2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

2024年10月27日 (日)

今時は駄目出しと言わずにノートというらしい

そういえばこの前観てきた芝居で2回(「ピローマン」「Silent Sky」)アフタートークに当たりました。狙っていたわけではないのですがそういうことはままありますが、それはいいとして。

その中で「ノート」という言葉を使っていたから一瞬何のことかわかりませんでした。話の流れで「ああ、駄目出しのことだ」と気が付きました。同じ何でそんな言葉を使っているのかと考えましたが、おおよそこんな理由ではないでしょうか。

(1)駄目出しという言葉を文字通り取れば、駄目なところを正しく直す意味しか含まれない。こんなことはどうだろうかという提案や、演出側も考えてみたいからそのときの解釈を教えてくれという相談といった意味が含まれない。役者を指示待ちする怠け者にさせてしまう。

(2)駄目出しというと、駄目を出す側と出される側との上下関係を無意識のうちに作ってしまう。芝居に対する発言が演出家から役者への一方通行のみ許可されていると役者側を委縮させるだけでなく、演出家から役者へのパワハラの土壌となりかねない。

(3)脚本や役の解釈を深掘りして演出家と役者との共同作業で芝居を作り上げていきたいと考えるような演出家や役者ほど(1)(2)のような状況が迷惑と考える。

検索したら英語でNoteだそうです。井上芳雄の記事が引っかかりました。ここに書かれた記事を読んだら、おおよそ私の考えたことと間違っていなさそうです。実に結構なことです。

ただ、それに当たるような日本語は発明できないのかという話があります。駄目出しという単語が(1)や(2)を引起こすのはわかりますが、それでも耳で聴いて一発でわかる言葉だという点は見逃せません。

明治時代は何でも無理やり翻訳して何なら造語もした結果難解になった面もありましたが、近頃は反対にカタカナで直接置換えすぎじゃないかと考えることもあります。ここまでだとパワハラなんて言葉もそうですね。これは広く実態があったためにあっという間に人口に膾炙して短縮呼びされて市民権を獲得するに至りました。

ならば何かいい置換えの言葉を考え付くかというとそれは難しい。井上芳雄の記事では「いい出し」という言葉が紹介されていますが、それでは(2)は回避できても(1)には繋がらない。だからそのまま「ノート」と使うことになったのでしょう。

関係ない観客が心配する話でもありませんし、だからどうしたという話ですが、暇ネタでした。

2024年10月24日 (木)

2024年11月12月のメモ

数は並べてみました。どれだけ観られるかは時間とお金と運と、それに体力次第です。

・こまつ座「太鼓たたいて笛ふいて」2024/11/01-11/30@紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA:初演は観たことがある大竹しのぶ主演の林芙美子自伝、だったかな

・松竹製作「明治座 十一月花形歌舞伎」2024/11/02-11/26@明治座:勘九郎七之助が登場

・新国立劇場主催「テーバイ」2024/11/07-11/24@新国立劇場小劇場:オイディプス王からアンティゴネまでのギリシャ悲劇を再構築したこつこつプロジェクトの上演

・ウーマンリブ「主婦 米田時江の免疫力がアップするコント6本」2024/11/07-12/15@ザ・スズナリ:よくぞスズナリ規模で今更上演するなという宮藤官九郎のウーマンリブに片桐はいり他豪華メンバーを集めて

・世田谷パブリックシアター企画制作「ロボット」2024/11/16-12/01@シアタートラム:海外古典SFみたいですけど渡辺いっけいが出るからピックアップ

・万作の会「万作を観る会」2024/11/17@国立能楽堂:万作を観られれば

・果てとチーク「害悪」2024/11/22-11/24@ 座・高円寺1:こちらはギリシャ悲劇を下敷きにしつつもアンドロイドが当たり前に出てくるらしいです

・名取事務所製作「メイジ―・ダガンの遺骸」2024/11/28-12/08@新宿シアタートップス:アイルランドの作家でこのタイトルならろくでもない話なんだろうと想像が付きます、演出は寺十吾

・松竹製作「朧の森に棲む鬼」2024/11/30-12/26@新橋演舞場:中島かずき脚本いのうえひでのり演出の新感線芝居を歌舞伎上演で、松本幸四郎と尾上松也が役を入替えながらのダブルキャスト

・レイジーボーンズ「リフレクション」2024/12/03-12/11@小劇場楽園:原作者の小説家がドラマの脚本家を訪ねて書換えてほしいというまずまずタイムリーな芝居は笑い飛ばしてくるか難じてくるかそれなりに深掘りしてくるか

・新国立劇場主催「白衛軍」2024/12/03-12/22@新国立劇場中劇場:次期芸術監督の上村聡史演出でロシア翻訳もの

・松竹主催「十二月大歌舞伎」2024/12/03-12/26@歌舞伎座:第二部の「加賀鳶」を観るか、第三部で玉三郎七之助の「天守物語」をもう一度観るか

・熟年団「チェリーホープを知ってるかい。」2024/12/04-12/08@恵比寿エコー劇場:役者濃い目

・城山羊の会「平和によるうしろめたさの為の」2024/12/04-12/17@小劇場B1:タイトルも粗筋も価値観強めの新作

・朝日新聞社/有楽町朝日ホール主催「イッセー尾形の右往沙翁劇場」2024/12/06-12/08@有楽町朝日ホール:イッセー尾形の一人芝居

・劇団普通「病室」2024/12/06-12/15@三鷹市芸術文化センター星のホール:2019年からこれで三演目らしいのでピックアップ

・TBS/CULEN製作「ヴェニスの商人」2024/12/06-12/22@日本青年館ホール:あまり上演されない演目なので観ておきたいけど役者バブルでチケットが

・新国立劇場主催制作「ロミオとジュリエット」2024/12/07-12/12@新国立劇場小劇場:新国立劇場演劇研修所が手強い演目を岡本健一演出で

・シス・カンパニー企画製作「桜の園」2024/12/08-12/27@世田谷パブリックシアター:新型コロナウィルスで中止になった企画を天海祐希主演に交代で再挑戦

・東宝製作「天保十二年のシェイクスピア」2024/12/09-12/29@日生劇場:観たいです

・東宝製作「レ・ミゼラブル」2024/12/16-12/19プレビュー公演、2024/12/20-2025/02/20@帝国劇場:間もなく閉館の帝国劇場の代表作ですから一度観たいです

・ゴーチ・ブラザーズ企画製作「モンスター」2024/12/18-12/28@新国立劇場小劇場:きつい話に希望があるのかないのかつかみかねる1本を杉原邦生演出で

・くによし組「ケレン・ヘラー」2024/12/19-12/22@シアタートラム:迷ったけどピックアップ

・ハイバイ「て」2024/12/19-12/29@本多劇場:名作上演

・新国立劇場主催「くるみ割り人形」2024/12/21-2025/01/05@新国立劇場オペラハウス:一度くらい観ておいてもいいかと近頃ピックアップしています

他に「パルコステージ"8K"フェス」が2024/11/08-11/14@PARCO劇場であるけど観たかった演目が切られてしまって考え中、あと年末にいつもやっている「ピアノと物語」は上演情報が見つからなかったので今年はやらないのかも。

2024年10月20日 (日)

unrato「Silent Sky」俳優座劇場

<2024年10月19日(土)夜>

19世紀のアメリカに牧師の娘として生まれたヘンリエッタ・スワン・レヴィット。まだ女性が就ける職が大幅に制限されていた時代、ヘンリエッタがハーバード大学に星の測定結果の整理を行なう計算手として職を得るところから、その仕事の傍らで星の距離を測るための重要な方法を見つけるに至るまでの話。

実際にいた女性天文学者を基に書かれた翻訳もの。Wikipediaによれば業績は知られていても人となりはあまり知られていないらしく、また少々省かれたり順番の入替ったりしているところもあるようなので、そのあたりは芝居として楽しむのが吉。

脚本がヘンリエッタの生涯のあらすじに当日の女性の自立運動を重ねるように書かれているためやや忙しく、そこを演出も追いかけて、よく言えばテンポがよくて、悪く言えば緩急が足りない。そこに強弱を足してくれた高橋由美子と竹下景子はさすがの出来。

と書くと悪く聞こえるけど、やっぱりそれなりによくできた脚本であり、シンプルな舞台美術が生きる場面も多数。2日目の3ステージ目だったので後半もっとよくなることも期待できる。

アフタートークがあったけど、演出家と、唯一の男性キャストの松島庄汰はいいとして、unratoの前回出演者の陣内将を招く必要があったのかは疑問。招かれたからにはもう少し観たばかりの芝居に対してコメントしてほしいし、進行した演出家もそちらに振ってほしい。それよりは出演者にもう一人頼めなかったのか。

狂言ござる乃座「70th Anniversary」国立能楽堂

<2024年10月19日(土)昼>

猟師の霊が妻子の前で生前の猟の様子やその報いで地獄で鳥に追われる様子を描く「善知鳥」。遊山に出かけた主人と太郎冠者だが、川で舟の渡しを呼ぶときに太郎冠者はふなと呼ぶので、それはふねだと主人が教えたらそんなことはないと太郎冠者が言い返す「舟ふな」。親族すべて罠にかかって失った狐が僧に化けて猟師に狐を釣る罠猟を止めるようにと言い含め、それで罠を捨てさせて喜んでいたが「釣狐」。

動きの妙を観ていた「善知鳥」と「釣狐」。言葉遣いが古いところに節回しが重なって何を話しているのかわからない、大勢でユニゾンをやられるとなおわからない、やっぱり字幕がほしいと考えてしまった。古典だから筋を知って観るものだと頭ではわかるけど。

その点「舟ふな」は、ひらたい話を明晰に話すのでわかりやすい。万作はさすがだけど、太郎冠者の三藤なつ葉はその孫娘でまだ小学生らしいのに、あれだけしっかり姿勢を決めてはっきり話せるのはさすが。そのやや高い声ではっきりと話すのを聞いて、元の台詞の言葉遣いの古さとイントネーションの関西風なことを改めて認識した。

あれくらいはっきり話してもらって観客にはちょうどいいけど、やはり能狂言は重々しさも求められて、そのあたりの兼合いが観客としては悩ましい。

世田谷パブリックシアター企画制作「セツアンの善人」世田谷パブリックシアター

<2024年10月18日(金)夜>

善人を探すために旅をしている三人の神様は、貧しくてあわただしい街セツアンにやって来た。そこで一夜の宿に泊めてくれた貧しい娼婦のシェン・テを善人として、大金を与えて去る。その金で煙草屋を買って商売を始めようとするが、煙草屋を買うところから騙された上に知合いの貧しい一家が押しかけて来たために初めから躓く。そこを何とかするために、損得を第一に考える架空の従兄シュイ・タを考え付くと、自分でシュイ・タに化けて周りの貧しい人たちを一掃する。それで一息ついたシェン・テだが、ある雨の夜に失業中のパイロット、ヤン・スンと出会ってしまい、一目惚れして恋に落ちる。

有名だけど見たことがなかったブレヒトの1本。観終わればまあなんという意地悪な脚本だと考えずにはいられない。シェン・テとシュイ・タ2役の葵わかなは前半ヤン・スンと結婚を決める場面にもう少し迷った風情がほしかったけど後半はいい感じ。ヤン・スンの木村達成はヒモっぷりがいい感じ(笑)。脇も十分実力揃い。最後に異化効果で終わるのがああこれが異化効果かブレヒトらしいと思えるけど、たったあれだけの台詞でも説得力を持たせるには小林勝也は適任。

席はまだ空いていたけど、まだ観たことのない人には上の席なんかで勧めておきたい。これ、時間を置いて二度観ると自分の立場や考え方の変わりように気づかされるような脚本なので。

新国立劇場主催「ピローマン」新国立劇場小劇場

<2024年10月18日(金)昼>

とある検閲の厳しい国家で警察に呼ばれた男。兄と二人で暮らしており、趣味で短編小説を書いている。一緒に押収された小説は子供が酷い目に遭って終わる話ばかりだが、それで警察に呼ばれるとは考えられないと訴える。やがてやり取りの末に聞かされた話は、自分の書いた小説の通りに殺された子供がいて、兄と共謀して子供を殺した容疑であることと、隣の取調室に兄も呼ばれていること。自分も兄もそんなことはしていないと必死に訴えるが・・・。

悲惨な話で定評のあるマーティン・マクドナーの一本を小川絵梨子が演出。十分に素晴らしい出来だけど脚本の裏テーマである小説家と読者と物語の話を掘りすぎて表である酷い目に遭った子供の話が置いていかれた感あり。まだまだ役者にできることがたくさんある印象。

劇場の壁にも貼られていたしこの日あったアフタートークの頭でも話していたけど、物語を創ることを演出家が追及した結果こうなったのは想像が付く。ただ、アフタートークで真っ先に、救われましたよねと司会が話していたけど、誰が何から救われたかといえば観客が絶望から救われたのは第二で、第一には作家の弟がそこに至るまでの酷い人生のはずだから、そこは両方追及してほしかった。

ちなみに小川絵梨子の過去の本人演出は観逃したけど、パルコ劇場の日本初演(のはず)は観たことがある。あのときはロンドン留学前でバイオレンス全盛時代の長塚圭史が演出して、高橋克実、山崎一、中山祐一朗、近藤芳正が主要4人だった。今回よりももっと乱暴な演技で表の話を強調しながらも、物語を創る裏の話は脚本に十分織込まれているのだからそれでも通じた覚えがある。記憶の美化はあるかもしれないけど。

今回は対面舞台。距離が近いのは結構なことで、奥側の席で観たけれど多少正面寄りの場面はあってもさして損した気分はなかったからそこは気を使って演出されていた。ただし舞台前面端に置かれた美術の数々は客の陰に隠れて後ろからは見えなかったから、前2列くらいとそれより後ろとでは受ける印象はかなり変わるはずで、あれはもったいなかった。バルコニー席は不明。音響が選曲と会場の音響構築と両方でいい感じ。

アフタートークは次があって途中で抜けたからあまり書かないけど、役者全員に小川絵梨子に司会は中井美穂であっているか。全員で英語脚本と小川絵梨子の翻訳を見比べながら細かい語尾や単語は役者が調節もしたらしい。あとは非常に雰囲気のいい現場だと役者が全員強調していたけど、それなら余所の現場はどうなんだとツッコミのひとつもほしいところ。人が多すぎて話を回すのに一苦労で分散していたのがもったいない。

2024年9月29日 (日)

緊急口コミプッシュ:ヨーロッパ企画「来てけつかるべき新世界」本多劇場

短いですけど感想はこちら。東京公演も残っているしここから全国ツアーなので、お見逃し無いように。

ヨーロッパ企画「来てけつかるべき新世界」本多劇場

<2024年9月28日(土)夜>

大阪は新世界の片隅の外れにある串揚げ屋。母が亡くなってから引きこもって飲んだくれる父に代わって娘が切盛りする店には、近所のうだつのあがらないおっさんたちが常連客としてやって来る。だが世の中は進む。ドローン技術やロボット技術、AI技術が進み、その波は新世界の片隅の外れにある串揚げ屋にも確実にやって来た。

岸田國士戯曲賞受賞作の再演。技術の進歩を縦軸に、その技術を活用したり翻弄したり受入れたり受入れなかったりする人間模様を横軸に、だけどあくまで新世界の片隅の外れを舞台に庶民の立場で描く舞台。技術に翻弄されてもひるまず、きれいばかりではない駄目人間も馬鹿にせず、技術ネタからこてこてのネタまで笑いをこれでもかと詰込んでダレることなく2時間強を走り抜けた1本。誇張抜きで過去一番笑った芝居だったかもしれない。

はまり役ばかりの役者陣では、主人公の娘を演じて今が見ごろの藤谷理子、憎めない役を精度高く演じたトラやんの永野宗典とラーメン香港の中川晴樹を挙げておく。歌姫の町田マリーと散髪屋の岡田義徳とキンジの金丸慎太郎のゲスト組はもう少し観てみたかったけど文句なし。というか文句をつけるところなし。

技術と人間の関わり方は今ならどんぴしゃま話題なので、全国ツアーをやっているけど海外ツアーを組まれるべきだった。超ローカルにして超グローバルな芝居。岸田國士戯曲賞も納得の、文句なしの傑作。

劇団青年座「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」吉祥寺シアター

<2024年9月28日(土)昼>

街から離れた砂漠のどこかにある移動式簡易宿泊所。やって来たのは病人を治して稼ごうとする医者と看護婦、それに亡くなる人に祈りを捧げて稼ごうとする神父。買出しに出かけていた宿の人も戻ってきて険悪な雰囲気になりかけたところに、遍歴する二組の騎士と従者がやってくる。どうにも話がまとまらない中、水を飲んだ看護婦の体調がおかしくなり・・・。

初日。ナンセンスな出だしからは思いつかないくらい殺伐とした話に進むのも不条理と言うべきか。遍歴する二人の騎士である山路和弘と山本龍二の掛合いが始まるあたりからが本調子になってくる演出。この年齢までやってきた二人だからこその凄みととぼけた感じを両立させるやり取りが見どころ。山路和弘が適当にアドリブをかまして周りの役者を笑わせていたけど、それより初日で比べるなら山本龍二を推したい。周りの役者もいい感じではあったけど、脚本にいろいろあった小ネタは流したのか上滑りして流されたか、できればそこでも笑いを取りたい。音楽に生演奏を入れることで雰囲気のライブ感がより高まる仕組みもいい感じ。年齢高い人の方が楽しめるかもしれない。初の別役実作品としてなかなかいい芝居を観られたので満足。

2024年9月23日 (月)

野田地図「正三角関係」SkyシアターMBS(ネタバレあり)

<2024年9月21日(土)夜>

戦中の日本、とある地方で行なわれている裁判。被告は父親殺しを疑われている花火師。起訴したのは地元の検察官、弁護するのは東京から来た弁護士。検察官が被害に遭った番頭たちを証人に出して被告の当夜の行動を示せば、弁護士は花火師の2人の弟を証人に立てて父親の酷さと兄の無実を申し立てる。空襲警報で何度も裁判が中断しながらも、他にも証人が入り乱れて、花火師と父親のこれまでの関係と当夜の出来事が少しずつ明らかになっていく。

前情報は入れないように注意して、大阪まで出掛けてきました。それは後で書くとして、カラマーゾフの兄弟を下敷きにしたという野田地図の新作。カラマーゾフの兄弟は未読なのでそちらとの比較はできませんので後からWikipediaで粗筋だけ確かめましたが、見所はありつつも大阪まで遠征させるものではないぞという出来。以下結末まで含めたネタバレです。

3人の兄弟が上から花火師、物理学者、牧師を目指してそうなったとオープニングで話されますが、スレた観客としてはここで「花火に物理学者なら爆弾?」と気が付いて、火薬を探す花火師に絡んで早い段階でウランという言葉が出てきたので、それで牧師なら教会で原爆で「パンドラの鐘」のリメイクか、と身構えながら観ることになりました。長崎の地名を出すのはだいぶ後まで引張ったのに、どうしてあんな早い段階でウランと明かしてしまったのか理解に苦しみます。後半、父親と花火師とで取合った女性としてグルーシェンカが出てきますから、それでしばらく引張ればよかったのに。

もっとも、E=mc^2もかなり前倒しで話していました。その物理学者の弟が原爆研究に携わり、その起爆に花火師の兄の腕前を云々というところは「東京原子核クラブ」を思い出させるような設定です。

牧師を目指した三男はどうもぱっとしないというか、話に絡むのが薄い。もちろんヨハネの黙示録の夢を見て原爆の投下を暗示するとか、兄が数式を話す手伝いをするとかあったのですが、都合よく話を進めるための役どころかと観終わったときには感じました。

で、観終わったところで思い返して、やっぱり「パンドラの鐘」だったと考えました。原爆投下の話にアメリカ人パイロットの会話を挟んだり、ラストが焦土になったりして、原爆を落とすなんてアメリカ人はとんでもねえよなと思わせる展開でした。だから一瞬、パンドラの鐘から20年経って還暦を過ぎて、野田秀樹も転向したのかと驚きました。

ただし竹槍で飛行機を落とす訓練をする場面を挟んだり、兄が戦死した電報を配る配達人を挟んだり、いまいちすっきりしないラストの長台詞だったりを考えると、あれはやっぱり、負け戦になっただけでなく焼け野原を引起した天皇の責任を訴える芝居だったのかと考えました。ここまでは観終わってホテルに戻って考えたところです。

その後、家に戻ってこの感想を書くためにカラマーゾフの兄弟の粗筋をWikipediaで読みました。割と芝居は原作の設定に則っているようで、次男が無神論者なことに加えて、三男の仕える牧師が亡くなって死体の臭いがきついから神への疑念を抱くところも原作にありました。神などいない、つまり現人神などいないに掛けていますよね。やっぱり「パンドラの鐘」だったと強く確信した次第です。ただの反戦ではないですよね。天皇を描かないようにしながら天皇の責任を問うためにカラマーゾフの兄弟を借景にした芝居だったと理解しました。

おかげで遠征させるものではないぞと考えた理由も整理できました。大きなところでは脚本が理由です。もともと難解なカラマーゾフの兄弟に寄せすぎて、野田秀樹の芝居の特徴である遊びが絡ませつつ、しかも天皇を描かずに戦争責任を問う(問うように誘導する)展開がかなり挑戦的です。予想では、カラマーゾフの兄弟を深く読んでいた人ほど脳内で補完して驚けたのではないかと思います。が、題名しか知らない自分にそれは無理でした。むしろ野田秀樹の過去作をそれなりに観た経験が邪魔をしたかもしれません。脚本で細かいところを言えば、途中で無理して韻を踏むような台詞を入れていましたが、あれは日本語の通じない外国人対策でしょうか。軽く飛んでいくような台詞が魅力の野田秀樹なのに、べったり重たく感じていまいちでした。

そして、3人兄弟が出てくるなら協力するにしても対立するにしてももっと互いが絡む要素を入れておくべきでした。特に長男の花火師が弟2人とあまり絡まないため、ラストの長台詞が活きない。序盤のあれだけでは足りない。いや違うか、弟に限らず長男が絡む他の役が少ないから、普段の生活感を感じられず、ラストの長台詞を語らせるのに向かなかったのですね。ここはカラマーゾフの兄弟に引張られすぎて野田秀樹が怠ったのではないかと想像します。

この3人兄弟ですが、悪くはなくとも良くもない。主人公となる長男の花火師を演じた松本潤は身のこなしがさすがでしたが、役に動きが感じられない。そういう脚本だと言えばその通りですし、どっしりとした存在感と言えばどっしりとしていましたが、主人公には前のめりな姿勢が求められるのが野田秀樹の芝居です。どうにもならないラストに向かって疾走して、力技でラストの長台詞を料理してほしかった。それは次男の物理学者の永山瑛太も同じで、後半のあるところから原爆の開発を目指すことが明確になって、兄に仕事を頼んで巻込むことになるのだから、そこからは悩みつつも危ういところへまっしぐらな様子を見せてほしかった。

そんな中で三男役を演じた長澤まさみが何とも不思議な印象で、野田地図2回目かな? 出番は少ないながらも声が耳を惹く。後半、早替えでグルーシェンカとの2役になったら遠目にもスタイルのいい姉ちゃんで、誰だこの役者と一瞬わかりませんでした。なんというか、助平心とは別の健康美のような華で気を惹かれました。それも助平心だろうと言われればその通りですが、「紫式部ダイアリー」よりは圧倒的によくて、カンパニーに馴染んでいました。ただし馴染んだだけでは駄目なのが野田地図で、そこにもうひと工夫がほしかった。2役どちらとも遊ぶ余地があった役のはずですが、役を役通りにこなして終わってしまいました。

圧倒的によかったのが脇だったはずの池谷のぶえで、ウワサスキー夫人というふざけた役名が体現するべきおふざけを完璧以上にやってのけました。声と言い仕草といいとぼけぶりといい、それでいて締めないといけないところもその延長でやってのけて、そうそうこれこそ野田秀樹芝居だよと出番のたびに考えました。あとは竹中直人も検察官と父親の2役ですが、どちらも渋い出来でいい感じでした。役者野田秀樹はいつも通りですが、村岡希美と小松和重が上手いだけで終わってしまったのがもったいない。もう少し遊べたところを上演時間の都合と外国公演向けに整理されたのかもと妄想します。字幕翻訳の都合でアドリブに近い言葉遊びネタが出来なくなるのだとしたらもったいないですね。そうなると池谷のぶえのやり方が正解になる。

あとはコロス。近頃の野田地図はコロスが美しくて、遠目にもよくできていたというか、遠目のほうが楽しめます。絵作りが上手ですよね。井出茂太を振付に呼んでいるだけのことはありますが、台詞も一部持たされてよく全うしていました。スタッフは今さらですが、ひびのこずえの衣装を挙げておきます。

だから総評は、脚本が無理な挑戦をして乗越えられなかったところを役者でカバーしたかったけれど、主役3兄弟がお呼ばれ感のあるお行儀のよさで天井を破れず、脇は脇で海外公演の都合で字幕をいじるような遊びを封じられて、それでも活路を見出した池谷のぶえの圧倒的技巧と、それに匹敵する長澤まさみの華と、それだけ無理をしてもなお形になったカラマーゾフの兄弟原作の骨格で何とか繋いでみせた仕上がり、でした。観てよかったかと聞かれればよかったと答えますが、遠征した甲斐がありましたかと聞かれれば私にとっては微妙でした。

そもそも東京公演、いつも通り舐めていたせいで前売りを買えずに当日券狙いになったのですが、4日間6公演でくじ引きに挑んで6回返り討ちに遭いました。うち3回が1番違いで、特に3回目の1番違いを引いた最後は、もう東京公演は諦めろという当日券の神様の啓示が降りてきましたね。お前以外にどれだけ当日券に祈りをささげる者がいるのか考えたことがあるのかと声が聞こえました。神はいます。いますけど、当日券の神様に座席は作れない。ただ差配するのみです。

ちなみに今回の当日券、東京公演がリストバンドによる抽選、北九州公演がオンラインによる先着、大阪公演がオンラインによる抽選でした。このあたりはスタッフの都合によるものか、いろいろな販売方法を試して次回に活かすつもりなのか、わかりません。東京公演では番号発表と自分の番号から察するに、毎回だいたい15倍から20倍くらいの倍率だったと推測します。リセール狙いは最後までやっていましたが、全滅しました。

ぼろ負けして発想を切替えられたので、大阪公演の予約が始まるところに間に合って何とか確保できました。前後左右全員双眼鏡持ちという座席でした。いい劇場なので見切れはありませんでしたが、遠いものは遠い。おかげで芝居から距離を置いて眺められたのはあったかもしれません。

それにしても純粋な遠征目的の旅行は人生2度目でしたが、宿の予約を舐めていたら高い宿になるし、昼間は観光で大阪を歩いてみようとうっかり歩いたら疲れて死にそうになって芝居の前に宿でひと休みしたりで、偉い目に遭いました。歩いたのは自分の物好きなのでさておき、東京に芝居を観に遠征してくる人たちはチケットが取れた瞬間に宿の予約に手が動いたり、持っていく荷物や格好も決まっていたり、このあたりはもうルーチンになっているんでしょうか。翌日の午後は早めに引揚げたつもりですが、家に戻ってから後片付けに追われるわ次の日に起きてもまだ足が痛いわで、遠征不慣れなばかりにへろへろになってしまいました。予定を組むのが嫌いなので割と行き当たりばったりで直前に決めるのですが、そういうことをやりたければ身体を鍛えるところから始めないといけないと思い知らされる遠征でした。

«神奈川芸術劇場主催企画制作「リア王の悲劇」神奈川芸術劇場ホール内特設会場