目的も大きいとどこかで読みました。だから歌舞伎と大河ドラマくらいしか時代劇が作れなくなる云々。

これはまったく根拠のない推測ですが、どこかで反動が来ると予想します。あと10年か20年くらいしたら、時代小説の名手と呼ばれる書き手が彗星のように突然現れて、そこから時代劇が作られて、息を吹き返すのではないかと期待しています。本当にただの勘ですが、そんな勘を言葉にするなら、やっぱり日本人の血が根強く時代劇を求める予感があるからです。それをもっと詳しい言葉にするなら、外国でも見かけるような多様化が進むほどに反動としてルーツを求める揺り戻しであったり、科学技術が発展しすぎて理解困難なことから人力と人間関係で理解できる世界が求められたり、です。

時代小説と入替りにラノベ経済圏が花盛りですが、これが芝居にどのくらい影響を与えるのかに注目です。

2022年7月22日 (金)

新型コロナウィルス第7波の猛威

全部挙げていられないのでメモに挙げたものを7月分だけ拾ってみます。もはやコピペすら面倒なのでメモ書きです。

・松竹製作「七月大歌舞伎」2022/07/04-07/29

7月18日の第一部が中止、その後7月19日から7月23日まで全公演中止、結局7月23日以降千秋楽まで中止。

・ハイバイ「ワレワレのモロモロ2022」2022/07/07-07/10

これだけ、全公演完走しています。

・マームとジプシー「cocoon」2022/07/09-07/17

7月12日の中止、から千秋楽まで中止になりました。7月23日の長野から9月23日の北海道までツアーがあるのでそちらで待機。首都圏で観たい人は9月2日から9月4日の埼玉公演が無事に行なわれることを願いましょう。

ちなみに8月20日と21日に沖縄公演がありますけど、先ごろ中部病院が8月末まで一般外来全件お断りのアナウンスを出しました。そんなところにツアー行って大丈夫でしょうか。

しかしながら、新型コロナウィルス感染症の急激な感染者増加に伴い、当院の職員もコロナに関連した休業者が増加し、これまでどおりに救急医療を続けることが厳しくなっております。そのため、苦渋の決断ではございますが、一次救急外来と一般外来を、下記のとおり停止することに致しました。

また、当院では、重症化の低い発熱等の患者に対する新型コロナウィルス感染症のPCR検査は実施しておりませんので、ご了承ください。

皆様には大変ご不便をおかけいたしますが、医療体制がひっ迫している現状をどうかご理解いただき、ご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

一次救急外来の停止期間:令和4年7月21日(木)~8月31日(水)予定
一般外来の停止期間:令和4年7月25日(月)~8月31日(水)予定
   (予約されている方については対応いたします。)

・シス・カンパニー企画製作「ザ・ウェルキン」2022/07/07-07/31

7月21日から7月24日まで公演中止が決定していますけど、その後どうなるか。

・燐光群「ブレスレス」2022/07/15-07/31

初日から7月24日まで開幕延期中です。その後どうなるか。

・タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」2022/07/20-07/24

全日程中止決定です。

・野田地図「Q」2022/07/29-09/11

今のところ何もアナウンスはありません。前回の「フェイクスピア」は隙間を縫って全公演完走しましたけど、さすがに今回はどうなることやら。

ということです。7月だと観に行くならこの週末かなと考えていたのですが、観に行く芝居がありません。ここに載せていない芝居も多数中止が発表されています。こんな状況では東京に出かけるのもおっかなびっくりなので、しばらく大人しくしています。

<2022年7月26日(火)追記>

野田地図もアナウンス出ました。初日7月29日から7月31日まで3日間4公演を中止して開幕延期です。6週間強の日程だから主演級が重症化しない限りは全中止はないと思いますし、さすがにこの面子ならワクチン打って参加しているから重症化はないと信じて、様子見です。

<2022年7月26日(火)再追記>

赤坂ACTシアターで上演中のハリーポッターも本日中止になりましたが、昼の公演の開場後に中止が発表されたとYahoo!ニュースのトップに載ってました。昼の回が12時15分開演と設定されていたので、商業公演だと通常は1時間前開場ですから、昨今の感染拡大で検査結果の報告が間に合わなかったと推測します。

なお昼がこんな早い時間になっているのは、上演時間が3時間40分と長いためですね。夜の回は22時までに終わらせたい、から逆算して17時15分開場18時15分開演が最短。昼の回はカーテンコールして、客出し終わらせて、舞台を戻しつつ並行して掃除や忘れ物確認で4時間40分。それを予備を見て17時から逆算して12時15分。

2022年7月 2日 (土)

2022年上半期決算

恒例の決算、上半期分です。

(1)松竹製作「三月大歌舞伎 第二部」歌舞伎座

(2)加藤健一事務所「サンシャイン・ボーイズ」下北沢本多劇場

(3)小田尚稔の演劇「是でいいのだ」三鷹SCOOL

(4)新国立劇場主催「ロビー・ヒーロー」新国立劇場小劇場

(5)イキウメ「関数ドミノ」東京芸術劇場シアターイースト

(6)日本総合悲劇協会「ドライブイン カリフォルニア」下北沢本多劇場(1回目)(2回目

(7)松竹製作「六月大歌舞伎 第二部」歌舞伎座

(8)鵺的「バロック」ザ・スズナリ

(9)新劇交流プロジェクト「美しきものの伝説」俳優座劇場

以上9公演10本、隠し観劇はなし、すべて公式ルートで購入した結果、

  • チケット総額は81750円
  • 1本あたりの単価は8175円

となりました。なお各種手数料は含まれていません。

観ている本数の割りに単価が高いのは歌舞伎2本のせいで、それを除けば単価5000円弱です。やっぱり歌舞伎は高くつきます。

また今シーズンは映画館で観る芝居映像に初挑戦しました。

(A)National Theatre Live 2021「リーマン・トリロジー」(1回目)(2回目

と同じものを2回繰返しました。こちらは

  • チケット総額は6000円
  • 1本あたりの単価は3000円

です。各種手数料が含まれていないのは同じです。

自分の都合から振返ると、1月2月は新型コロナウィルスの第6波で引きこもり、3月に減少傾向になってきたので観始めたものの、4月5月は忙しいのと観たい芝居が公演中止になったのとでタイミングが合わずにまた減って、5月後半から6月で取返したのが主な傾向です。この中で思い入れがあって明確に観たいと願ったのは「ドライブイン カリフォルニア」です。このブログを始めることなった芝居だからです。

芝居を観始めたころは、今はなき「えんげきのぺーじ」というWebサイトに感想を書込んでいました。私の「六角形」という管理人名も「えんげきのぺーじ」で使っていたハンドルネームです。その後ブログが登場して、早い人たちは自分のブログを開設して感想をまとめていました。「ドライブイン カリフォルニア」の再演を観たのがそのころです。観終わった後、この面白さを長さを気にせずに書きたいという想いと、書いた文章は他人の管理するWebサイトにまかせるのでなく自分で所有したいという想いと、両方に突き動かされてブログを開設しました。

やりたくないことは多くてもやりたいことの少ない自分が、明確にやりたいと自覚して行動に移した数少ない事例です。そのような情熱をかき立ててくれた芝居として長年片思いして、それが高じて今回2回も観てしまいました。18年前の芝居を観て当時と同じくらいの満足感を得られたということは、当時でも高かったクオリティよりさらに高いクオリティで上演してくれたことになります。満足しました。当時と今回の関係者に感謝です。

SNSがあまり好きではなく今でもブログに書いているのは、「長文と所有」というこのときの想いが続いているからです。当時は18年も続くとは考えませんでしたが。その後、長い文章をブログでは書けるので短く表現できるようになりたいという願いが増えましたが、それは同じ内容をできるだけ端的に的確に表現したいという願いであり、140文字など決まった上限に収めたいという欲とは違います。

ちなみに「えんげきのぺーじ」は短文感想の自由投稿欄が、今でいうメインコンテンツでした。最初は文字数制限がなかったところ、長文感想を書込む人が増えたので、1本200文字くらいの文字数制限が導入された記憶があります(曖昧)。私は今も昔も文章が長くなりがちなので、なるべく短い文字数でたくさんの感想を書けるように、新聞の三行広告のような文体で書込んでいました。あのころの文体が今に残っていますね。今期だと(4)(7)(8)あたりにその名残があります。自分の文章の癖がいったいどこから来たんだと悩んでいたのですが、あのころの短文感想が理由だったかと思い至りました。時期によってムラがあってもブログを続けている理由のひとつに文章が上手くなりたいという願いがあったので、癖の由来に気がついて、この文章を書きながらちょっと感動しています。

ただ、本当に文章が上手くなりたかっただけなのかな、と改めて考えています。そもそも書きたいことがないのに文章の巧拙だけを問うてもしょうがなく、書きたいことがあって始めて文章の技術が必要になるのですから。

「ドライブイン カリフォルニア」の再演を観たときと同じ情熱を等しくすべての芝居に持っていたわけではない、それでも文章を書いていたのは自分の気持ちを整理して把握したいためであり、文章欲とは重なるところもあるけど似て非なるものだったのではないか。そんな基本以前の話を今さら考えています。

(9)を書いたとき、これは何日がかりになるだろうと身構えていたのですが、1日であっさり書けました。書きはじめるまでに2日ありましたし、それなりに時間はかかりましたが、書きたいことは初稿で書きだせました。文章が上手くなくとも、書きたいことがあっさり書けた経験を通じて、文章力の上達とは違うところにも自分の欲がありそうだと気が付きました。私が欲していたのは自分の気持ちを整理することで、その手段としての言語化や文章化とごちゃ混ぜにしていたようです。文章が上手くなりたい欲は間違いなくあるのですが、気持ちを整理したい欲はそれ以上に大きかったです。

振返ってみれば、観た芝居の好き嫌いを本当に自分の気持ち通りに判断できるようになったのはここ数年のことです。ブログに書いた後でいや待てよと悶々とすること幾たびか。そう言えるようになるまで本当に長かった。それが行き過ぎて、芝居自体の感想にとどまらず、メタな周辺情報が増えたよじれた感想が増えました。安からぬ木戸銭を払っているのだからもっと積極的に芝居に没入して楽しめばいいのにと自分で自分にツッコミを入れる日々です。一方で、周辺情報も含めた妄想を刺激するところまでが木戸銭の対価だと主張する自分もおり、そこは性分だとあきらめています。

そんな気分で上半期の芝居一覧を眺めると、新作が1本もありません。一応(4)は日本では初演だと思いますが当然公開は海外初演、他は古典も現代劇も再演ものばかりです。さらに大半は過去に観たことのある芝居です。気になっていたものをもう一度観るのはかまいませんが、初挑戦要素が少なすぎです。ならばそれが悪いか。そうでもない、むしろこれでもいいんじゃないかと最近は思えます。

好感度の高かった芝居を取上げると、過去の感想の疑問が解決できたり前作からの半分続きだったりで見納め気分になれた(3)(8)、お手本のようながっちりとした構成にぴったりのキャスティングを実現した(4)、ようやく観られてこれぞ新劇と堪能した(9)、そして上にも書いた通り思い入れのあった(6)、です。1本選ぶなら思い入れ抜きでも小劇場が生んだ名作と呼べる(6)、僅差で次点が(9)になります。

あとはやっぱり(A)ですね。西洋芝居は、古典はいざ知らず、近現代の芝居は(4)のようにはっきりしたテーマとがっちりした構成を持ったもの、あるいはエンタメに徹したものの両極端が多いと思っていました。が、会社の発展と倒産までを創業者一族の視点で描いて、雰囲気と余韻が支配する(A)のような芝居が大成功するあたり、偏見だったと反省します。原作はイタリアとのことで、やっぱりヨーロッパの文化は奥が深いです。舞台映画1本目にして緊急口コミプッシュを出して、思わず2回観てしまいました。

打率はそこそこ、当たった時の満足が大きい、さらに過去に気になっていた芝居がいろいろ観られた、本数は少なくても結果として満足、が上半期の総括となります。

あとは下半期に向けてです。ストレートプレイはミーハーに演目に選んで、古典やミュージカルを増やしてもよし、他の趣味の割合を増やしてもよし、もう少し肩の力を抜いて気楽に芝居を観ることが今後の目標です。目標に掲げている時点で力が抜けていないのが難点です。

新型コロナウィルス前は3年連続50本以上、2019年は63本観ました。観るのが仕事の人、まだ見ぬ才能を探す業界人、あるいはこの業界を目指して目と耳の修行をする人なら年間100本が目安のひとつとは以前から考えています。でも趣味で観る人には100本どころか50本でも時間と金と体力が一苦労です。年間の本数がそこまで多くない代わりに観ている年数が長くなったので、日本語のストレートプレイなら一般観客として最低限の鑑賞力は身に着きました。なので、本数を追うことは控える方針です。なお過去にも似た宣言をした覚えがありますので話半分で読んでください。

ただし鑑賞力とは別に選球眼という軸があって、一般観客には観ている演目を味わう鑑賞力よりも、好みに合う演目を選ぶ選球眼のほうが大事というのが最近の自分の意見です。これこそ養うためには本数が必要だったのですが、今後数年単位で観る本数が減ったら選球眼が維持されるか衰えるかは気になります。

芝居以外の話題だと、半年前に書いた話の続きですね。表現の自由を巡る話は、今まさに参議院選挙の最中で現在進行形です。新型コロナウィルスは、落着くかと思ったら次の変異株なのか人の移動が増えたのか、また陽性者が増加傾向にあります。戦争の話は、ロシアとウクライナは始まってしまいましたが、そこが難攻したせいか中国は自重していますので自重が続くのを願うばかりです。ただし物資物流の混乱はもうしばらく続きます。これらに加えて、新型コロナウィルス以外にサル痘の話、酷暑と電力の話、秋口以降の食料品事情がどのような形になるか、あたりがいま挙がっている話題です。

それでも日常は続きます。その合間をぬって、不要不急の文化で息抜きをして、また日常を生抜ければと願っています。引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

2022年6月30日 (木)

芸術監督蜷川幸雄の発掘仕事と胆力の話

ドライブイン カリフォルニア」で書き忘れたことがあったので追記です。公式サイトで松尾スズキがこんなことを書いています。

「ドライブイン カリフォルニア」三度目の公演である。
今まで再演されたわたしの作品は、
これをふくめて「愛の罰」「ゲームの達人」「ふくすけ」「マシーン日記」「悪霊」
「母を逃がす」「キレイ」「業音」「ニンゲン御破算」今年再演される「命、ギガ長ス」
と・・・・三〇年以上演劇を続けていると、
まあまあやっているなという感じになるわけであるが、
三度以上のものとなると、
「ふくすけ」「マシーン日記」「悪霊」「キレイ」と、四つほど。
ぐっと絞られたラインナップに「ドライブイン」は参入する、
ということは、自分の中でも「好き」
そして、それが許されるということは
「世間的評価がよろしい」ということになるのだろう。
現に、初演を見に来た蜷川幸雄さんのゴーサインをもって、
わたしはシアターコクーンという商業劇場に進出することになった。
いわば、わたしにとって初めての「外の世界に向かって開かれた」作品だといえる。
それに、わたしにしては「悪霊」とともに、
とても珍しい一幕もの(一部幻想的シーンははさまれるが)で、
良くも悪くも、めまぐるしい場面転換で知られる松尾作品の中では異彩を放つ、
わりと落ち着いた「芝居らしい芝居」であって、
松尾初心者の方にも、「あ、今、自分は何を見せられているのだろうか」という
時間のない入門編として、
いかがでしょうかとおすすめせずにはいられない一品となっております。
初演はみな、背伸びをして大人を演じておりましたが、
再再演ではむしろ大人になりすぎてはいまいかと
不安げな大人計画の面々を生暖かい目で見守ってください。
ゲストの皆さんとの邂逅も、松尾は楽しみでなりません。
では、その日まで、みなさん、お達者で。

松尾スズキ

この中の「初演を見に来た蜷川幸雄さんのゴーサインをもって、わたしはシアターコクーンという商業劇場に進出することになった」のくだりに注目です。

蜷川幸雄がシアターコクーンの芸術監督を務めた時期は1999年からです。シアターコクーンのサイトによると以下の通りです。

シアターコクーンでは、開館時から芸術監督を務めた串田和美氏の任期が96年で満了した後、99年より演出家の蜷川幸雄氏(~16年)が就任。2020年からは、作家・演出家・俳優の松尾スズキ氏が芸術監督に就任しました。

ちなみに1998年にはさいたま芸術劇場の芸術監督にも就任しています。この辺の経緯わからないのですが、串田和美が辞めて次の芸術監督を蜷川幸雄が打診された。さいたま芸術劇場の芸術監督もあるから時期はずらしてもらうとして、ラインナップが重ならないようにする必要がある。さいたま芸術劇場はシェイクスピアで話題を呼んで、シアターコクーンはそれ以外で話題を呼ぼうと、新鮮味を出せる若手を探したのでしょう。

もちろん蜷川幸雄がひとりで検討したわけはないでしょうが、面白いという話が挙がって自分で足を運んで観に行った。「ドライブイン カリフォルニア」初演は1996年12月、目いっぱい入れて定員294人のシアターサンモールです。同じ年の7月に岸田國士賞受賞の「ファンキー!」が本多劇場で上演されていますが、岸田國士賞の発表は年明けなのでまだ受賞は決まっていません。本多劇場はおそらく1994年の「愛の罰」とまだ2回だけです。大人計画の公式記録によればこのころは上演ペースが年に5-8本と狂っていますが1回あたりの公演日数は長くて2週間です。冒頭の通り松尾スズキにまだ商業劇場の経験はありません。

それでも自分の目で確かめて、3年半後の上演にゴーサインを出した。1996年当時だと61歳くらいでしょうか、並々ならぬ行動力と決断力です。ラインナップを決めるにあたって、そういう発掘作業を行なっていた。これぞ芸術監督という仕事です。その成果が2000年6月の「キレイ」です。私の松尾スズキ初見作でもあります。

芸術監督の似た仕事だと、新国立劇場は国内国外の既存脚本を使って、演出家を呼ぶ企画が多いです。演出家探しには熱心ですが、演劇研修所を持っているせいか役者を発掘している印象はありません。東京芸術劇場は、小劇場の劇団を探す芸劇eyesはよい企画だと思いますが、発掘しているというより機会を設けるという形のようです。昔より今のほうが東京芸術劇場は活発化していますが、発掘して推す印象はありません。三鷹市芸術文化センターはMITAKA "Next" Selectionがありますが、あれは発掘よりもSelection、今面白いものを選ぶという印象が強いですが、東京芸術劇場よりは推しています。ただしオファーから上演まで1年後とかそのくらいのスパンです。

そう考えていくと、その人の商業演劇の初の1本を任せるという決断、なかなかできるものではありません。

芸術監督の仕事の一端をのぞき見ることができた、という話でした。

<2022年7月2日(土)追記>

タイトルを更新し忘れていたので更新。

2022年6月29日 (水)

劇場によって全然違う芝居宣伝文

隔月で芝居情報を調べるのにチラシと劇場サイトを見るという古臭い手法を取っています。そのうちの劇場サイトの話です。

劇場がどこまで芝居の宣伝をするかはいろいろな条件に左右されます。貸公演だと書かないことのほうが多いですね。主催公演は真面目に宣伝文を書くことが多いようです。で、書くときの文章が劇場によって全然違います。実例を見てもらったほうが早いので4本集めてみました。見出しが太字なのはだいたい共通なので再現しましたが、フォントの色やサイズなどは無視しました。そのほうが文章の違いがわかります。

最初は世田谷パブリックシアターの「毛皮のヴィーナス」です。

新鋭の演出家・五戸真理枝がシアタートラムで初演出
人間が持つ根源的な欲望を描いたスリリングな二人芝居に、高岡早紀と溝端淳平が挑む

世田谷パブリックシアターでは8月~9月、シアタートラムにて二人芝居『毛皮のヴィーナス』を上演いたします。本作は、「トラム、二人芝居」と称し、新進の演出家を起用し、実力派キャストによる二人芝居を上演する企画のうちの一作です。

『毛皮のヴィーナス』は、“マゾヒズム” の語源にもなったオーストリアの小説家L・ザッヘル=マゾッホの小説から想を得て、米劇作家デヴィッド・アイヴズが舞台用に戯曲を執筆し、2010 年にオフ・ブロードウェイにて初演された作品です。その後ブロードウェイでも上演、さらに2013年にはロマン・ポランスキー監督により映画化もされました。オーディションを受けに来た女優と演出家、さらに戯曲の登場人物も交錯するという二重構造を駆使しつつ、人間が持つ根源的な性的欲望をスリリングに描き出していく、ライブ感あふれる舞台です。

本作『毛皮のヴィーナス』の演出を手掛けるのは文学座所属の五戸真理枝。上村聡史らのもとで演出助手として研鑽を積んだ後、2016年に文学座アトリエの会『かどで/舵』の『舵』で、初演出を果たしました。また、新国立劇場等の外部公演でもゴーリキーやチェーホフといった古典の名作を瑞々しい感性で演出し、脚光を浴びています。さらに、元々は劇作家志望だったということもあり、戯曲や小説からの脚色、童話の執筆にも積極的に取り組むなど、多彩な才能の持ち主です。そしていよいよ本作で世田谷パブリックシアター主催公演の演出デビューを飾ることになりました。

女優ヴァンダ役を演じるのは高岡早紀です。世田谷パブリックシアター主催公演へは3年連続の出演となります。三部構成の『愛するとき 死するとき』(21年、演出:小山ゆうな)では複数女性像を巧みに演じ分け、世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン』(20年、演出:森新太郎)ケンダル夫人役では知的な演技と優美な姿で観客を魅了しました。その確かな演技力と美貌で、謎多き女優・ヴァンダをいかに演じるか大きな期待がかかります。

ヴァンダに翻弄されながらも惹かれていく演出家・トーマス役は溝端淳平が演じます。シアタートラムへは、繊細な演技が好評を博した『管理人』(17年、森新太郎演出)以来の登場です。相手役の高岡とは舞台では3回目となる共演で、互いに信頼を寄せ合う「同志」のような二人のタッグが、本作の世界観をさらにパワーアップさせていくに間違いありません。

シアタートラムという限られた空間での、刺激的でライブ感あふれる二人芝居『毛皮のヴィーナス』、どうぞご期待下さい。

ストーリー
演出家のトーマスは、彼が脚色した戯曲『毛皮のヴィーナス』のヒロイン役のオーディションをするも、これぞ!という女優は見つからなかった。帰ろうとしたところに、オーディションに遅刻したという無名の女優ヴァンダが現れる。トーマスが求めるヒロイン像とは何もかもが違っていたが、強引なヴァンダに押し切られ、しぶしぶオーディションをすることになった。しかし相手役を務めるトーマスは、次第にヴァンダの演技に惹かれ出し、3ページで切り上げるはずだった読み合わせは、いつしか……。

次はBunkamura公演ですがシス・カンパニー製作の「ザ・ウェルキン」です。

12人の女性の手に委ねられた少女の命。
大胆かつスリリングに!残酷なほど正直に!
女性たちは自分自身と少女に向き合っていく。

英国の若手劇作家ルーシー・カークウッドの新作として、
コロナ禍直前の2020年1月末に英国ナショナルシアターにて開幕。
ロックダウンで中止になるまでの限られた上演でしたが、
サスペンスフルに展開する物語は大喝采を浴びました。
一人の殺人犯の少女と、陪審員となった市井の12人の女性たち。
猥雑で力強いエネルギーと笑いにも彩られながら、
男性支配社会に生きた18世紀半ばの女性たちの姿が浮き彫りに…。
気鋭の加藤拓也が初の翻訳戯曲演出に挑み、卓越した力を誇る俳優陣が激突!
演劇ならではの魅力に溢れた時間をお届けします!

あらすじ
1759年、英国の東部サフォークの田舎町。
人々が75年に一度天空に舞い戻ってくるという彗星を待ちわびる中、
一人の少女サリー(大原櫻子)が殺人罪で絞首刑を宣告される。
しかし、彼女は妊娠を主張。妊娠している罪人は死刑だけは免れることができるのだ。
その真偽を判定するため、妊娠経験のある12人の女性たちが陪審員として集められた。
これまで21人の出産を経験した者、流産ばかりで子供がいない者、早く結論を出して家事に戻りたい者、生死を決める審議への参加に戸惑う者など、その顔ぶれはさまざま。
その中に、なんとかサリーに公正な扱いを受けさせようと心を砕く助産婦エリザベス(吉田羊)の姿があった。
サリーは本当に妊娠しているのか? それとも死刑から逃れようと嘘をついているのか?
なぜエリザベスは、殺人犯サリーを助けようとしているのか…。
法廷の外では、血に飢えた暴徒が処刑を求める雄叫びを上げ、そして…。

同じBunkamuraでも特設サイトの「世界は笑う」です。

ケラリーノ・サンドロヴィッチが描く、
昭和30年代新宿、笑いに魅せられ、笑いに取り憑かれた人々の奇想天外な人間ドラマ。
5年ぶりのBunkamuraシアターコクーンで、
豪華キャストを迎え、新作書き下ろし!!

劇作家・演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)が、2017年『陥没』以来5年ぶりに、Bunkamura シアターコクーンで新作公演を行うことが決定しました。

舞台は、昭和30年代初頭の東京・新宿。敗戦から10年強の月日が流れ、巷に「もはや戦後ではない」というフレーズが飛び交い、“太陽族”と呼ばれる若者の出現など解放感に活気づく人々の一方で、戦争の傷跡から立ち上がれぬ人間がそこかしこに蠢く…。そんな殺伐と喧騒を背景にKERAが描くのは、笑いに取り憑かれた人々の決して喜劇とは言い切れない人間ドラマ。

戦前から舞台や映画で人気を博しながらも、時代の流れによる世相の変化と自身の衰え、そして若手の台頭に、内心不安を抱えるベテラン喜劇俳優たち。新しい笑いを求めながらもままならぬ若手コメディアンたちなど、混沌とした時代を生きる喜劇人と、彼らを取り巻く人々が、高度経済成長前夜の新宿という街で織りなす、哀しくて可笑しい群像劇。

出演には、KERAとの3度目のタッグとなる瀬戸康史、2度目となる松雪泰子をはじめ、KERA作品に初出演となる千葉雄大、勝地 涼、伊藤沙莉、ラサール石井、銀粉蝶など、勢いのある若手から存在感が際立つベテランまで多彩な実力派キャストが顔を揃えました。 2009年より昭和の東京をモチーフに発表してきた「昭和三部作」シリーズをはじめ、日頃から “昭和”という時代への深い愛着を公言するKERAが、“昭和の喜劇人”を作品の題材とするのは今回が初めて。その挑戦に期待が高まります。

最後にパルコの「VAMP SHOW」です。あらすじ紹介が過去作紹介と合体しているのですがそこは目をつぶって引用。

三谷幸喜 作、幻のホラー・コメディ!
新たな血を求めて、21年ぶりに復活!!
全国を旅して暮らす、陽気な五人の男たち。
みんな揃って歌好きで、何故だか全員、夜行性。趣味は襲撃、献血カー。
苦手なものは、十字架で、大好きなのは―チュウチュウチュウ!?

本作は、1992年、サードステージのプロデュース公演として初めて上演された伝説の舞台。2001年にはパルコ&サードステージ提携プロデュースとしてPARCO劇場にてキャストを一新し、池田成志の演出で上演された、三谷幸喜作、異色のホラー・コメディです。
楽しく旅する5人組の吸血鬼。うっそうとした森に囲まれたさびれた山間の駅にたどり着く。駅には駅長と、電車を待つ女性が一人・・・。
西村雅彦、古田新太、池田成志(1992年)、佐々木蔵之介、堺雅人、河原雅彦、橋本じゅん、伊藤俊人(2001年)と、当時の若手実力派俳優が出演し、上演してきた幻の作品がついにPARCO劇場へ帰ってきます!

2001年版で出演していた河原雅彦が演出のバトンを受け継ぎ、キャストにはドラマ『最愛』や『ミステリと言う勿れ』などに出演し癖のある役も難なくこなす高い演技力で評価されながら、現在放送中の「恋なんて、本気でやってどうするの?」で不器用ながらも主人公の親友にアプローチする不思議男子・克巳を演じ普段の役とのギャップでTwitterトレンド入りも果たした岡山天音、映画『今日から俺は!!』や連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に出演し、『インビジブル』では主人公の刑事人生を大きく揺るがせた事件で殉職した安野慎吾を演じたことも記憶に新しい平埜生成、映画『銀魂』やドラマ『勇者ヨシヒコと導かれし七人』に出演し、2022年春放送の『ユーチューバーに娘はやらん!』ではユーチューバーの不安定だが冒険家なタックタックを演じるなど多くの作品で抜群のコメディーセンスを発揮している戸塚純貴。獣電戦隊キョウリュウジャーで注目を集め、バンド女王蜂のMV(『KING BITCH』)出演や現在放送中の連続ドラマ『探偵が早すぎる?春のトリック返し祭り?』では、主人公に熱心にアプローチする会社の同僚・大谷和馬を演じ話題を呼んだ塩野瑛久、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』での頼もしい兄から、NHK連続テレビ小説『カーネーション』では不憫な次男、ドラマ『アンナチュラル』『シグナル』の連続殺人犯役と演技の幅が広く、どんな役柄でも自分のものにしてしまう個性派俳優尾上寛之と今後益々期待される若手演技派俳優たちが結集!
さらに、NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』やドラマ『過保護のカホコ』『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』など話題作への出演が続いており、7月にはドラマ『雪女と蟹を食う』の出演も控えている注目の若手俳優久保田紗友。また、数々の舞台に出演し、連続テレビ小説『エール』や、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』など映像作品でも活躍、2022年には映画『20歳のソウル』の公開も控えている菅原永二の2人が加わり、全キャストが決定いたしました。

2022年版、新たな「VAMP SHOW」にご期待ください!

これまでのVAMP SHOW

山間の寂れた駅で、5人の青年がある女性と出会うことで始まる物語。
明るく楽しい旅行者の青年たちは実は吸血鬼で・・・。

初演は1992年。俳優・池田成志の「怖くてびっくりするホラーな芝居がやりたい」、から始まった本企画。中心に流れる話は魅力的でないと成立しない、と脚本を三谷幸喜に依頼。
三谷幸喜作品らしい笑いはもちろん、ゾクっとするホラー要素が加わり、若手俳優たちの演技合戦も魅力的な、見どころ満載の傑作ホラー・コメディが誕生した。

2001年版では、それぞれ演劇界を中心に実績を重ね、映像にも活躍の場を広げ注目されていた、堺雅人、佐々木蔵之介、橋本じゅん、河原雅彦、伊藤俊人らが演じ、舞台俳優の魅力と演劇の面白さを存分に発揮した。

そして、2022年。様々な作品で欠かせない存在となっている実力俳優が集まり、新たな「VAMP SHOW」が誕生する。

どうでしょう。

「毛皮のヴィーナス」は好ましいですね。芝居のあらすじがわかって、関係者紹介文も芝居関係の経歴で紹介しているところがよいです。可能な限り自劇場に出演した時の経歴で紹介するところは、長くやっている劇場ならではです。

「ザ・ウェルキン」の宣伝文も好ましいです。あらすじはきっちりわかります。そのうえで、多すぎる出演者の紹介はあらすじに混ぜて控えめにしつつ、脚本の評判を推していくというスタイルです。

「世界は笑う」は、KERA新作なので脚本が出来上がっていないでしょうからあらすじ紹介がないのは割引きます。とはいえ、KERAであることが一推し、さらに紹介不要な有名出演者で推していく、という姿勢は見て取れます。

「VAMP SHOW」の異質さがひときわ際立ちます。ホラーコメディだからあまりネタバレしてはいけないのはわかるのですが、出演者の紹介をすべて映像で揃えているのが他3サイトと明らかに違います。

この「VAMP SHOW」の文章に違和感を感じすぎてこのエントリーを書いています。出演者の舞台経験が少ないからしょうがないと言われればその通りですが、もう少し書きようがないものか。

と考え出すと、そもそも劇場サイトは誰に向けて情報発信しているんだとなります。劇場サイトを見て観に行こうと考える客がどれだけいるか。

出演者目当ての人は、出演者の公式サイトを見て決めるでしょう。その場合、劇場サイトに望むことは日程やチケットの公演情報であり、宣伝文は読まないと思います。

私みたいな人間だと、劇場と脚本演出出演者で最初のフィルターが働きます。そのうえであらすじを見て判断します。あらすじ以外の宣伝文は補足です。読んでも観に行く行かないの判断には影響しません。

芝居見物の大ベテランだとチラシで判断していると思います。劇場サイトに望むことは日程やチケットの公演情報であり、宣伝文は読んでいないでしょう。

芝居初心者はどうかというと、そもそも劇場サイトを見ません。たまたまチラシを手に取って興味が湧くか、テレビその他で紹介されていて気になって、人によっては劇場サイトで調べるのが導線だと思います。でも、調べて満足するのが大半、観に行くつもりの人は公演情報を確認したいのが目的です。宣伝文で観に行くことを決める人はごくごく少数と推測します。

そうなると誰向けの情報なのか。おそらく「VAMP SHOW」は、芝居を知らないマスコミ関係者に記事を書いてもらうための宣伝資料なのではないでしょうか。

ならば一般観客向けに宣伝文は不要か。そう言い切れないのが難しいところです。劇場サイトを読んだ側に与える印象というものがあるからです。売りになるものがあるかないかとはちょっと違います。宣伝文のひとつも書けない芝居では、制作の本気度が疑われます。そのうえで、何を宣伝に選ぶかで制作の趣味を無意識に訴えかけています。観客側は、宣伝文を見て決めるというより、宣伝文を含めた劇場サイト全体の雰囲気で制作の趣味と信頼度と本気度を測っています。

野田地図の「Q」を載せた東京芸術劇場のサイトを追加引用します。

野田秀樹×QUEENの衝撃作品、世界ツアー決定!
松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳らが奇跡の再集結!

イギリスを誇る世界的ロックバンド、クイーンが1975年に発表した傑作『オペラ座の夜』の世界観と、シェイクスピアの名作『ロミオとジュリエット』の “その後の物語” =もしも2人が生きていたら…。という野田秀樹の着想が結び付き、2019年に東京で初演。舞台を14世紀のイタリアから12世紀末の日本に移し、両家の対立を源平合戦に見立てたこの奇想天外な構想は、初演時には7万人を超える観客を魅了し、第27回読売演劇大賞・最優秀作品賞を受賞した。

今回の再演では、松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳らの初演時のオリジナルキャスト全10名が奇跡の再集結。
このワールド・ツアーの企画は、初演の東京公演を来日観劇したクイーンの伝説的マネージャーのジム・ビーチ氏が絶賛しことを契機にクイーンのお膝元であるロンドン公演の計画が動き始めた。
東京・大阪公演に加え、ロンドン、台北を巡り、国内外4都市を巡るワールド・ツアーが実現。
日本の演劇史のみならず世界のエンタテインメント史に新たな1ページを刻む2022年版『Q』:A Night At The Kabuki。是非ともご期待ください!

ずいぶんと端的にまとまった宣伝文です。が、これでまとまるのは初演の実績、紹介無用の豪華出演陣、海外ツアーがあればこそで、例外中の例外中の例外です。東京芸術劇場は公演特設ページを作ったりしないので、サイトで読んだら同じ文章でもそっけないことこの上ありません。芸術監督の芝居をえこひいきにするわけにもいかないでしょうし、野田地図の本家サイトが本来の役目を果たすのかもしれませんが、それにしたってさすがにもうちょっと派手にしろよと言いたくなる劇場サイトです。普通の人はこんなそっけないサイトを見ても観に行く気にはなりません。

そう考えると、東京芸術劇場は最初から劇場サイトに求められる役割を公演情報提供と割りきったサイト、他の劇場は劇場サイトによる集客能力を信じているサイト、と言えなくもありません。どの程度意図されているかは別として。

書き終わって読み返したら我ながら何書いてるんだかと思いましたが、宣伝文ひとつとっても考え出したら悩ましい、という暇文でした。

2022年7月8月のメモ

規模の大小を問わず、客を満足させたいという意図が企画や出演者に反映されたバランスよい夏シーズンです。

・松竹製作「七月大歌舞伎」2022/07/04-07/29@歌舞伎座:第一部が猿之助で通しの「當世流小栗判官」、第三部が「風の谷のナウシカ 上の巻」だけど菊之助はクシャナで米吉がナウシカで下の巻の上演予定は不明

・ハイバイ「ワレワレのモロモロ2022」2022/07/07-07/10@シアタートラム:出演者の経験をもとに芝居を作るシリーズ

・マームとジプシー「cocoon」2022/07/09-07/17@東京芸術劇場プレイハウス:マームとジプシーは合わないのだけど出世作にして代表作なので観られるものなら観たい

・シス・カンパニー企画製作「ザ・ウェルキン」2022/07/07-07/31@Bunkamuraシアターコクーン:女性陪審員もの

・燐光群「ブレスレス」2022/07/15-07/31@ザ・スズナリ:岸田國士賞受賞作

・タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」2022/07/20-07/24@東京芸術劇場シアターイースト:タイトルがすでに宣伝になっている美大生タイムスリップもの

・野田地図「Q」2022/07/29-09/11@東京芸術劇場プレイハウス:オリジナルメンバーで再演

・東京芸術劇場企画制作「気づかいルーシー」2022/08/03プレビュー、2022/08/04-08/14@東京芸術劇場シアターイースト:いまの世相を考えるとこれを先取りした松尾スズキの慧眼にうなるけどそれよりなにより岸井ゆきのと栗原類を楽しむのが吉

・iaku「あつい胸さわぎ」2022/08/04-08/14@ザ・スズナリ:評判がよかった記憶がある

・制作委員会/公益財団法人としま未来文化財団主催「すぐ死ぬんだから」2022/08/04-08/14@あうるすぽっと:泉ピン子と村田雄浩による内館牧子本の朗読

・松竹製作「弥次喜多流離譚」2022/08/05-08/30@歌舞伎座:猿之助と幸四郎がデタラメをやる夏のシリーズ、であっているかな

・Bunkamura/キューブ企画製作「世界は笑う」2022/08/07-08/28@Bunkamuraシアターコクーン:ここまで集めるかってくらいの芸達者揃いで日本の喜劇人たちを描くKERA新作

・パルコ企画製作「VAMP SHOW」2022/08/08-08/28@PARCO劇場:三谷幸喜が演出なしで書下ろした芝居だから一度観ておきたいけど出演者がさっぱりわからないので迷う

・本多劇場プロデュース「志の輔らくご in 下北沢 恒例 牡丹灯籠」2022/08/09-08/14@下北沢本多劇場:おそらく観に行けないけどいいものです

・世田谷パブリックシアター企画制作「毛皮のヴィーナス」2022/08/20-09/04@シアタートラム:高岡早紀と溝端淳平によるオーディションを舞台にした2人芝居

・松竹/NTT/ドワンゴ製作「超歌舞伎2022」2022/08/21-09/03@新橋演舞場:獅童の初音ミク芝居、演目を絞った日もあるので注意

この時期のこの活発さは新型コロナウィルス以前とほぼ同じくらいですね。7月は夏休み前に公演期間の短い劇団ものが集中、8月は夏休みの遠征組も視野にいれて絶対客を集められる商業企画製作が集中、が昨今のスタイルです。

2022年6月26日 (日)

National Theatre Live 2021「リーマン・トリロジー」(2回目)

<2022年6月26日(日)昼>

おかわり

1日1回上映ということもあってか、土曜日は前売完売でした。この日も最前列端以外は埋まっていました。この映画館は2スクリーンしかないのに、4時間コースの上映を突っ込んでくれたわけですが、この週末の興行については報われたかと。

前回は字幕を追って台詞がほとんど耳に入っていなかったので、今回はなるべく英語の台詞を、調子だけでもと聴いてみました。やっぱり普通の英語じゃないですね。英語素人が聴いてもわかるくらい、口語でなく文章っぽい、それも凝った文章っぽい英語でした。つまり詩ですね。

そしてツイストからのラスト、2度目だけど前回よりも諸行無常を感じざるを得ない。こういう感覚は西洋にもあるんだなと今さら思いました。

見直せたので悔いはない。すっきりしました。

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