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2024年6月23日 (日)

ナイロン100℃「江戸時代の思い出」本多劇場(ネタバレあり)

<2024年6月23日(土)夜>

江戸時代、峠の茶屋を通り過ぎる侍を捕まえて、町人が話を聞いてほしいという。聴きたくない侍を無理やり捕まえて話を始めるが、その思い出話は今の話だったり何故かずっと将来の現代の話であったり。

初日。業界関係者もそれなりに多そうな客席の中、不条理劇というかナンセンスというか、そちら方面の仕上がりで笑わせてもらいました。あらすじを書くのは野暮なのでこれから観る人はまず楽しんでください。四話に分割されているのですが、冒頭の一話のかっ飛ばしかたは他では絶対真似できないであろうハチャメチャ振りなので、遅刻厳禁です。

役者で上手いけどこれ誰だろうと思ったら奥菜恵だったとか山西惇だったとか坂井真紀だったとか、あれっと思ったら池田成志が出ていたとか、あまり気にせずに観に行ったらゲストも力が入っていたので驚きました。ただ、散々KERA芝居に慣れている劇団員やゲストの中においても、メインの武士之助を初日から力強く立上げた三宅弘城は、エースの風格でしたと特記しておきます。

で、ここから先はネタバレを含みますが。

江戸時代の思い出と称して江戸時代から現代を思い出すあたりはナンセンスですが、それが20年前(30年前だったかも)のタイムカプセルを掘ろうと集まったら死体が出てきたのは意味深です。その後の疫病で飢饉の話であるとか、瓦版を買いたい人に餃子を売って餃子を買いたい人に瓦版を売るとか、茶屋を乗っ取って女郎屋になった主人が稼ぎ手の女郎を殺すとか、2年前(3年前)の新型コロナウィルス真っ最中の思い出話ですよね。飢饉でお客さんを食べた設定のあたり、あれは一般観客への恨みもあったんじゃないかと思います。死体を埋めた人たちがタイムカプセルを埋めたつもりになっているのも、終わったことにして勝手に美化しやがってというほどの意味ではないかと。

Don't freak out」のときはもっと恨み骨髄という印象でしたが、それを江戸時代まで遡った芝居にして笑いに昇華するあたりはさすがKERAという思いと、まだ納得していないんだろうなという推測と、観終わった後はその両方を考えました。私は志村けんが亡くなったあたりから芝居中断はやむなしと考えていましたから、今回の芝居だとみのすけ演じる人物から石を投げられる側です。だとしてもあの頃に「不要不急で無駄だからこそ芝居は文化たりうる」と考えたことは今のところ変わらないでいます。

東京喜劇熱海五郎一座「スマイル フォーエバー」新橋演舞場

<2024年6月23日(土)昼>

実は魔法使いが秘密で暮らしている現代社会。さる年老いた魔法使いの男性は銀行強盗が押入った場面に遭遇する。犯人が拳銃を撃ったところで時間を止めて弾を逸らしたのはいいが、その後で跳ね返って自分の足をかすめてしまう。しかもその場には都知事の母と娘が来店していたが、弾が当たって痛がる老人の苦しむ顔を見た恐ろしさのあまり、娘は笑うことを忘れてしまう。この娘に何としてももう一度笑ってもらおうと、人の心を動かす魔法を覚えなおすべく魔法学校に入りなおした老人だったが、生徒も先生も曲者揃いというか何というか。

あらすじは書きましたし、それなりに最後まで筋は通っていますけど、それよりは喜劇を転がすための設定の意味合いが強いです。開演前から言われた通り、気楽に観る芝居です。この日は客のノリもよく、釣られて気楽に笑いました。

観たのは伊東四郎が気になったのが第一ですけど、初めは観ていてどきどきしました。声に張りがないのと歩くのがゆっくりだったのが、振りなのかどうなのかわからなかったんですよね。最後に魔法で元気になる場面を披露するつもりじゃないかと。そうではありませんでした。動きが激しくなる場面では補助のように役者が付いたりもします。あれを観ると役者は足腰だと仲代達也が言った理由もわかります。

ただしそれを早い段階からネタにして、伊東四郎が年寄であることもたくさんネタにしていました。これが年齢層高めの客席に大うけで、あれだけできればまだまだ元気といわんばかりにからっと客席が笑っていたので、しばらくしたら年齢のことは気にならなくなりました。

で、芝居に沿ったネタだけでなく、伊東四郎の経歴を大いに生かしたネタも大いにありました。一瞬刑事のふりをして「お前は刑事か!」と突っ込まれるとか、そういうやつですね。「魔法が長すぎるからもっと短くしたらいいんだよ」「短く」「そうだよ」「ニン!」とか、ずるいですよね(笑)。そのへんはもう、楽しんだ人の勝ちです。

あとは動きや台詞回しがゆっくりでも、芝居が丁寧です。初めの銀行強盗の場面で弾筋を追う動きとか、しっかりまっすぐ線を引いていました。台詞も、年寄という設定が前提にあるものの、ゆっくりなりに芝居する。あれは周りが台詞を聴ける達者な役者ばかりなのも大きいと思います。

その周りですが、芝居の筋では都知事に松下由樹を持ってきましたけど、それは本物にサービスが過ぎる(笑)。来月の選挙云々とか、時事ネタもばっちりです。そしてレギュラーメンバーは、こちらも開演前に高齢化をネタにしていました。が、さすがに足腰は平気だし、芝居はこちらも達者です。三宅裕司や春風亭昇太や深沢邦之もいいですが、渡辺正行の軽さや、小倉久寛の変な役のこなし振りが、いいですよね。

ラサール石井だけ、滑舌が怪しくなっているところに年が出ていましたが、大過なく務めていました。「この議論の続きはX、旧Twitterで」「お前はそうやって議論するのがよくないんだよ!」と突っ込んでいたのは脚本家に拍手したい。熱海五郎一座の前身である伊東四郎一座の旗揚げ公演で、突っ込みができないことを悩む患者のラサール石井に医者の伊東四郎が「まずはそのままのことを言えばいいんだ」と言われて、聴診器を当てられて「お腹、胸、口、鼻、頭(適当)」となってしまうコントは私の芝居人生の中でも大好きな場面なので、いらん議論よりも役者に邁進してほしいです。

総じて、楽しんだもの勝ちの芝居であり、そのあたりが軽演劇なのかなと会得しました。そして年齢が高いにも関わらず軽い芝居を続けられる役者陣、すごいですよね。歳をとっても軽くいられるのって本当に見事です。

2024年6月20日 (木)

2024年7月8月のメモ

7月にだいぶ偏っています。

・松竹主催「裏表太閤記」2024/07/01-07/24@歌舞伎座:白鸚幸四郎染五郎揃い踏みで夜の部に通し上演

・松竹主催「義経千本桜」2024/07/03-07/26@大阪松竹座:大阪ですけど夜の部で仁左衛門がいがみの権太って一度くらい観ておいた方がいいのだろうなと思いつつ

・Serialnumber「神話、夜の果ての」2024/07/05-07/14@東京芸術劇場シアターウエスト:カルト宗教を問う新作、らしい

・範宙遊泳「心の声など聞こえるか」2024/07/06-07/14@東京芸術劇場シアターイースト:前に見た岸田國士戯曲賞作がなかなかよかったので

・Bunkamura主催企画製作「ふくすけ」2024/07/09-08/04@THEATER MILANO-Za:前に観たときは古いと感じたけど書直したらしい

・劇団フルタ丸「口車ダブルス」2024/07/10-07/14@小劇場B1:気になって観られない劇団

・Office8次元プロデュース「春鶯囀」2024/07/10-07/14@シアター風姿花伝:あやめ十八番の堀越涼が脚本で寺十吾が演出

・iaku「流れんな」2024/07/11-07/21@ザ・スズナリ:旗揚2年目の初期作を改稿再演

・野田地図「正三角関係」2024/07/11-08/25@東京芸術劇場プレイハウス:野田地図です

・世田谷シルク「カズオ」2024/07/13-07/15@アトリエ春風舎:永井愛の昭和の脚本を二人芝居でやるので気になるけど会場が

・CEDAR「ヒストリーボーイズ」2024/07/20-07/28@あうるすぽっと:既存脚本劇団による海外脚本ですけど役者スタッフにも気合を入れたせいかチケット代に注意

・シノフィス企画制作「志の輔らくご 真夏の大忠臣蔵 in 下北沢」2024/07/24-07/31@本多劇場:牡丹灯籠かと思いきや忠臣蔵です

・マシーン・ドゥ・シルク「ゴースト・ライト」2024/07/26-07/28@世田谷パブリックシアター:影を使った二人サーカスらしい

・松竹主催「八月納涼歌舞伎」2024/08/04-08/25@歌舞伎座:いい役者が揃って三部構成ですけどひとつだけ選ぶなら第二部の「髪結新三」かなあ

・ハイバイ「ワレワレのモロモロ2024」2024/08/08-08/11@ザ・スズナリ:札幌に滞在して作ったそうです

・イキウメ「奇ッ怪」2024/08/09-09/01@東京芸術劇場シアターイースト:楽しめた芝居だった記憶があります

・KOKAMI@network「朝日のような夕日をつれて2024」2024/08/11-09/01@紀伊國屋ホール:第三舞台の旗揚公演を一度くらい観ておいてもいいかと

・劇団東演「どん底」2024/08/31-09/08@シアタートラム:どうもロシア文学に疎いのでここらで芝居として観るといいかも

眺める分にはなかなか楽しみな時期ですが、果たしてどれだけ観られることやら。

2024年6月15日 (土)

劇団四季「オペラ座の怪人」神奈川芸術劇場ホール

<2024年6月8日(土)昼>

オペラ座の備品がオークションに出されている。それを競り落とす子爵夫人が昔を思い出す。それはオペラ座のオーナーが交代して、新作の稽古中に挨拶にやって来たときのことだった。座席と高額の報酬を要求する手紙と、それが叶えられない場合にとオペラ座で頻発する事故に立腹して、プリマドンナが降板してしまう。当時端役の1人だったクリスティーヌは急遽抜擢されて大成功を収め、子供のころに出会っていた子爵と再会する。だがその成功の裏には、「先生」として毎夜クリスティーヌの歌を訓練するオペラ座の怪人の存在があった。

有名な作品です。粗筋は知っているしミュージカルだしで、安い席で臨みました。それで見切れになるのは覚悟していたから納得しました。

ただ、「オペラ座」の怪人なんですよね。なので登場人物がことごとくビブラートたっぷりのオペラ歌唱でした。その上、席が悪かったのか安い席まで音響の手が回らなかったのか外部劇場では調整に限界があるのか、オーケストラの音が目一杯張り出して歌声に重なってしまいました。そうすると明晰な発声を旨とする劇団四季でも何を歌っているのか歌詞がわかりませんでした。

つまり見切れと不明な歌詞で、何のために観に行ったのかわかりませんでした。慣れた人なら歌詞を脳内補完しながらソプラノとテノールを楽しめたのでしょうが、ミュージカル素人の私には無理でした。慣れない分野ほどいい席を狙うべきだったと勉強になりました。

ゴツプロ!「無頼の女房」本多劇場

<2024年6月7日(金)夜>

昭和二十三年の東京。人気作家の塚口は自宅に押掛ける編集者を待たせて二階で原稿を書き続ける。言論の鋭さと、躁鬱が激しくて二階から庭に飛び降りたりするような奇行を行なうことから無頼派作家と呼ばれる塚口を内縁の妻は支えるが、その妻にも我儘を言っては編集者や作家仲間の付合いを優先させてしまう。そんなある日、塚口が原稿を書き上げて編集者と飲みに行くが、編集者が原稿を忘れてしまう。それは塚口が以前に愛していた女流作家との話を描いたものだった。

坂口安吾をモデルにしつつ、その妻と周りの人物に焦点を当てた1本。中島淳彦脚本は初見ですけど、いい意味で小劇場らしい大らかさに溢れた仕上がりでした。

それぞれ欠点なり弱点なりの多い登場人物たちを前向きに仕上げてくるところはお手本です。一方で、熱量を前面に出した塚口に対して登場人物全員、距離感にある程度の齟齬があり、塚口が面倒見のいい相手は冷静で、塚口に親身な人ほど塚口が我儘をいうのは、世の中そういうところがあるよね、といったところでした。それがある出来事をきっかけに爆発する脚本、よくできています。

ただ、「贋作・桜の森の満開の下」は観たことがあっても、私は坂口安吾を1本も読んだことがないんですよね。だから一生懸命原稿を書いているのはわかっても、女流作家の話と、台詞でいくつか出てくる話以外、どういうことを書いている作家なのかがわかりませんでした。職業作家として生活のために原稿を書く必要があるのはわかりますが、無頼派として飲み歩く以外に作家としてのインプットをどこでしているいのかがわからなかった。「原稿を走る筆の音が、まるで身を削る刃物の響きに聞こえて」という台詞が浮いていた。脚本に足りなかったことをひとつだけ挙げるとしたら、塚口の作家面です。

ただしタイトルロールはその妻ですし、その分だけ周りの人間を描いています。いまなら編集者はもっと無礼な人間に描かれてもいいんじゃないかと思いますが、初演が2002年らしく、それならしょうがないです。個人的に好きな場面は、お手伝いのかんのひとみが爆発するところ、匿われに来た女流作家の妹を作家仲間の久保酎吉が口説こうとするところ、その妹の鹿野真央が姉の靴を置いて姉の身体を順番に思い出すところ、です。本筋と関係あるようなないようなところにも見所、演じどころの多い芝居でしたし、役者もそれによく応えて、しかも最後はばっさりと終わるところが、いろいろ見事でした。

近ごろの流行りである精密に深彫りしていく演出の芝居とは反対でしたが、脚本には合っていましたし、それで楽しめました。急に芝居を観られることになったので何を観ようか迷って選んだのですが、我ながらいい選択でした。

フライングシアター自由劇場「あの夏至の晩 生き残りのホモサピエンスは終わらない夢を見た」新宿村LIVE

<2024年6月7日(金)昼>

王が滅ぼした国の女王との結婚を数日後に控えたある日、家来が王に訴える。息子の婚約者がである女性が、息子の友人と心を寄せ合っているのだという。女性は友人の女性に別れを告げて森に駆落ちするが、これが息子に告口して二人で森に向かう。その夜の森では職人一同が王の結婚式で上演するために稽古に励んでいた。だが森の中では妖精の王と女王が喧嘩中であり、これを何とかするために妖精王はいたずら好きの妖精パックに命じて目を覚まして初めて見た者を好きになる媚薬を女王に塗るように渡す。妖精パックがあちらこちらで媚薬を塗ってしまい・・・。

えーと、すいません、日にちを置いて感想を書こうとしたらチラシがどこかに紛れてしまいました。が、Wikipediaを見たところ家来の「娘」が婚約者の「男性」がいるにも関わらず別の「男性」と恋仲になり、という筋ですね。なんか間違いながら観ていたようです。大勢に影響はありませんが、そのくらいの集中力だったということで、あらかじめ断っておきます。

元は「真夏の世の夢」ですが、人間の王と家来に関わる話、妖精の話、稽古する職人の話、役者がそれぞれで1役ずつ持った上で、さらに役者としての独白を持たせるように構成された芝居です。全員白い衣装で、舞台は白い幕に、木とか城とかの形に切り出した白いパネルを役者が動かします。だからしつらえだけなら学芸会と言っても当たらずとも遠からずです。

そのくらいぎりぎりまで削った舞台美術にも関わらず、やっぱり観るに値する出来に仕上がっています。ひと言でいえば役者が達者。王様から壁(笑)までこなす島地保武と、軽く明るい声がアクセントの谷山知宏のコンビがいい味出しています。この2人に、割とフラットに演じた大空ゆうひの3人が身体に存在感がある。四角関係の婚約騒動組も頑張ります。

なのですが、役者だけではない。やっぱりこれは演出の串田和美の意思が色濃く貫かれているから観られる芝居になっているんですよね。終盤に暗転して「壁を壊せ」という声と工事機器で壁を壊す音を挟んでくる。この壁が、劇中の王と職人と妖精であったり、それを演じ分けないといけない役者であったり、あるいは芝居の世界と役者自身の独白による現実の世界との壁でもあり、しっかり作り込んだ商業演劇とそこまでやらなくたって芝居は芝居というミニマムな演劇との壁でもあり、宝塚からダンサーまで多岐にわたる出自の役者の混成チームのことでもあり、いろいろ捉えられます。とにかく役者になんでも分け隔てなく演じさせることで、そういう壁を取っ払って見せたところに意味があるのかな、と受取りました。もちろん、客に向けても壁を取っ払ってみろよと訴えるところもあるのでしょう。

それは今の時代となってはやや純朴に過ぎるメッセージではないかと思わないでもないのですが、それにも関わらず一定の説得力を持って成立っているんですよね。挙げたようないろいろな壁を取っ払った芝居を実際に創ってみせたというだけでなく、様々な立場から長年芝居を創り続けてきた、松尾スズキに「真面目に不真面目をしている」と言わしめた串田和美の矜持みたいなものが支えになっているのでしょうか。「K.テンペスト2019」もそうでしたけど、いろいろなアレンジを施すことがあっても芝居の核は外さない自信があるのかもしれません。

その串田和美の役者ぶりですが、やや声は小さくかすれているものの以前とさほど変わりません。それより独白の場面とは一転、パックを演じているときのあのじゃれるような、思い出しながらやっているような、ふざけた様子はまさにいたずら好き妖精ですね。

2024年6月 2日 (日)

国立劇場の再整備が難航中

朝日の「国立劇場、再整備見直しへ 資材高騰で事業者決まらず『国費増額を』」からですが、無料の部分だけしか読んでいません。

 老朽化が進んだため劇場を運営する独立行政法人・日本芸術文化振興会(芸文振)は2016年、全面改修する計画を作成。20年には「文化観光拠点としての機能強化」を掲げて建て替えの方針へと転換した。民間の資金や経営力を生かすPFI方式を導入することとし、ホテルなどの併設を目指した。民間事業者はホテルやカフェなどを整備・運営し、土地の賃料を芸文振に払う仕組みだ。

 関係者によると、入札にあたっては、国費をもとに800億円超の財源を用意。しかし全国的な建築資材の高騰や人材不足などが影響し、22、23年の入札では落札に至らなかった。再整備のめどが立たないなかで23年10月に国立劇場は閉場した。

国立劇場の建替え話が表に出てきたのは2021年の11月でした。似たような時期で2021年5月にBunkamuraも長期休館が決まりましたが、2021年に発表ならそれよりもう少し前から話を進めていたでしょうし、東急グループのBunkamuraは身内に施行を請負った東急建設がいるから、実際にはもっと早くから話を進めていたことでしょう。国立劇場とは前提が異なります。あるいはあの時期ですから、1年差でも資材高騰の影響差は大きかったでしょう。

で、記事のタイトルからすると有料で読めない部分に国費増額の話が書いてありそうなのですが、どうでしょう。そもそも立地の隼町のあたり、観光エリアからも商業エリアからも外れていますから、一等地とは言えホテルやカフェを出したい会社がどれだけあるのか怪しいです。

賃料が入らない前提だとどのくらい足りなくなるのでしょう。うっかりすると倍くらいになるかもしれません。いまそれだけ余裕があるのかという話です。いっそホテル抜きにして今のように低層の劇場だけにしたほうが安くなるんじゃないのか、高層ビルだとメンテナンスの費用も馬鹿にならないだろうし、と素人考えでは思いますが、どうなることやら、です。

KUNIOが演出家兼美術家の主宰ダウンで公演中止

あるようであまりないケースなのでは。本家サイトより。

平素よりKUNIOをご愛顧くださり、誠にありがとうございます。
この度、2024年6月22日(土)から6月30日(日)まで、KAAT神奈川芸術劇場にて上演予定のKUNIO16『ゴドーを待ちながら』について、本作品の演出を担う杉原邦生の体調不良のため公演を中止する運びとなりました。
ご来場を楽しみにお待ちいただいていたお客様には多大なご迷惑をおかけしますことを、深くお詫び申し上げます。

公演中止に伴う前売チケットの払戻し方法につきましては、後日、下記の公式サイト内にてご案内いたします。今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。払い戻しのご案内までチケットはお手元にお持ちくださいますようお願いいたします。

KUNIO16『ゴドーを待ちながら』公式サイト

誠に勝手ではございますが、何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。

2024年5月29日
主催:KUNIO/KUNIO,Inc.

公演まであと1か月を切ったところで随分と思い切りのいい判断です。何となく、代わりに演出家を立てて上演するところではないかと考えなくもないのですが、探す時間が足りなかったか、そこまで予算を捻り出せなかったか、美術の兼任が重かったか、KUNIOなんだからKUNIOが倒れたら中止すんのが当たり前なんだわと考えたか、どのあたりでしょう。

台風で計画中止にするのは支持しますし、みんながこの人を観に来るという役者が降板になって公演中止するのは考えられなくもないですけど、演出家が体調不良で公演まで中止にするのはちょっと意外な印象でした。純然たる商業演劇とは違うところです。

神奈川芸術劇場なら、いっそ芸術監督の長塚圭史に代打を頼めなかったものかとも思いますが、観たかった芝居なので惜しい中止です。

2024年5月27日 (月)

劇団青年座「ケエツブロウよ」紀伊国屋ホール(若干ネタバレあり)

<2024年5月26日(日)昼>

婦人解放運動の先駆け、無政府主義者、奔放な恋愛で全国に名をとどろかせた伊藤野枝。女学校を卒業して初めの夫と結婚したものの、数日で家を飛び出して英語教師の家に身を寄せたが、そのままでは済まないため福岡県は今宿村にある生家に親から呼寄せられた。その実家に里帰りした伊藤野枝と、振回される周りの親族たちを描く四幕。

マキノノゾミ脚本で宮田慶子演出なら鉄板だろうと考えて観に行きましたけど、期待通りの面白さで存分に楽しみました。大半が九州弁ですけど、だいたい雰囲気でわかりますから心配無用です。

伊藤野枝というと芝居では「美しきものの伝説」や「走りながら眠れ」で観ていましたけど、それらとはがらりと変わったのは実家を舞台にしたから。猪突猛進(劇中では「有言実行」)な柄でありながら、家族だって言い分はあるから遠慮なくその我儘を責めてくる。そこに東京が舞台では出来なかったような対等な言い合いが生まれます。

今回は那須凜が騒ぎの真ん中で存在感を示して、いつの間にかタイトルロールを張れる女優になっていたのに驚きましたけど、周りの鉄板ベテラン勢がまだまだとばかりに貫禄で迫ってくるのがたまりません。回りくどい思わせぶりなど一切抜きで大喧嘩する一幕で魅せた祖母役の土屋美穂子のあの説教ぶりは痺れます。舞台の真ん中に陣取って決して怒鳴らず周りを抑える叔父役の横堀悦夫の存在感、ちょっとだけ強さを見せる母親役の松熊つる松、父親役の綱島郷太郎と世話役の小豆畑雅一のすっとぼけぶりとか、いいですよね。

あとは新劇の流れを汲む劇団として、着物が全員板に付いているのがいいです。それを最後に(身内では)大杉栄と二人だけ洋服にしたところは「人形の家」を思い出しました。あれも新しい時代の女性を描いた芝居です。そしてこの芝居では伊藤野枝の我儘を我儘として描きながら、「我儘を通して、周りにいっぱい迷惑をかけて、でも姉はそれでよかったんです(大意)」と言える線を狙ってその通りに仕上がっていました。そこがこれまでの伊藤野枝の描き方と異なって、さすがマキノノゾミ、さすが宮田慶子の仕上がりでした。

だから安心して観ていたら、最後にあの曲はちょっと合っていないかな。直接描かないだけで史実ではそんな幸せな最後じゃなかったぞと言いたいのはわかりますが、この芝居ならもう少しからっと賑やかに締めてもよかったと思います。でもそれくらいですね。後ろの席は空いていたみたいなので、行けば観られると思います。何かこの期間に適当な一本を探している人はぜひ。

2024年5月26日 (日)

新国立劇場主催「デカローグ5・6」新国立劇場小劇場(ネタバレあり)

<2024年5月25日(土)昼>

タクシーの運転手を殺して金を奪った青年。弁護人は研修の間に死刑の廃止を願うようになってから雇われた新人弁護士だった「デカローグ5」。友人の母の家に寄宿して郵便局で働く青年は、毎晩向かいの部屋に暮らす女性を覗くのが趣味だったが、それが高じてやりすぎてしまい「デカローグ6」。

デカローグ5は投げっぱなしの印象。一応、初めと終わりを妄想も駆使してつなげることで、青年がどうしてタクシー運転手を殺そうと思うようになったのかは想像が付きますけれど、だからといって青年に同情が湧きません。

これはタクシー運転手を演じた寺十吾が非常に上手に演じたのに理由のひとつがあります。これ、ネット情報だと違いますが、チラシだと「傲慢で好色な中年の運転手」と書かれています。ただ、客を選ぶのはその通りですが、客の方もせかすというか行儀が悪いというか、乗車拒否したくなる理由があって、そこに殺されてもしょうがないなという理由は見えませんでした。むしろよくいるおっさんです。

それに対して、青年役の福崎那由他がただの挙動不審以上の演技が出せなかった。終盤の面会で客を掴んで一理あると思わせないといけないのに成功していません。

それと新米弁護士の渋谷謙人も、死刑廃止を願う台詞がいかにも弱い。ここは面接官の斉藤直樹や裁判長の名越志保も相手役として助けていたのですが、乗りきれなかった。最後の死刑の瞬間に皆が顔をそむける演出があったから、別に死刑廃止を願う意見に距離を置いた演出を目指したとも思えないのですが。

結局、タクシー運転手が一番まともそうな客を選んだら一番まともじゃない客に当たって殺されてしまう不運に当たった、犯人を捕まえてみたらこれまでの人生に不運はあったにしてもいきずりのタクシー運転手を殺してもしょうがないとはとても言えない動機だった、それを弁護した弁護士は若いなりの理想は持っていたかもしれないけれどいきずりの強盗殺人を弁護できるだけの理屈は持合わせていなかった、という仕上がりです。十戒の「殺してはならない」を犯した人間を死刑で殺すのは是か非か、みたいなところを狙いたかったのかもしれませんが、あるいは人が人を殺すようになるまでには1つの失敗からどんどん取返しのつかないところに転がっていってしまうのだと示したかったのかもしれませんが、役者が追いついておらず投げっぱなしで終わってしまいました。

デカローグ6は団地の向こうの部屋を覗くという、ようやく団地らしい美術の必然が出てきた1本。そこから転がって転がって転がる展開は芝居らしい進みです。

ただ、設定にいかにも古さを感じてしまったのがつらい。現代日本はストーカーに刺すか刺されるかの時代なので、覗いた相手に覗かれた側が興味を持つという展開にはできません。そのあたりが、もちろん芝居だから作り話なのですが、ファンタジーに思えてしまったのがつらいです。そのファンタジー感を、天使役の亀田佳明が真っ白い服装でさらに進めることになっていました(あとでひっくり返りますけど)。

それでも、大勢を相手にすることに疲れて変わった青年に興味を持つ女性に、自分の子供が家に寄りつかなくてその友人が暮らすことで安堵を覚える婦人が、独り暮らしはつらいと話すあたりは今様というか、普遍的です。だからやりようによってはもっと上手くできた。

それがいまいちになったのは、一に脚本。もう少し登場人物の情報整理をすっきりさせてほしかった。覗かれる女性が画家であるとは代理人が出てきて早めにわかるけれど、絵を描く、つまり働いている感じは皆無。青年の仕事ぶりと比べて情報量が落ちすぎです。青年も、友人の母の家に寄宿する青年という関係がわかるのは少し後になってからだし、外国語の勉強に熱心な青年という情報もかなり後に唐突に出てくる。

その不十分な脚本を元に役作りするのが、青年役の田中亨も、覗かれる画家役の仙名彩世も追いついていなかった。不十分なりに何とか持ってきてくれとも思いますが、あの脚本でさてどうするかと聞かれると迷うところです。小劇場出身役者ならもっと何とかしたかもしれませんが、他の4人がチョイ役含めていい出来だったのがまた、もったいないというかなんというか。

この5と6は、脚本の不親切さを演出と役者でどうにもしきれなかった、という感想です。映像だともう少し情報が多かったのかもしれませんが、舞台にするならもう少し工夫してほしいです。

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