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2023年9月30日 (土)

タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」シアターイースト

<2023年9月28日(木)夜>

美大生で画廊の息子の僚太は、卒業後に画家の道に進むか、両親から言われている画廊の跡取りになるべきか、進路に迷っている。すでに就職の進路を決めた朝利と板垣の二人と教授のゼミ室で悩んでいたら、教授の科学美術の発明により手違いで1908年のウィーンのタイムスリップしてしまい、そこで美術アカデミーへの入学を目指して練習するヒトラーと出会ってしまう。現代に戻れるまでの約一か月、ヒトラーを美術アカデミーに合格させることで後の世の悲劇を回避することを目指すと決めた三人だが、同じ下宿にやってきた、やはり美術アカデミー入学を目指すポーランド系ユダヤ人クラウスの画力は、ヒトラーとは比べ物にならないほど優れていた。

初日。タイムスリップやら何やらの理屈付けにはそれらしい話を用意していますが、メインは僚太、ヒトラー、クラウスを巡る進路の話です。ヒトラーを画家にできるかどうかのネタ勝負かと思ったらそういうわけでもなく、もちろんこのころもユダヤ人相手の差別はありますからそれも絡んできます。

タイムスリップしたのにスマホがつながるという無茶を押通して反対に設定に活用しながらも、ユダヤ人を巡る話は真摯に扱い、ただし画家を目指して絵を描くことを反対された人が画家を諦めさせる立場にもなる入れ子にして大きな柱に据えることで、差別の具体例が生きてくる。個人的には最後の場面二つだけ順番を入替えて、マイクの台詞で終わってほしかったですけど、それくらいです。小劇場が重たい話題を扱う際のアプローチとしてお手本にしたいような脚本でした。「レオポルトシュタット」は向こうに任せておけばいい。

その反面、役者の明暗が分かれて、ベテラン勢はみないい仕事をしていたのですが、メインの若手、特に男性陣が全滅でした。一瞬だけいい場面があっても続かない。進路の話と親との葛藤、絵を描くことの意味、才能と評価の話、ユダヤ人差別の状況に対してどのような態度をとるか。とっかかりはいくつもあって、役者という仕事を選んだ人たちには身近な話題も多かったはずですがすべて中途半端で、初日だからとはいえない力不足に見受けられました。良く言えば脚本全体に寄添っていましたが、設定からしてごりごりに小劇場な脚本なので、繊細を通り越して小さい、近頃の日常系小劇場の役作りは合いません。あれは演出でもう少し何とかしてほしかったです。

あとは額縁とかキュビズム? っぽい美術がシンプルな割に空間をきれいに埋めて、映像も頑張っていましたが、画家の話で絵をどこまで見せるかは難しい判断でした。小劇場なら絵を一切見せずに枠と照明だけで押通すのもありなのですが、ナチスの説明をするときに当時の写真を盛大に使ったのと、描いて破いた絵を進行の都合で一枚だけ見せたおかげで、他の絵を見せないのが逃げに思えてしまいました。ヒトラーの絵は権利を含めて適当な画像の入手が難しかったのかもしれませんが、それとは別に最後の一枚は、見せたかった。あれこそ観客の想像に委ねたかったのかもしれませんが、それなら照明でなく小道具としてベールをかぶせた絵を用意してベールを取らずに進めるべきだった。このあたりは演出や制作に関わるところですけど、まあ個人的な趣味の問題です。

これは再演するならどこかに脚本を託して再演したほうがいいです。ちょっともったいないことが多かったので。

ヨーロッパ企画「切り裂かないけど攫いはするジャック」本多劇場

<2023年9月28日(木)昼>

19世紀のロンドン。下町の同じ場所で4日で3人が攫われてロンドン中で騒がれている。3人目が攫われたときには花売り娘の叫び声を聞いて付近の住民が現場に駆けつけたが、犯人も花売り娘も姿が見えなかった。事件を調べるためにやって来た警部だが、自分で犯人を推理して押しつけてくる人たちを相手に聞込みにも難渋する。

25周年企画にして初見。ミステリーコメディらしいですけど、どたばたコントですね。辻褄を合わせようとはしていますが、発散することすること。適度に考えつつも深く考えないのが正しい見方だと気がついてからは素直に笑って楽しめました。

テンションと突っ込みの間合いで勝負の2時間みたいなところがあって、それで最後まで走り切った技量はすごかったです。ただし、100求められるところにきっちり100で答えていた感はあります。勢いがあるように見えて、振りきってはいなかった。ミステリー要素とコメディ要素、両方とも外したらいけない間があるのでそこは守らないといけないのですが、引出しは3000くらいあるけどそのうち100だけ出してみましたというような役者はいなくて、みんな真面目に100を積んでいました。

カーテンコール含めて観終わったあとでこの雰囲気はどこかで観たことがあるなと思い返していたのですが、演劇集団キャラメルボックスの舞台がちょっとこんな雰囲気でした。良くも悪くも劇団と観客との間で信頼が大きいようです。泣かせる話が得意な向こうと笑わせてなんぼの今回とは違いますが、多少強引な設定を最後まで持っていきつつ、絶対に客席に不快を与えないであろうと思わせる安心感も似ています。

この日はおまけトークがありましたが、「役者によっては出ずっぱり」「たくさん推理できる人とできない人がいる」「台詞が多いので緊張感が切れると台詞が出て来なくて真っ白になることがある」「当時の言葉に寄せつつもミステリー関係の言葉だけは現代の言葉を使わせてもらった」「某役を追詰める場面の方法はミステリーとしてぜひやってみたかった」などなど、いろいろ面白かったです。

それで言えば、脚本は言葉選びで微妙に作品世界に馴染んでいないところがいくつかあったのですが、理由は納得です。それと、某役を追詰める場面の方法をやってみたかったというのはわかります。私もあの場面は好きでした。

ネタばれしたら面白くないのでネタばれはしません。観た人が楽しんでください。

2023年9月18日 (月)

梅田芸術劇場企画制作「アナスタシア」東急シアターオーブ

<2023年9月17日(日)夜>

帝政ロシアに革命が起きてロマノフ王朝は滅亡したが、パリで過ごしていて難を逃れた皇太后以外に、死体が見つからなかったため皇女アナスタシアはまだ生きているのではと噂されていた。アナスタシアを見つけたものには報奨金を出すという話に、サンクトペテルブルクでくすぶっていた詐欺師ディミトリと元伯爵のヴラドはアナスタシアの身替りを探す。そこにやってきたのが偽の国境通過証を求めるアーニャ。記憶喪失だがパリに行きたいとロシア中を歩いてサンクトペテルブルクまでやって来たという。これはものになりそうだと二人はアーニャにアナスタシアの情報を覚えさせてパリを目指す。

この日はこんなキャスティングでした。ミュージカルはダブルキャストどころかトリプルキャストまでやるので忙しいですね。私はこだわらずに時間の都合だけで観に行きましたけど、目当ての役者がいる人は大変です。

・アーニャ:木下晴香
・ディミトリ:内海啓貴
・グレブ:堂珍嘉邦
・ヴラド:大澄賢也
・リリー:マルシア
・リトルアナスタシア:鈴木蒼奈

筋は前半がロシアからの脱出、後半がパリでのあれこれときれいに通っているのでわかりやすいです。木下晴香は台詞はやや軽いですけど、歌は声に重さが乗っていていいですね。個人的にはややチャラいヴラド伯爵を演じた大澄賢也と、なんといっても皇太后をシングルキャストで演じた麻美れいがいいです。

日本語歌詞のイントネーションが曲の旋律に乗りづらいところ、麻美れいだけは少し台詞っぽさを混ぜていたのがよかったです。あれは海外もののミュージカルをやるときの解法のひとつだと思いますけど、他の人はあまりそういうのはありませんでしたね。

他にも劇中劇で白鳥の湖の超ダイジェストをやってくれるんですけど、全員上手でしたね。この前観ておいたのであれは王子様こっちは邪悪な魔術師と中身がわかってよかったです。

この日はアフタートークがありましたが、ちょっとリピーターチケットの宣伝が多すぎた。主役二人はフリートークが苦手そうだったので、事前に聞きたいこと質問しておいた方がよかったのではないかと思います。だいたい客が聞きたいのは、自分が芝居のどこで悩んだか(または大事にしたか)、相手役をどう思うか、同じ役を務める他の役者をどう思うか、くらいに集約されるでしょうし。その点、大澄賢也の「今回はあまり役を作らずに地でいけた」「いくつになってもときめきは大事ですよ」(どちらも大意)はアフタートークとして面白かったです。

あとは映像パネルを多用した美術が本当に見事だったんですけど、あれは映像を映した上にさらにプロジェクションマッピングを重ねて奥行きを出しているそうです。あとパネルとケーブルには絶対に触るなと厳命が出されているとか。あれは、映像も美術も海外のものをそのまま持ってきたのかな。クレジットがよくわかりませんでした。場面転換を素早くするために、オブジェらしいオブジェは上手と下手に固めて、電車みたいな大物はたまにひとつだけどんと出して、非常によく考えられていました。

話だけを考えると、前回の公演から今回の公演の間にロシアのウクライナ進行があって、あとはパリのエッフェル塔での写真撮影騒動があったりして、芝居鑑賞に邪魔くさい現実社会のノイズが増えているんですけど、それはそれ、これはこれで気にせずに観るのがよいかと思います。

劇団☆新感線「天號星」THEATER MILANO-Za

<2023年9月16日(土)昼>

口入屋の主人半兵衛、実は裏家業の元締、と思いきや実は妻の元締の身替りに見た目の怖さだけで婿入りした元は流れの大工の気弱な男だった。だが裏家業の同業者、白浜屋真砂郎から手を組むように持ちかけられたのを断ったため、たまたま江戸に流れてきていた一匹狼の殺し屋、宵闇銀次を差向けられる。もともと暮らしていた長屋に立寄った帰り道、雨の中で銀次に襲われた半兵衛だが、そこに雷が落ちて二人は気を失う。そこにいた半兵衛の昔なじみの占い師弁天に介抱されて目覚めたが、半兵衛と銀次の二人が入替っていた。

久しぶりの劇団☆新感線はチャンバラでした。以上。そのくらいまあ、いのうえ歌舞伎と聞いて想像できるいつも通りの劇団☆新感線でした。やや渋めなもののネタもそれなりにあって、安心して見ていられます。タイトルになっている天號星の入替りの話だけ解決はなくて「そういうものだ」で進みますが、受入れましょう。そうすれば親切な脚本とチャンバラが最後まで運んでくれます。

裏事情のようなものを察するに、客が求めるもののそこまで動きたくない古田新太にほどほどのチャンバラをさせて、代わりに早乙女兄弟に存分にチャンバラをさせるための設定なのではないかと思います。一応後半は古田新太もチャンバラしますけど、主人公は入替ったりする早乙女太一です。

そしてそれでいいんじゃないかと思いました。やっぱりチャンバラは身体の切れがある人がやったほうが格好いいです。あれだけ芝居を通してチャンバラできるなら、もう劇団員として毎回呼んでもいいんじゃないでしょうか。そう思わせる立回りの格好よさがありました。早乙女友貴演じる渡世人の人切の朝吉とのチャンバラになる前半ラスト、格好いいですよね。あれは拍手が起きます。

若干もったいなかったのが山本千尋で、素手のアクションの方が上手だったので剣を持たせずにかんざしとか短剣とか、もう少し得物を考えたかった。ひょっとしたら公演後半にはもっと慣れているかもしれませんが。個人的にはうさんくさい役の池田成志が久しぶりに観られたのが楽しかったです。

割と場面転換が多い芝居でしたが、場面転換の早さとチャンバラの事情を汲んで、舞台美術でオブジェも床もあまりないのですね。そういうところでも工夫をするのだなと、次の日のミュージカルともども感心していました。

2023年9月 6日 (水)

国立劇場主催「菅原伝授手習鑑 三段目/四段目/五段目」国立劇場小劇場

<2023年9月3日(日)朝、昼>

菅原道真が大宰府に追放されて、仕えていた梅王丸と桜丸は浪人の身。参詣する藤原時平に主の仕返しをと待ち構えて、藤原時平に仕えていた松王丸と争いになる。兄弟三人で争っていたが、騒ぎで車から出てきた藤原時平に睨まれて梅王丸と桜丸は動けなくなる。見逃された梅王丸と桜丸は、松王丸となお争おうとするが、まもなくの父の七十の祝いまでは喧嘩を控える。その七十の祝いのための父の家では、三人の妻が先にやってくるが、息子三人はなかなかやってこない。やっと来たかと思いきや(三段目)。大宰府の菅原道真が夢に促されて参詣に来たところ、菅原道真の様子を見に来た梅王丸が、藤原時平に命じられた刺客を捕まえるところに出くわす。藤原時平が天皇の座を狙っていると聞かされた菅原道真は怒って天神と化す。そのころ、菅原道真の妻を狙った刺客によって梅王丸と桜丸の妻は桜丸の妻八重の犠牲を出すものの何とか助け出される。また菅原道真の息子は手習鑑を伝授した武部源蔵に匿われていたが、藤原時平の追手が迫るところ、その日寺入りした子供を身替りにして松王丸の検分を何とか難を逃れたものの実は(四段目)。雷の鳴り響く御所に斎世親王、苅屋姫、菅秀才がやって来て、菅原道真の後を継げるように天皇に願い出る。それを止めようとする藤原時平とその仲間だが(五段目)。

初段/二段目」もたっぷりでしたけど、こちらも負けず劣らずたっぷりとした演目でした。実際にはチケット二枚で、四段目の頭、筑紫配所の段で道真が天神になるところで切られた二部構成です。いい切りかたでした。道真が怒り荒ぶって天神になるところは、火花に毛振りまであって一番派手に盛上がる演出ですが、人形遣いと太夫と三味線の息があって荒ぶる様子が実によかったです。

四段目はいわゆる寺子屋の場面で、やっぱり今の目で観るとひどい話だと思うわけですが、ここまで通して観ることで、武部源蔵には武部源蔵としての道真への恩義があり、松王丸は松王丸で道真への忠義を見せたい想いがあるという、物語の構図はしっくりきました。「梅は飛び桜は枯るる世の中になにとて松のつれなかるらん」と道真が詠んだことが伝わって、世間で「松はつれないつれない」と言われて苛まれるというのも、よくできた脚本です。五段目で復讐が果たされてめでたしとなります。

前半のダイジェストとか、寺子屋だけとか、それもいいかもしれませんが、やっぱり通しで観ることで、理解が深まります。道真と時平とその手下の線、道真と母と苅屋姫の線、道真と武部源蔵の線、道真と三人兄弟とその家族の線、これらの線をそれぞれ取出しても話は成立ちますけど、線が絡み合って一本の流れを作るところに長く演じられる古典演目としての力があるので、それを通して観るのは意義があるなと観客ながらに思うわけです。

ちなみに後半の頭に寿式三番叟の上演が挟まりましたけど、これもよかったですね。めでたい感じが出ていましたし、人形に踊らせてそこまで上手に見えるものだとは思いませんでした。あと、これは字幕がよく働きました。歌舞伎座で踊りを観ても唄がどうなっているのか聞いてわからなかったのですが、それを字幕で見ると、ちゃんと踊りの説明になっている唄でした。

2023年8月26日 (土)

2023年9月10月のメモ

本数辛めに絞ったら9月に偏りました。

・劇団アンパサンド「地上の骨」2023/09/01-09/10@三鷹市芸術文化センター星のホール:何となくピックアップ

・梅田芸術劇場企画制作「アナスタシア」2023/09/12-10/07@東急シアターオーブ:前に上演されたときに評判のよかった記憶があるミュージカル

・劇団☆新感線「天號星」2023/09/14-10/21@THEATER MILANO-Za:新しい劇場目当て

・ヨーロッパ企画「切り裂かないけど攫いはするジャック」2023/09/20-10/08@本多劇場:25年も続いたら一度くらい観ておいたほうがいいかもしれない

・赤堀雅秋一人芝居「日本対俺」2023/09/25-10/01@ザ・スズナリ:日替わりゲストもあり

・タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」2023/09/28-10/01@シアターイースト:再演されるというよりは公演を全うしたくて上演されている印象

・排気口「時に想像しあった人たち」2023/09/29-10/09@三鷹市芸術文化センター星のホール:何となくピックアップその2

・ケムリ研究室「眠くなっちゃった」2023/10/01-10/15@世田谷パブリックシアター:緒川たまきがKERAと企画する第三弾

・御園座主催「東海道四谷怪談/神田祭」2023/10/07-10/24@御園座:名古屋ですけど仁左衛門玉三郎でこの演目はもうないんじゃないかと

・青年団「KOTATSU」2023/10/13-10/15@シアタートラム:フランス人の脚本演出で平田オリザは共同演出

・新国立劇場主催「尺には尺を」「終わりよければすべてよし」2023/10/18-11/19@新国立劇場中劇場:両方上演してくれるのは嬉しいけどきれいな交互になっていないので日程注意

他にNational Theater Liveで「ベスト・オブ・エネミーズ」とか「善き人」もあるのでそのあたりも横目に眺めながら。

2023年8月 6日 (日)

範宙遊泳「バナナの花は食べられる」神奈川芸術劇場中スタジオ

<2023年8月5日(土)夜>

独身、詐欺師、前科一犯、アルコール中毒で説教癖のある男性。出会い系のサイトで成りすましメールを送ってきた男性と会って、一緒に仕事を始める。その中で、出会い系を使って商売する人間を追ううちに出会った人物たちと巻き起こす騒動のあれこれ。

岸田國士戯曲賞作。粗筋の描きにくい話ですが、傑作でした。若干ネタバレで無理やり書くと、自己評価が低くて社会的に上手くいっていない人たちが、本名も知らずにあだ名で呼合いながら、それでも人を救いたい助けたいと思って行動するうちに自己評価が回復していく一連の話です。一人語りと役者同士の対話を行き来するので、生身の人間が演じることでもっとパワーアップされていました。

誤解を恐れずに言えばそこまで下品でない「フリーバッグ」の複数人バージョンです。観る順番が反対だったらもっと衝撃を受けたのにと嘆きました。「フリーバッグ」だと「芸人みたいに話さないで」と主人公が突き放される台詞がありましたが、この芝居だと「何とかしてよファンタジー」が登場人物の叫びでした。

起承転々結々くらいな展開だったり、こちらかと思わせて実はこちらでしたと思わせる演出だったり、いろいろあって最後はどちらに落とすかなと最後まで読ませないあたり、上手いです。その辺は観た人の楽しみということで、それ以外の感想をふたつ。

まず、一人語りと役者同士の対話を行き来する形式の芝居なのに、役者がみんな自然にこなしています。平田オリザの現代口語演劇、チェルフィッチュ岡田利規の「三月の5日間」に代表されるようなダダ語りを経由して、ここまで来たのかという印象です。いまどきの役者はこのくらいさらっとこなして当たり前なんでしょうか。

それとスタッフワークですが、中スタジオ、といってもそれなりに広くて高さもある場所を、正面のスクリーン脇以外は机やベッドといったセットで埋めてアクティングエリアを自在に動かす(全体を使うこともある)美術、カメラを含むこなれた映像の使い方、これらをサポートする照明、クリアで考えられた音響、適度に着替える衣装、などなどなどなどなどなどなど、公演規模の割りにすごく洗練されていました。私が最初に思いついた言い方だと、貧乏くさいところがひとつもありませんでした。

私の思い込みだと、演劇は身ひとつで何とかできる表現芸術の元祖で、その分だけ貧乏くさいところが付きまとって、それを払拭するのが商業演劇、みたいなところがありました。でも、出発点から志が新しいとここまですっきりした舞台が作れるんだというのは、発見でした。

神奈川芸術劇場ということで集客は苦戦気味だったみたいですが、スタジオを使えたという点では適した会場を使えたのだと思います。都内でもシアタートラムとか新国立劇場中劇場とか東京芸術劇場シアターイースト/ウエストとか、プロセニアムアーチがない劇場に向いた舞台ですね。

ゲキ×シネ「薔薇とサムライ2」

<2023年8月5日(土)昼>

もと女海賊のアンヌが女王となって治める国、コルドニア。近隣の国、ソルバニアノッソを治めるマリア・グランデが併合の野望を見せる中、なんとかそれを阻止しようとする。一方そのころ、遠方の島で麻薬効果のある塩のことを調べていた五右衛門は、塩と島民を攻め取ろうとしたコルドニア軍を追って、かつての旧友アンヌの治めるコルドニアにやってきた。

最近NTLiveを観ていたところ、劇団☆新感線の芝居の映像化がちょうど上映されていたのでこちらにも参戦。古田新太の五右衛門で始まったシリーズも、古田新太の身体をそこまで動かすことができず、天海祐希を事実上の主人公に持ってくるなどいろいろ工夫を重ねての上演。変装して化けた設定で早乙女友貴に殺陣を任せるというのは、

中身は安定の新感線ですが、映像で若干落着いて観ると、大量の登場人物に見どころを用意するので賑やかでわちゃわちゃしつつ、起承転結のしっかりしたよくできた脚本ですよね。もともとわかりやすい脚本を、さらに分かりやすく伝えるために説明台詞も多めに入れて、中島かずきの脚本はいまどきに合せてチューニングされた親切設計です。

役者で言えば天海祐希です。記憶喪失して怪盗として活躍する、という設定を挟むことで男役を復活させるとか、無理やりすぎて笑えますが、これも後につながるのだから脚本は上手。天海祐希の男役は初めて観ましたが、たしかに格好いい。その場面の相手役を務めたマリア・グランデこと高田聖子がウインクと投げキスを受けて「殺して、殺して~」と叫ぶところまで込みで笑ってしまいました。なるほど、あれが宝塚。

ちなみに天海祐希だけでなく他の役者も大活躍でしたが、私が一番よかったのは高田聖子です。やはり何をやらせても何か客の心を捕まえにくるところのある女優です。

で、映像化の話ですが、いい話で言うと、映画館のアップにも耐えられる今どきのメイクはすごいという発見がありました。あと、客席の笑い声を絞って一部にしか入れなかったのは、映像的な観やすさとしては良かったです。

悪い話で言うと、ちょっと新感線の舞台には難しいなというのがありました。というのも、もともと新感線は広い舞台を役者が動き回るアクション舞台です。なんでもない場面でも歩いたりします。これをアップ多めで追おうとすると、ややカメラが追いつかないし、なんとなくうるさくなるんですね。割と場所と動きは決まっていてもカメラアングルに制限のある以上、どうにかしないといけないんですけど、まだ処理しきれていない感がありました。殺陣は派手に見えると言えば見える、何をやっているのかわからないといえばわからない。

それと声ですね。ハウリング防止のためか、身に付けているマイクと、歌で使うマイクが違っていて、それでレンジが違って若干違和感がありました。で、身に付けているマイクもやや声が籠って聞こえる人がいて、まあ難しいです。

音と言えば休憩時間中、音なしで時間と役者紹介の映像を少しだけ流していましたけど、ちょっと静かになりすぎでした。NTLiveだと休憩時間中の客席の音と映像を流しっぱなしにしていましたけど、あれはあれで効果があったんだなというのは発見です。いまどきだと客席を撮影するのにも神経質になるところですが、何かいいやり方を見つけてほしいです。

National Theater Live「かもめ」

<2023年8月4日(金)夕>

電波すらろくに届かない、風光明媚であること以外何もとりえのない退屈な田舎の島。女優の母を持つが精神不安定で叔父に預けられている息子と、伯父の娘である従妹は、夏休みで戻ってきていた母たちを前に余興の実験的な芝居を見せるが、失敗する。本土の街に行きたいけど行けない、行きそびれた人間の様子を描く。

たしかオリジナルはロシアの田舎だったけど、それを現代風にリライト。電波も届かない湖のある島に設定を置換えての上演。だけどそれは格好が今風になる以上に効果があったとは良くも悪くも思えない。まあ「かもめ」です。それよりはリライトで細かい設定をいろいろ変えたところほうが効果が大きい。

演出で、オリジナルだと売れていて鼻持ちならない作家として描かれているところ、神経質で自分の成功にまったく懐疑的な作家として描かれました。これで芝居全体が、田舎にいる人たちが街に憧れるというより、田舎に引っ込んだり、田舎にいたまま街に出そびれた大人たちが、残された自分の人生に絶望するところがより強調されていました。撃たれたかもめの扱いが雑で、最後にニーナがコンスタンチンに対してまだ作家のトリゴーリンが好きだと言うあたりといい、椅子を動かすだけで場面を作っていくそっけない舞台美術と合せて、ものすごく地味、そして苦いところを突いてくる演出でした。

休憩時間中に息子が出ずっぱりで横たわる映像が流されていましたが、あれはオープニングの失敗した芝居をばっさり切った代わりの演出でしょう。最後、椅子をかもめの形に並べて見せたところと言い、古典の上演には海の向こうもいろいろ考えるんだなと思いました。

2023年8月 4日 (金)

National Theater Live「リア王」

<2023年8月3日(木)夕>

三人の娘のうち、末娘の婚約者選びが二人に絞られたとき。老いて王の責務から逃れたいために、王の立場以外は王国を分割して娘たちに与えようとする王。上の娘二人は王を称えて領地を得るが、末娘は父への愛情を正直な言葉を伝えたがために領地を得られず、それを聞かされた婚約者の一方からは逃げられたため、フランスへ嫁ぐことになる。王は上の娘二人に月替わりで世話になると言うが、一番愛していた末娘への心変わりを目の当たりにした二人は父への不信を覚える。

服装はいまどきっぽくて、短剣は出てきますけど兵士が普段持っている武器が銃なのは「ハムレット」と同じ。定番なのか費用その他制作上の都合なのか。それでも芝居になるからシェイクスピアはよくできていますよね。

話がどこまでオリジナルに近いのかわかっていないですが、今回はリア王は我がままで横柄で野蛮ではあるものの、追放された後になるほど同情の余地があるような役でした。そのあたりは役者の技量もあると思います。荒野の場面は本水でしたね。道化はあまり目立ちませんでした。

それで、王の忠臣の二人、ケント伯とグロスター伯ですが、ケント伯は女優が演じました(王を男装して追いかける)。この工夫のおかげか女優の技量のおかげかはわかりませんが、王に同情を集めるところに一役買っていました。今回の一押しです。グロスター伯は追放された王を探しにいくところからどんどん動き出して、両眼をえぐられたあと、追われた長男エドガーに連れられていく場面の演技はリア王に迫るものがありました。

こうやって年配組の役に同情が集まる理由のひとつに、若い悪人役をより悪く描いたためもあります。特に次女リーガン役は、リア王を追放するのも、グロスター伯の両眼をえぐるのも、グロスター伯の私生児エドモンドを誘惑するのも、露骨に悪く見せてきます。この次女とエドモンドを取りあう長女ゴネリルという構図で、どんどん同情が無くなる仕組みです。エドモンドは父への復讐というより、すべてを手に入れられる機会が巡ってきたから手に入れてやろうといった風情です。

だからリア王の狂気というよりは、リア王と上の二人の娘、そしてグロスター伯とエドモンド、父から奪う子供を強調した演出ですね。その分だけきつい場面の演出も派手につけて、迫力満点の仕上がりでした。

そして今回も日本で芝居で見るよりわかりやすかったのですが、理由のひとつに気がつきました。字幕で見ると情報量が落ちるから、特に人名のやりとりがすっきりするのですね。それは気付きでした。

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